【提言】学校再開に向けた、いまだかつてないとりくみを

いまだかつてない事態には,いまだかつてないとりくみを
―子どもたちにとって大事なことを絞り込んで,教育内容の大胆な削減を―

2020年4月27日 大阪教育文化センター事務局
4月29日更新 5月8日算数 6月10日要約と補足追加

■5月26日【追加提言3】小学6年 中学3年の教育課程について■

大阪教育文化センターだより145号(6月9日)
■学校再開への4つの提言 要約と補足■

§0.はじめに

 新型コロナウイルスにかかわる休校期間は,きわめて長期にわたるものであり,子どもたちも,父母・保護者のみなさんも,先生方も,いまだかつて経験したことのない事態となっています。いつ学校が再開できるのだろうか,という不安とともに,学校再開後の教育活動はどうなるのだろうという心配もあります。

子どもにとって何が必要か

 このような,いまだかつて経験したことのない事態に対して求められる教育活動は,従来の枠組みにとらわれていては,対応できません。従来の枠組みを超えた「いまだかつてないとりくみ」が必要です。その際,もっとも大事なことは,子どもにとって何が必要かであり,そのことを中心に据えてとりくむことが何としても求められると考えます。

学習指導要領に子どもを合わせない

 そのためには,新学習指導要領にとらわれるのではなく,子どものための教育課程づくりこそが重要です。マスコミ報道では,もう今から「夏休みをなくす」と言っている自治体の長も生まれてきているようですが,とんでもないことです。そんなことをすれば,子どもを追い詰めてしまうだけです。学習指導要領に子どもを合わせるのではなく,子どものための教育をどうつくりあげるかが,もっとも大切にしなければなりません。
 教職員組合は,新学習指導要領を押しつけないことを教育行政に求めましょう。そして,同時並行で学校でのとりくみをすすめましょう。

単純に行事を削減するのではなく

 学校でのとりくみでは,教科指導においては,その学年の子どもたちにとって,本当に大事な中身は何かを考え抜き,それに絞り込んで教えること,教科外活動においては,単純に行事を削減することなく,行事もふくめ,子どもの成長・発達にとって大事な活動にしっかりとりくむことが必要だと考えます。
 その立場から,以下,いくつか提案したいと思います。各学校での積極的な検討を心からお願いします。

■「戸惑いと不安と恐れのなかに希望を見いだす」■(参考)

【追加提言】休校中の登校日対応と学習課題についてはコチラ

【内容】
§1.いつにもまして,子どもとの出会いを大切に―子どもを丸ごと受け止めよう
§2.今こそ教育の専門家としての教師の力の発揮を
(1)子どもに心を寄せ,あたたかいまなざしで,子どものケアを
(2)教科学習では,大胆に単元を削減し,子どもの学習負担を軽減する
(3)教科外活動では安易に行事の削減などはおこなわない
(4)学年会や教科部会,生活指導部会,児童会・生徒会担当者会議で縦と横のつながりをつくって
§3.具体的なとりくみ
(1)9月から授業再開を想定,受験教科の範囲削減を文科省,都道府県教委へ要望
(2)9月再開を想定した計画  [1]小学校 [2]中学・高校の場合
§4.父母・保護者の理解と合意を
§5.教職員の合意づくりを
§6.今こそ,校長先生はリーダーシップを発揮して
§7.いわゆる「ネット授業」について
§8.おわりに

§1.いつにもまして 子どもとの出会いを大切に―子どもを丸ごと受け止めよう

 安倍首相による全国一律休校要請によって,子どもも教師も2019年度は学年末にふさわしい締めくくりができない状態におかれました。それに引き続く「緊急事態宣言」によって,2020年度の始まりも,新しい年度の始まりにふさわしい出会いができない状態におかれています。

子どもはどんな思いで過ごしているのか

 子どもたちはこの長い休みの間,どのように過ごしているのか,どのように過ごしてきたのか,家庭訪問もなかなかできないもとで,実態そのものもなかなか把握できていない状況におかれているのではないでしょうか。貧困家庭の子どもは,給食もないなかで,ちゃんと食べることができていたのか,ほとんど家の中で過ごしていた子は,大きなフラストレーションをため込んでいたのではないか,長期にわたる休校で,登校拒否・不登校が増えるのではないか,など先生方も不安がいっぱいだと思います。

「よく来たね」と子どもをまるごと受け止めたい

 5月7日(※)に子どもたちと出会えるかどうか,なお不確定要素をもっていますが,こんな状況だからこそ,いつにもまして,子どもたちとの出会いを大切にしたいものです。(※大阪府は5月7,8日も休校と決めたようです 4月27日夕方現在)

 「よく学校へ来たね」という思いを全面に,子どもを丸ごと受け止めたい。子どもの表現を全力を込めて受け止めたい。今年だからこそ,こんなときだからこその「学級びらき」を工夫したいですね。ともすれば,大幅に削減された授業時数のもとで,早く教科の授業を始めなければという気持ちに駆り立てられるのは無理のないことですが,ちょっと立ち止まって,こんなときだからこそ,焦らずに,あわてずに,教室が子どもたちの居場所となるように,教師と子どものあたたかい関係を築けるよう,心を砕いてみましょう。そして,子どもたちどうしのあたたかい関係を築けるよう,子どもたちの心と心をつなぐことを大切にしたいですね。

§2.今こそ教育の専門家としての教師の力の発揮を

 私たち教員は,「私は教育の専門家だ」といつも意識して教育活動をすすめているわけではありません。急に「専門家としての教師」と言われて,戸惑う先生方もいらっしゃるかもしれません。

教師は子どものことを考えて教育活動を計画している

 でも,ちょっと考えてみてください。たとえば,先生方が授業を構想するときには,「この単元で一番大切にしなければならないことは何だろう,この文学教材では,子どもたちにこんなことを読み取らせたいな」と子どもの顔を思い浮かべながら,考えているのではありませんか。また,こんな発問をしたら,子どもたちが活発に発言できる授業になるのではないか,と考えているのではありませんか。

 教科外活動では,運動会で子どもたちが力を合わせてとりくめるには,どんなことが必要だろうか,子どもたちが感動する文化祭をつくりあげたい,子どもたちの笑顔がはじけるお楽しみ会にしたい,などと考えてとりくんでいるはずです。

 それが,教員の専門性に他なりません。その専門性を発揮して教員は教育活動にとりくんでいるのです。そのことが教員は教育の専門家であることを示しています。こんなときだからこそ,私たちのもつ専門家としての力を大いに発揮しましょう。
 では,その力をどのように発揮すればよいのでしょう。次から考えていきたいと思います。

(1)子どもに心を寄せ あたたかいまなざしで 子どものケアを

 休校中,子どもたちは,さまざまな過ごし方をしたことでしょう。多くの子どもたちは,友だちにも会えず,いっしょに遊ぶこともできず,仕方がないので,スマホやゲームで寂しさを紛らわせざるをえない毎日だったのではないでしょうか。父母・保護者のみなさんも,自分自身の仕事の悩みを抱えながらの子どもへの対応で,おそらく疲れておられることと思います。

不安の中でも子どもたちは頑張っている

 何よりこのコロナ禍で,大人もふくめてですが,「人とかかわること=危ない」という風潮がつくられていることが大変気になります。何気ない会話をしたり,親しい人と食事をしたりする,普段なら当たり前のことを控えなければならない状況は,大人でさえ追い詰めていくものです。

 ましてや子どもの場合,大人以上に寂しいし,怖いし,不安なのだろうと思います。普段なら,何か心配事があったとしても,友だちと遊んだりしていると,その心配が吹っ飛んでいくこともありますが,長い時間家で一人で過ごしていると不安や心配事が増大してしまいます。でも,子どもたちはがんばっているのです。

学校再開後は あたたかいまなざしで

 子どもが成長・発達するうえで,人に触れ合うこと,そのときに漂う雰囲気や空気感はとても大切なものです。この休校中も,先生方は,そうした子どもたちに思いをはせ,できる限りのとりくみをすすめられたことと思います。

 学校が再開されたら,中には「荒れ」る子どもも出てくるかもしれません。登校しぶりの子も生まれてくるかもしれません。余裕をもって,子どもを見ることが求められると思います。そして,何よりもあたたかいまなざしを注ぎましょう。それも教師の専門性の重要な部分です。どの子も,何らかの形で傷ついているのです。その子どもたちに心を寄せ,しっかりケアしていきましょう。

(2)教科学習では大胆に単元を削減し 子どもの学習負担を軽減する

 教科学習では,その学年の子どもたちに本当に身につけさせたい力とは何か,考え抜きましょう。そして教科書を読み,子どもたちに「これだけは」という単元や教材を選りすぐりましょう。そうすれば,逆に,これは削除しよう,軽く扱おう,という単元や教材が見えてきます。そういう単元や教材は,思い切って大胆に削減しましょう。

次の学年で教えることも視野に

 また,次の学年で力を入れて教えてもらおうという単元や教材がでてきます。それは,次の学年でしっかり指導してもらうようにしましょう。6年生の場合は,特に教科としての「外国語」などは,中学でしっかり指導してもらうこととし,小学校では,「英語嫌いをつくらない」を目標にとりくみましょう。
 そうして,選りすぐった単元と教材で,今年度の教育計画を組み立ててみましょう。どのような計画になるかは,後に具体的に例示したいと思います。

そもそも授業時数の確保が必要では?と思う方はコチラを

(3)教科外活動では安易に行事の削減などはおこなわない

 子どもたちは,教科教育だけでなく,教科外の活動をとおしても大きく成長します。たとえば,運動会や遠足などの学校行事をとおして,全力をあげることの大切さや,力を合わせることの大切さ,自分たちで考えることの大切さなどを,実際のとりくみをとおして学びます。一つの行事を終えたら,子どもたちが見違えるように成長した姿を見せたという経験は,多くの先生方がもっておられると思います。

行事等は「総合」に位置づける

 だから,「授業時数確保」などという口実で,学校行事などを「初めに削減ありき」としないことが大切です。
 まずは,学校で大切にしてきた自治活動,自主的活動,学校行事を選りすぐりましょう。それを特別活動はもとより「総合的な学習の時間」に位置付けること,教科との関連を持たせることもふくめて,どのように時間をつくりだすかについて,知恵を絞りましょう。

 「総合的な学習の時間」について,学習指導要領では,「指導計画の作成と内容の取扱い」で,「教科等の枠を超えた横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習を行う」あるいは「他者と協働して課題を解決しようとする学習活動」「グループ学習や異年齢集団による学習などの多様な学習形態」などと述べられています。これを活用すれば,教科外活動を「総合的な学習の時間」に位置付けてすすめることが可能です。大いに工夫したいものです。

(4)学年会や教科部会 生活指導部会 児童会・生徒会担当者会議で縦と横のつながりをつくって

 今述べてきたことを,まず一人で考えることも大切です。でも一人だけよりも,まわりの先生方といっしょにとりくめたら,もっといいですね。ですから,上述したことを学年教師集団でとりくんでみましょう。

学習指導要領通りでは子どもも先生もパンク

 ただでさえ,新学習指導要領は究極の詰め込みとなっているのに,そのうえ,削減された授業時数を何の工夫もせずに指導書に書いてある時間通りそのまま上乗せなどすると,子どもの学習負担は極限を超え,先生方の働き方も極限を超え,子どもも先生方もパンクしてしまうことは,だれが考えてもはっきりしているのではないでしょうか。

 だからこそ,学年会で「子どもにとって大事なことを絞り込んで教えましょう」と話し合えば,一致点が見いだせるのではないでしょうか。これができれば,しっかりとした横の連携をつくることができます。

 

教科部会で縦の連携 学校運営組織をフル活用

 また,教科部会で話し合うことも大切になってきます。たとえば,算数では,新学習指導要領では2年生で3分の1を教えることになっていますが,そもそも無理な話です。だから,それは,2年生ではなく3年生で教えましょう,また,割合も4年生から出てきますが,それは5年生でしっかりやりましょう,ということになれば,縦の連携をつくることができることになります。

 教科外学習については,子どもたちの成長をはかることのできる教育活動について,生活指導部会や児童会・生徒会担当者会議などで教師集団として考えることができると思います。
 このように,学校運営組織をフルに使って,教育課程づくりにとりくむことが必要なのではないでしょうか。

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子どもと教育が大切にされる政治と世の中の実現を

子どもと教育が大切にされる政治と世の中の実現を
―衆議院選挙公示にあたって―

2017年10月10日
大阪教育文化センター事務局長 山口 隆

 第48回衆議院議員総選挙が本日公示され、10月22日に投開票がおこなわれます。

 これまで、選挙にかかわって大阪教育文化センターが意見表明することは、ほとんどありませんでしたが、今回は、自民党がその公約で教育問題を掲げていることから、ひと言コメントします。

 自民党公約は、「未来を担う子供たちに、“保育・教育の無償化”を実現します。」として、「幼児教育無償化を一気に加速します。2020年度までに、3歳から5歳までのすべての子供たちの幼稚園・保育園の費用を無償化します」「高等教育の無償化を図ります。このため、必要な生活費をまかなう給付型奨学金や授業料減免措置を大幅に増やします」「これらの施策を実行するために、消費税10%時の増収分について…子育て世代への投資を集中する」と述べています。そして「憲法改正を目指します」と明記し、自衛隊の明記とともに教育の無償化をあげ、教育無償化を改憲と結びつけています。

 そもそも安倍内閣と自民党は安倍「教育再生」の名のもとに、教科書改悪、道徳の教科化、教育委員会制度改悪、義務教育学校の設置による小学校段階からの学校複線化などをすすめ、いま新学習指導要領による「戦争する国」を支える人づくり、財界の利潤追求に役立つ人材育成をねらい、教育改悪をすすめています。教育条件整備では、少人数学級実現を求める国民の願いに背を向けて、35人学級は小学校1・2年生どまり、給付制奨学金も、高まる世論に押されてほんの一部分実施したものの、大半は有利子の貸与制奨学金というのが現状です。

 こうした教育改悪をすすめ、条件整備を放置しておきながら、選挙目当てに教育の無償化を口にするなど、許されるものではありません。しかもその財源を最悪の不公平税制である消費税に求めるなど邪道中の邪道といわなければなりません。

 さらに許せないのは、これを憲法改悪の口実にしていることです。自民党の改憲の本丸は憲法9条に自衛隊を明記することによって9条2項を空文化し、自衛隊が大手を振って海外で武力行使できるようにするところにあります。それを覆い隠し、自民党の補完勢力である維新の会が主張する改憲による教育無償化をとりこむなど、まさに党利党略そのものです。

 大阪教育文化センターは、このようなよこしまな動きを許さず、子どもと教育が大切にされる政治と世の中の実現を強く求めるものです。

  

「教え子を再び戦場に送るな」採択50周年を迎えて

この文章は「おおさかの子どもと教育」30号(2001年1月発行)に掲載されたものです。

〔特別寄稿〕

「教え子を再び戦場に送るな」採択50周年を迎えて

元大阪教職員組合中央執行委員長 東谷敏雄

「おおさかの子どもと教育」30号別冊 大阪教育文化センター10周年記念

2001.1.25

発行 大阪教育文化センター

(※注 原文は縦書きです。一字一句をていねいに校正された東谷さんの姿を思い、Webでも漢数字のまま掲載します。)

 今年は「教え子を再び戦場に送るな。」のスローガン決定五〇周年にあたります。

「おおさかの子どもと教育」三〇号に当時の様子を東谷先生が特別に寄稿して下さいました。多くの資料、証言を調べて書いて下さったことに感謝する次第です。

 人によって平和への願いや運動の仕方もさまざまだと思いますが、多くの方に読んでいただきたいと思い別冊にして発行いたしました。

大阪教育文化センター事務局長 大坪和夫


-大阪教育文化センター十周年記念特別寄稿-

「教え子を再び戦場に送るな」 採択五十周年を迎えて

元大阪教職員組合中央執行委員長 東谷敏雄

一 若き人々への証言として

 「夕食も議場内で握り飯を片手に討議を続行、午後九時半、議題のすべてを終了し、内外情勢の逼迫する中に日教組当面の諸方針をうちたてた」朝鮮戦争のさ中、一九五一年一月二十四、五日の両日開かれた日教組第十八回中央委員会を報じた機関紙「教育新聞」の記事である。

 この中央委員会が「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンと決議を採択し、教職員の反戦・平和の決意を内外に示した。二十一世紀を迎えたこの一月がその五十周年に当たる。

 こんにち教育労働戦線は大きく分かれているが、そのうちの全教と日教組という二つの大きな組織が、いまなおこのスローガンを運動の原点を示すものとして掲げている。一つの全国的な労働組合が路線の問題をめぐって大きく分かれたのちにも基本的なスローガンを共有しているという例は極めて珍しいのではないか。

 私は当時、日教組中央執行委員であったので、このスローガンと決議の提案者側にいた。当時の中央執行委員長として日教組の平和運動の先頭に立っていた岡三郎をはじめとして同僚の多くが不帰の客となっているこんにち、なお命を長らえている者として、この機会に現役の教職員諸君に、当時のことを私なりに証言しておきたいと思い筆を執った.

 半世紀前の朝鮮戦争をめぐっての緊迫した内外の情勢をいま思い起こすとき、昨年六月の南北朝鮮首脳会談で切り開かれた平和・和解路線への歴史的転換、それに続く十月の米・朝間の戦争関係公式終結を宣言する共同コミュニケの発表という新たな事態の展開に、限りない感慨を覚えている。

二 朝鮮戦争前夜に

 一九四九年七月四日、アメリカの独立記念日に当たってマッカーサーは、「日本は共産主義進出阻止の防壁」との声明を発表したが、いわゆる冷戦の深化に伴いGHQの対日占領政策の大きな転換が四九年頃から顕著になり、共産党や左翼労働運動などに対する規制と弾圧が強められるようになってきた。その象徴的な事件が下山事件、三鷹事件、松川事件という明らかに謀略を伴った弾圧である。

 それに続いて在日朝鮮人連盟など朝鮮人四団体が解散させられた。
またこの年の九月頃から翌五〇年二月にかけて、文部省へのGHQの指示を背景にした教職員に対する明らかなレッドパージが全国各地で強行され、その数は千百人前後(注①)に達している。

 年を越えた五〇年の一月一日、マッカーサーは年頭の辞で、日本国憲法は自己防衛の権利を否定してはいないと声明し、日本の再軍備を示唆した。一月三十一日には、米統合参謀本部ブラッドレー議長と陸海空三軍の首脳が「極東情勢検討」のため来日し、マッカーサーと軍事体制の強化について会談した。ついで二月十六日には李承晩韓国大統領が来日、マッカーサーと「反共策」で会談している。

 このような動きと並行して、対日講和問題がダレズ米国務省顧問のもとで四月から具体的な検討が進められ、五月八日に記者会見した吉田首相が「講和と米軍の基地問題につき米国などとの単独講和はすでにできている」と発言するまでになっていた。

 五月一日から三日間、香川県琴平町で開かれた日教組第七回定期大会は、平和運動の展開について、①民主主義諸権利の確保②軍事基地化反対③民族の独立④全面講和即時締結⑤平和教育の徹底を目標に掲げた。『日教組十年史』は、この決定を次のように評価している。

 「後に見られる平和四原則のごとき徹底した方針は原則づけられなかったにせよ、政府の単独講和コースが、占領軍の武力に支えられて強行されんとするとき、これだけの決定をするにもただならぬ決意と、五十万(組合員)の意思の統一が必要だったのである」

 この大会が開かれている五月三日、こともあろうに憲法記念日の声明でマッカーサーは、「共産党は侵略の手先」と非難、非合法化することを示唆した。この頃から朝鮮戦争の勃発に至る二ヵ月たらずの間に奇怪な事件が相次いだ。

 まず六月二日、警視庁はGHQと政府の方針で、東京都内の集会・デモを五日まで禁止すると発表し、その五日には、禁止措置を当分の間継続すると改めた。

 翌六日にマッカーサーは吉田首相宛の書簡で、共産党中央委員二十四人全員の公職追放を指令した。そして十六日、こんどは国家警察本部が全警察にデモ・集会の全面的禁止を指令し、十七日には文部省も、学生の政治集会・デモに参加することを禁止する通達を出した。

 このように一種の「戒厳令下」を思わせるような状況がつくられるなかの六月十八日、ジョンソン米国防長官、ブラッドレー統合参謀本部議長が来日し、マッカーサーと会談して、防衛態勢や日本基地維持の問題を検討した。続いて二十一日にはダレス顧問が再度来日、マッカーサーと対日講和条約の構想などについて会談し、翌日は吉田首相とも会談している。

三 朝鮮戦争下の試練

 緊迫した状況が続くなかで六月二十五日未明、朝鮮戦争が勃発した。この戦争が南北朝鮮のどちら側が起こしたかという問題は長く論争されており、また朝鮮の内戦として起こったものが、第二次世界大戦終結後最初の国際的戦争に発展したことは、南北朝鮮や関係した米・ソ・中が事前に予想していたかという問題など、なお研究されなければならない問題があると思われるが、当時のわれわれ日本人にとっては全く寝耳に水の突発事件であった。しかし、五〇年初頭のマッカーサーの年頭の辞から六月二十一日のダレス再来日に至る米政府と軍部、GHQの動きは、すべて朝鮮戦争の勃発を予め想定したものになっていると言わなければ説明がつかないのではないか。

 戦争勃発の翌日、マッカーサーは吉田首相宛書簡で、戦争についての「虚偽報道」を理由に共産党機関紙「アカハタ」の三十日間発行停止を指令し、七月十八日には無期限発行停止処分の追い打ちをかけた。これは「アカハタ」への弾圧を見せしめとして一切の言論を統制しようとしたもので、それは引き続いて強行されたGHQの「勧告」にもとづく各新聞社・通信社・放送協会など言論機関での問答無用のレッドパージとなってあらわれた。

 朝鮮戦争の勃発は、「日教組の平和運動にとって、重大な試練であった。……平和を口にすることが一つの闘争」(『日教組十年史』)になるという緊迫した状況のなかで七月八日、日教組は第十六回中央委員会を開き、多くの労働組合に先駆けて大要次のような「平和声明」を発表した。

 「われわれは一切の武力を放棄することを宣言した日本国憲法の大原則を確認し、日本の中立と戦争不介入の基本線を堅持し、如何なる国に対しても軍事基地の提供と人類を悲惨な運命に導く原爆使用とには断乎反対するとともに、全面講和締結促進への運動をあらたなる勇気と決意を以って展開するものである。このことは今日特に次代を担う青少年の幸福を守る日教組が行動を以って果たすべき喫緊の任務であることを確認し、徹底的に闘うことをここに声明する」

 この声明書は、日教組がやがて平和四原則の採択から「教え子を再び戦場に送るな」の合言葉を掲げるように平和運動を発展させていく過程の意義ある文書であった。

 中央委員会の三日後に日本労働組合総評議会(総評)の結成大会が開かれた。

 結成に至るまでにGHQの意向が大きく働いたこの大会は、「日本共産党の組合支配と暴力革命方針を排除し、自由にして民主的なる労働組合に依って労働戦線統一の巨大なる礎をすえた」と宣言するとともに、朝鮮戦争には「国連軍の行動を支持する」として、米軍を主力とした「国連軍」の戦争介入を是認した。

 私は七月二十日付「教育新聞」にこの大会の印象を次のように書いた。

 「現在(日教組の)組合員が最も関心をはらっている講和問題に対して態度不明確な者が相当数見受けられた。

 全逓(労組)の一代議員の如きは『全面講和』の『全面』を削除せよと、政府と全く同様の主張を述べた。また、『当面の行動綱領』の中に『強力な平和運動を展開し』を挿入せよとの日教組の主張が否決になったことは了解に苦しむところである」

 朝鮮戦争勃発に国連安保理事会はアメリカ提出の決議案を受けて、「侵略者・北朝鮮」に軍事制裁を加えることを決定した。米軍を軸として十六力国軍による「国連軍」が編成され、マッカーサーがその最高指令官に任命され、司令部が東京に設置された。

 在日米軍四個師団が根こそぎ朝鮮戦線に動員されることに関連して、マッカーサーは七月八日、吉田首相宛に書簡を送り、七万五千人の国家警察予備隊の創設と海上保安庁人員の八千人増員を指令した。政府は一カ月後の八月十日に警察予備隊令を公布し、八月二十三日には早々と第一陣の約七千人が入隊した。突然の指令とその実施は、われわれに日本の再軍備が現実のものになる危険性を十分に思わせるものであった。

 このような時期に合わすように八月二十七日、第二次アメリカ教育使節団が来日し、「極東において共産主義に対抗する最大の武器の一つは、日本の啓発された選挙民である」という一節をふくむ報告書をマッカーサーに提出し、「民主教育の反共的役割」を示唆した。

 これを直ちに受けるように吉田首相は十月、今後の文教の柱に「純正にして強固な愛国心の再興」を掲げると声明し、また朝鮮戦争の直前に文相となった天野貞祐は十月十七日、「学校における『文化の日』其の他国民の祝日の行事について」談話を発表し、学校の祝日行事に国旗を掲揚し「君が代」を斉唱することを奨めた。文部省は文相談話にもとづき、文化の日を期して実施させるよう各大学と都道府県教育委員会に通達を出した。

 また「共産主義に対する精神的自衛力」として「静かなる愛国心」の教育が必要とする天野文相は、十一月七日の全国教育長会議で修身科復活、「国民実践要領」の必要を表明した。

 日教組機関紙「教育新聞」の編集を担当していた私は、「君が代」について著名人にアンケートを送り、寄せられた回答を三号にわたり紙面に掲載した。
 荒正人・荒畑寒村・板垣直子・内田巌・大内兵衛・小田切秀雄・加藤勘十・戒能通孝・佐多稲子・坂西志保・向坂逸郎・島上善五郎・高橋正雄・淡徳三郎・丹羽文雄・野間宏・長谷川如是閑・平林たい子・三木鶏郎・宗像誠也・柳田謙十郎・山川菊栄・山川均が回答を寄せてくれた。反対が殆どであったが、「儀礼的ならばよい」との長谷川も、「賛成」の丹羽も、「新国歌の制定」を提案している。

 朝鮮戦争は一進一退の激戦が続き、十月二十日には国連軍が平壌を陥れ、さらに北進する勢いを示すと、中国人民義勇軍が鴨緑江を越えて朝鮮戦線に出動、北朝鮮・中国連合軍は十二月五日、平壌を奪回し、三十八度線をめざして南下した。

 こうして内戦から始まった戦争が文字通りの大規模な国際戦争に発展するに至った。

 警察予備隊を発足させた政府は十月三十日付で、アジア太平洋戦争開戦後の陸海軍学校入学の旧軍人三千二百五十人の追放解除を発表した。

四 スローガン「教え子を再び戦場に送るな」の決定と広がり

 一九五一年の年頭のあいさつで日教組の岡三郎委員長は、「新しい年を迎えてわれわれのなすべきことは、いかなる事態に処しても毅然として労働組合の主体性を堅持し得るように組合の態勢を整備することである」と強調し、「基本的人権を守り、民主主義を守るため、われわれ知識労働者が先頭に立ってたたかうべきである」ことを訴え、「五一年は敗戦以来かつてなき苦難の年となろうが、このような時にこそ前進への意欲を高めるべきであり、これ以上は一歩も退かないという一線を確立してたたかわねばならない」と、執行部の決意を述べ、「全国五十万教職員諸君の奮起を切に望む」と結んだ。

 中央執行委員会は一月七日から、二十四、二十五の両日に開く第十八回中央委員会の議案審議に取り組んだ。

 「米ソによる新たな戦争の恐怖におののく世界、だが、平和は絶望ではない」を柱のひとつとする「内外の情勢報告」をはじめ、「教育予算の大幅確保」「国家公務員法の改正、地方公務員法の制定反対」を中心とする国会闘争方針、五月の地方選挙闘争を広範な反自由党勢力の結集でたたかうという選挙闘争方針、さらに「君が代反対、新国歌制定運動の推進」などは大きな問題なく審議が進行したが、千葉千代世婦人部長から平和運動方針とスローガン案の追加修正として提案された「教え子を再び戦場に送るな」をめぐつて、白熱的な論議が二日間にわたって交された。

 私の手元に、九一年に八十四歳で不帰の客となった千葉千代世が八八年に書いた一通の書簡がある。

 「朝鮮戦争が始まって以来、再び戦争の危機感が増してきた。戦前・戦中・戦後を体験した私達はなによりも平和の願いが強かった。勤めていた東京芝区の学校の卒業生(で戦死者)の遺骨を父母代表と東京駅に受け取りに行き、増上寺で度重なる区民葬をしたが、戦争逼迫につれてそれもできなくなり、子どもたちを連れて塩原町に集団疎開をし、空腹と虱退治に明け暮れした。『欲しがりません勝つまでは』のがんばりのどんなに悲惨なものであったか。

 個人的には二度の空襲によるわが家の焼失、夫も十年間を中国の戦野で身を弾丸に曝していたことなどから、恥ずかしさも忘れて討論に立ち上がった。

 私の提案は、運動方針案の平和運動のところで『教え子を再び戦場に送らないために、われわれは平和への……』を挿入するものであったが、議論百出の末やっと挿入が決まった。次の日にスローガンを決めることになった。私は迷わずに、昨日決まった運動方針の中に挿入された『教え子を再び戦場に送るな』を抜き出してスローガンに加えることを提案した。これがまた議論沸騰してやっと決定した。

 私達婦人部は執行委員に個別に働きかけることにしたが、私は第一番に青年部長の佐竹さんに当たった。『絶対賛成だ。一番先に弾丸に当たるのは僕たちだからなァ』。また、大阪市立大学から大学部執行委員に出ていた南さんが賛成して他の専門部執行委員に働きかける。私達の運動の結果、翌日の執行委員会では、案外すっきりと通り決定したのだった」

 「議論百出」「議論沸騰」の具体的な状況は、もう半世紀も前の話で思い出せないが、千葉提案の出る時期が遅かったため、「一事不再議」を理由に反対する動議が出たのに対して、議長の岡委員長が、「大事な問題だから形式にとらわれずしっかり論議しよう」と裁断して討議を続行したことがいまなお記憶に残っている。

 五〇年の初め頃から高まってきた平和運動の中心課題は、安倍能成・大内兵衛らの平和問題懇談会の「講和問題についての声明」(五〇年一月十五日発表)に示されているように、「全面講和、中立不可侵、軍事基地反対」で、日教組の第十四回中央委員会(同年二月二十、二十一日)で採択された声明も「講和問題に関する声明」で、「全面講和、永世中立、軍事基地提供反対」をうたっている。

 この第十八回中央委員会では「再軍備反対」が最も強い関心事になっている。
 多くの質疑・討論が交されたうちで次の質疑・答弁を「教育新聞」(五一年二月二日付)と『日教組二十年史』が記録している。

大阪 朝鮮での中共の介入をどうみるのか。

東谷中執 中共の介入の是非よりも、これによって日本が明日にも中共の侵略をうけるような宣伝が行われ、再軍備が唱えられていることに関心をもたなければならない。

 「中国共産党」の朝鮮戦線への参加の是非は、中央委員の意見は二分されていたが、「再軍備反対」では一致していた。
 この中央委員会のハイライトは、「講和に関する決議」で、このなかに「再び教え子を戦場に送らない」決意がうたわれている。

講和に関する決議(要旨)
 「現在の国際情勢の中にあっては、講和条約はわれわれの所期する全面講和、日本の完全独立とは遥かに程遠いものとなることは想像にかたくないところである、特に最近表面化しつつある再軍備問題は、わが国をして国際紛争に直接介入することへの危険をはらむものとしてわれわれの最も警戒するところである。

 今こそわれわれは、平和への揺るぎなき願望を全世界に宣明して、全労働階級とともに強力な運動を展開する。

一、われわれの講和に対する基本的態度として全面講和、中立堅持、軍事基地提供反対を再確認する。

二、右の基本的態度から再軍備に反対する。

三、講和内容については、真に独立の名に値する条項の決定を強く要望する。

四、総評並びに勤労階級政党と統一的に決定し、闘争を展開してゆき、広く国民大衆の世論を結集する。

五、講和を通してかち得られる民族の完全独立は、国民一人一人の精神的自立を基盤とした積極的且広範な平和運動によって達成されることを信じ、再び教え子を戦場に送らない決意のもとに日常教育活動に努力を傾注する」(ゴジックは東谷

 この決議案に対する討論で大教組の中央委員は、次のような賛成意見を述べた。

 「現在の情勢は決してあまいものではない。決議のみでは足りない。具体的な行動こそ必要である。教え子を再び戦場に送らない決意がこの決議の柱となっているが、現在この柱はあまりにも細い。この柱を歩一歩拡大することに全力を傾けたい。原案に賛成する」(注②)

 この中央委員会の三人の議長のひとりは大教組の野原覚委員長であった。

 この日教組中央委員会から約一カ月半後の三月十日から三日間、総評第二回大会が開かれた。私は数人の青年中央執行委員とともに、国鉄労組・全逓労組などの仲間たちと緊密な連携のもとに、大会前の運動方針案作成の小委員会の段階から、総評大会も「平和四原則」を採択することを目指して奮闘した。
 大会では、運動方針の行動綱領案をめぐって白熱的な討論が交わされ、最終的にわれわれと協議のうえで全逓の代議員が提出した「われわれは再軍備に反対し、中立堅持、軍事基地提供反対、全面講和の実現により日本の平和を守り、独立を達成するためにたたかう」を圧倒的多数で可決した。大会の翌日、GHQのエーミス労働課長は、新しく選出された高野実事務局長らを招き、「総評大会の決定は占領政策に違反する」と非難した。しかし、GHQもそれ以上の踏み込んだ措置を採ることができないほどこの決定は多くの労働者の支持を集め、総評傘下の多くの単産の大会は日教組に続いて「平和四原則」を採択した。

 「全面講和要求、再軍備反対」を基調とする平和闘争で総評運動が大きく転換するなかで、日教組は五月二十九日から四日間、兵庫県城崎町で第八回定期大会を開いた。

 「この大会は、先の中央委員会で掲げられた『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンを日教組全体のものとした点で全国の注目の的になった」(『日教組十年史』)。朝日新聞も大会前日の二十八日、「日教組大会と当面の諸課題」と題した社説を掲載し、「五十万組合員の関心はもちろん、広く世の注目をひいている」
と述べ、その第一に「子供を戦争から守るという一線に立って、どこまでも足を地につけた熱心な討議」を望んだ。

 議場の正面に「平和憲法を守り、教え子を再び戦場に送るな」の大会スローガンが掲げられ、運動方針の審議で岡委員長は代議員の質問に大要次のように答えて、「不退転の決意を披瀝した」(『日教組十年史』)。

 「平和四原則は誰に頼まれてやったものでもなく、ほんとうに戦争の危機からわれわれは平和を守らなければならないということを確認し、率先して教壇を通じて鼓吹してきた。われわれはあの敗戦を肝に銘じて日本の平和を真に確立することを誓ったのであり、如何に情勢の変化があり、また社会党がかりに平和四原則を変えようとも、われわれは教職員の良心に訴えて変えないことをお誓いする」

 夜を徹しての小委員会討議でねりあげられ、本会議で決定された運動方針は、基本方針の第一に「生活と権利を守り、……自主的教育の確立をはかり、民主主義を守り続けるとともに、ひろく父兄大衆と提携し、職場を防衛し青少年全体の幸福を守り抜かねばならない」を掲げ、続けて原案の第四におかれていた「全面講和、軍事基地反対、中立堅持、再軍備反対の四原則を堅持し、平和運動を展開する」を繰上げた。そして運動方針は「すべてを平和闘争に」集約するものであった。

 初期の日教組運動の画期を作り出した大会は最後に次のような声明書(要旨)を発表した。

 「われわれはいま、六年前広島長崎に投ぜられた原子爆弾によって、一瞬のうちに消え去った二十余万の同胞の運命を想起する。

 新たなる戦争の危機のさ中にあって、日本民族を戦争の惨禍から守り、平和的文化国家のゆるぎなき基礎を確立することはわれわれ教育労働者に課せられた最大の歴史的任務である。

 われわれは、現政府の反動的諸政策に反対する全勤労大衆と共に、生活を守る闘い、権利を守る闘い、特に新たなる構想のもとに打ち出された自主的教育確立の闘いを強力に押し進め、教育労働者の良心と倫理に基いて、あく迄も平和四原則を堅持して日本民族の自由と独立のために徹底的に闘い抜くものである」

五 新世紀の入り口で

 ここまで、「教え子を再び戦場に送るな」の採択に至るまでの経過について書いてきたが、このスローガンについて、いまは殆ど知られていないエピソードを披露しておきたい。

 一九五三年七月二十一日から二十五日まで、世界教員組合連盟(FISE)が提唱して、まだ米ソ英仏四カ国管理下にあったウィーンで、第一回世界教員会議が開かれた。四十八力国から教員代表とオブザーバーを併せて約四百五十人が参加した。前日教組書記長の魚谷時太郎を団長に日教組組合員と教育学者らからなる日本代表団十七人も参加し、私もその一員に加わることができた。

 この会議の主な目的の第一は「平和を擁護するために行うべき国際的な教員団体の諸活動」を討議することで、その委員会に私は矢川徳光(教育評論家・日教組講師団)・千葉千代世らと参加した。

 討議の中でわれわれは、日教組の平和運動の展開とスローガン「教え子を再び戦場に送るな」の採択を報告し、高知県の中学校教師竹本源治の詩を紹介した。

戦死せる教え兒よ

逝(ゆ)いて還らぬ教え兒よ/私の手は血みれだ/君を縊(くび)ったその綱の/端を私も持っていた/しかも人の師の名において/鳴呼!/「お互いにだまされていた」の言訳が/なんでできよう/
慚愧 悔恨 懺悔(ざんげ)を重ねても/それがなんの償いになろう/逝った君はもう還らない/今ぞ私は汚濁の手をすすぎ/涙をはらって君の墓標に誓う/「繰り返さぬぞ絶対に!」

(高知県教組発行『るねさんす』五十二年一月号)(注③)

 この報告は外国代表の感動を呼び、委員会決議草案作成の小委員会に日本の委員も推薦され、決議の中に平和の擁護のためにたたかうことが強調されねばならないという点で意見の一致をみることに貢献した。(注④)

 また、日本代表団のひとりであった羽仁五郎がドイツ語で竹本源治の詩を放送した時、ウイーン放送局員がハンケチで涙をおさえたという話があり、「このスローガン(と詩)に盛られた精神が、国境・人種をこえて、全世界の人々に訴えるものであったことが分かる」(『日教組十年史』)だろう。

 いまわれわれは新しい世紀の入り口に立つている。しかしこんにち子どもたちと教職員が直面している状況は、半世紀前に「日本の教育労働者がその良心と倫理にもとづき、歴史的任務を果たす」べく奮闘したたたかいのあとを改めて想起し、教職員の心をひとつに結んだスローガン「教え子を再び戦場に送るな」を新たな決意で掲げてたたかうことを強く求めている。私はすでに八十一歳の老兵、もう最後ともいうべき願いは、所属組合のちがいや、組合員・未組合員のへだてなく、すべての教職員諸君が、職場と地域で壮大な共同態勢を創り出し、「教え子を再び戦場に送らない」たたかいをすすめられることである。

(付記。本稿は、全教の機関誌『エデュカス』第三十一号に寄稿した文に加筆したものである)

①教職員レッドパージの数は約千七百人とする説が多いが、その根拠はいずれも明らかにされていない。レッドパージ強行の直後に開かれた日教組の第七回定期大会(琴平町)では、「この大会までに中央執行委員会に報告されたのは千十人以上」と報告されている。

 教職員レツド・パージ三十周年記念刊行会編『三十余年の星霜を生きて』で研究者の明神勲氏は「(日教組琴平大会での報告の数が)筆者の各県別の集計予想と最も近い」とし、「実際には千百人前後と思われる」と書いている。

②第十八回中央委員会の議案審議を行った中央執行委員会を報じた機関誌「教育新聞」(昭和二十六年一月十九日付)には、スローガンに「教え子を再び戦場に送るな」を決めた記事はなく、中央委員会を報じた「教育新聞」(同二月二日付)にもその記事は見当たらず、一面トップの見出しは「教え子を戦場に送るな」となっていて「再び」がない。しかし『日教組十年史』には、「中央委員会は、はじめて堂々と、『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンを打ちだした」と記述している。さらにこの「千葉証言」があり、また、四十数年間日教組の情宣部書記であった望月宗明氏の著書『日教組とともに』(初版一九八〇年一月)にも、次のような「証言」が記載されている。

「舞台正面には『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンが掲げられていた。/このスローガンは議案を審議した執行委員会で婦人部長の千葉千代世が提案してきまったものだった。……

 何人かの執行委員は『表現がきつい』『現実離れしていないか』などを理由で反対したため、その日はきまらず翌日まわしになった。/千葉は青年部の佐竹周一にも協力を求め、反対の執行委員を説得してまわり、やっと満場一致で決定した」

③山原健二郎氏(前衆院議員)からの教示によると、この詩には次の短歌がついている。

 送らじなこの身裂くとも教え子を ことわり理もなき戦の庭に

④世界教員会議で採択された「世界の教師たちにたいする呼びかけ」は、次のことばで締めくくっている。

子どもたちや若い者たちを守ること、
教育を守ること、それは君たち教師の最高の責務である。
教職者の団結に向かって進もう!
世界の平和と、人々のあいだの友愛とに向かって進もう!
  (日本代表団編『世界教員会議報告書』日教組発行)

  

教育における共同を強め、維新政治継続のもとでも、全力をあげて子どもと教育を守ろう

教育における共同を強め、維新政治継続のもとでも、全力をあげて子どもと教育を守ろう

2015年11月27日
大阪教育文化センター

 11月22日に投開票でおこなわれた、大阪府知事・大阪市長ダブル選挙の結果、知事、大阪市長ともに「大阪維新」の候補者が当選するという残念な結果となりました。

 このダブル選挙について、大阪教育文化センターは、11月11日付で山口隆事務局次長名で、「府民、市民の良識を結集し、共同の力で、維新の「教育こわし」にストップを!」という声明を発表し、維新政治による8年間にわたる「教育こわし」を告発するとともに、子どもを守る「オール大阪」の共同で、子どもが人間として大切にされる教育を前進させようと訴えました。そして、「大阪教育文化センターだより」No.94にその声明を掲載し、教育を守る共同の前進を呼びかけてきました。

厳しく問われた8年間の「教育こわし」、デマ宣伝に終始した「大阪維新」

 選挙戦では、教育問題が一つの大きな争点となりました。反維新の共同の候補者は、大阪の不登校児童数がこの8年間で激増していること、小中学校での暴力行為の発生件数が全国ワースト1になっていることを告発し、維新の教育政策は子どもたちのことを考えていない、その教育政策の結果、子どもたちの心が荒れてしまっていると訴えました。また、すすめられている高校つぶしに対しても、その学校を必要とする子どもがいる学校を競争率が低いからといって廃校にするようなやり方は許せない、行政がやるべきことは、子どもたちの教育を受ける権利を保障することだ、と力を込めて訴えました。

 これに対して維新の候補者は、先の住民投票のときと同様に、これまでの8年間で教育予算を削りに削ってきたにもかかわらず、「教育予算を5倍にした」などというデマ宣伝に終始しました。

 「大阪維新」は、この選挙戦全体をとおして、まともな政策論争をおこなおうとせず、「自民党、民主党、共産党の野合」批判、「過去に戻すな」の訴えを繰り返しましたが、教育分野では、より悪質なデマ宣伝で「維新政治」への批判をそらそうとする態度をとったことは断じて許せないものです。

維新政治継続のもとで、子ども、父母、教職員との矛盾はさらに広がる

 選挙結果は、維新政治継続ということになりましたが、選挙で示された民意は、8年間の維新政治のすべてにもろ手を挙げて賛成するものではなく、大阪の現状を変えたい、いまの閉塞感を何とかしたいという、いわば前向きのものであるといえます。

 とりわけ教育における民意は、この選挙戦で教育研究者や教職員組合、「大阪の高校を守る会」の父母のみなさんなど、多くの教育関係者が、維新政治による「教育こわし」を告発し、子どもたちを人間として大切にする教育をとりもどそうと訴えてこられてきたことにも示されているように、維新による「教育こわし」は許さない、というものであることは明らかです。

 府民、市民の願いと維新政治の矛盾は避けることができません。

 とりわけ教育においては、維新流の「教育改革」がすすめられる限り、それは子ども、父母、教職員との激しい矛盾を引き起こすことは間違いありません。子どもの人間的尊厳を踏みにじる維新流「教育こわし」と、子どもの成長をなによりも大切に、一人ひとりの子どもを人間として大切にする教育を求める父母、教職員の願いは、正面からぶつかりあうものとならざるをえません。

新たな共同の財産を生かし、子どもを守る共同をさらに広く、さらに分厚く

 この選挙戦をとおしてつくりあげられた新たな共同という財産を生かし、維新政治による府民の暮らし破壊、住民自治破壊をゆるさぬとりくみと固く結び、教育分野における共同をいっそう広げる必要があります。維新によるこれ以上の「教育こわし」を許さず、子どもと教育を守ろうという、教育における民意をもっと幅広く、もっと分厚くつくりあげ、どのような悪政がすすめられようとも、全力をあげて子どもと教育を守ろうという流れを教育における本流とするために、大阪教育文化センターもその一翼を担って奮闘するものです。

  

戦争法の強行に満身の怒りを込めて抗議し、戦争法の発動をゆるさず、子どもと教育を守るため、全力をあげてとりくみます

戦争法の強行に満身の怒りを込めて抗議し、戦争法の発動をゆるさず、子どもと教育を守るため、全力をあげてとりくみます

2015年9月19日
大阪教育文化センター

 9月19日未明、自民党・公明党などは、参議院本会議で戦争法案を強行採決しました。大阪教育文化センターは、この暴挙に対し、満身の怒りを込めて抗議し、戦争への暴走ストップ、戦争法の発動をゆるさず、全力をあげて子どもと教育を守る決意を表明するものです。

国会審議をとおして明らかになった4つの大問題

 第1の大問題は、戦争法が明らかに憲法違反であるということです。

 そもそも戦争法は、集団的自衛権行使の具体化です。集団的自衛権とは、日本がアメリカといっしょになって海外で戦争する国へとその国の形を変えることを意味します。そのことは、国会審議をとおして具体的に明らかにされました。国会審議では、防衛庁がつくったイメージ図が明らかにされ、そこでは、敵潜水艦を攻撃している米軍ヘリが、自衛隊のヘリ空母で給油し、また敵潜水艦を攻撃する事態が想定されています。これはまさに、米軍と一体になった武力行使そのものであり、武力行使を禁止した憲法9条に真っ向から違反するものです。

 戦争法が憲法違反であるということは、圧倒的多数の憲法学者が指摘しましたが、それにとどまらず、歴代内閣法制局長官、元最高裁判事、最高裁長官までが主張するにいたりました。戦争法が憲法違反であることは、明々白々の事実として示されました。

 憲法違反の法律はその存在そのものがゆるされないものです。憲法違反の法律を強行した安倍政権と自民・公明の責任はきわめて重大です。

 第2は、立憲主義の否定です。

 この戦争法のおおもとには、昨年7月1日に安倍内閣がこれまでの憲法解釈を根底から覆し、「憲法9条のもとでも集団的自衛権行使は可能」とした閣議決定があります。これまで歴史的に積み上げてきた憲法解釈を一内閣が一片の閣議決定で覆すことは、立憲主義の否定すそのものといわなければなりません。まさに改憲クーデターというべきものであり、断じてゆるせないものです。

 第3は、そもそも戦争法案をつくる必要性について説明がつかなくなってきたことであり、立法事実不存在ということが明らかになったことです。

 安倍内閣は当初、戦争法をつくる必要性について、一つは、日本人が乗っているアメリカ艦船が攻撃されたときにこれを守るため、とイラストまで使って説明しました。ところが、国会の最終盤になって、「日本人が乗っていなくても集団的自衛権の発動はありうる」と答弁しました。当初述べていた根拠を自ら覆したものです。

 いま一つは、「ホルムズ海峡の機雷掃海」のため、というものでしたが、それも国会最終盤になって「現実の問題として想定しているものではない」と答弁しました。これも当初述べていた根拠を自ら覆したものです。

 これらは、戦争法を策定する根拠そのものがなくなったということであり、戦争法をつくる理由について説明がつかなくなったことを明らかにしたものです。まさに立法事実不存在であり、本来ならば、戦争法案そのものを撤回すべきものです。これをゴリ押ししたというのが、今回の強行採決といわなければなりません。

 第4は、民主主義破壊です。

 戦争法案の審議がすすめばすすむほど、国民の中に、反対世論が広がり、「戦争法案反対」は、どの世論調査でも過半数を超えました。また、「今国会で採決すべきでない」という意見は6割を超え、「政府の説明不足」という国民の声は8割を超えました。また、国会審議では、政府はあらゆる問題で答弁不能に追い込まれ、参議院段階だけで実に111回も審議が中断しました。国会最終盤では、安倍首相自身が「国民の理解を得られていない」と述べるにいたりました。

 このような状況で採決をおこなうなど、絶対にあってはならないことでしたが、安倍内閣と自民・公明は9月17日、テレビで繰り返し放映されたように醜い姿を国内外にさらして、安保法制特別委員会で採決を強行しました。まさに民主主義破壊の暴挙といわなければなりません。

空前の規模で広がった国民の運動、これからも止まらない

 一方、国民の運動は、空前の規模で広がりました。とりわけ、若者の立ち上がりが大きな特徴です。

 この間の動向だけをみても、8月30日の国会前行動には12万人、同日おこなわれた大阪扇町公園には2万5000人。これをはじめ、国会での重要段階を迎えた9月14日には国会前4万5000人、その前日の13日には大阪ではシールズ関西をはじめ11の青年グループが主催した御堂筋パレードに2万人、広島では7000人の人文字、京都4700人、福島2500人、鹿児島2000人、高知1800人、名古屋では、集会のわずか6日前に結成したばかりのシールズ東海が主催した集会とデモに1500人と、全国各地でかつてない規模での反対運動が展開されました。強行採決は断じてゆるせませんが、今回の国会における強行は、これらの反対の声と運動に追い詰められた結果であるといわなければなりません。

 戦争法は強行されましたが、これで終わるものでは決してありません。

 参議院の中央公聴会で公述人として意見表明したシールズの中心的メンバーの奥田愛基さんは、その意見陳述の中で「戦争法案が強行採決されれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日国会前は人であふれかえるでしょう。私たちは決して今の政治家の方の発言、態度を忘れません。次の選挙にももちろん影響を与えるでしょう。私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた、路上で声をあげます」と述べました。また、委員会での強行採決がおこなわれた9月17日、TVインタビューに応じた20歳の女子学生は、「これからが正念場です。私は声を上げ続けます」と胸を張って語っています。

 いま、国民一人ひとりが主権者として立ち上がっています。そして、その中心は青年・学生です。これこそ未来への大きな希望です。それは、憲法が示す平和主義、立憲主義、民主主義を実現しようという新しい動きであり、新しい政治をつくる胎動といって過言ではありません。こうした動きに合流し、戦争法の発動をゆるさないとりくみを大いにすすめましょう。

「『戦争する国』の人づくり」=安倍「教育再生」をゆるさない

 戦争法を強行した安倍政権は、戦争法による「戦争する国づくり」と一体に「『戦争する国』の人づくり」である安倍「教育再生」の具体化を、いっそう強めてくる危険性を持っています。しかし、憲法違反の戦争法強行には、必ず歴史の審判が下されるでしょう。そして、「戦争する国づくり」と一体、「子ども不在」の安倍「教育再生」も憲法と教育の条理に真っ向から背くものであり、子ども、父母・国民、教職員の支持を得ることは絶対できません。

 私たちは、そのことに確信を持ち、安倍政権による「戦争への暴走ストップ」のとりくみをいっそう強めます。そして、子ども・若者を二度と再び戦場に送らない、という決意も新たに、現場教職員、父母・府民、研究者のみなさんとともに、安倍「教育再生」の具体化をゆるさぬとりくみを、大いに強めていきたいと考えています。

父母・府民のみなさん、力をあわせて子どもと教育を守りましょう

 父母・府民、教職員のみなさん。いまこそ力をあわせて子どもと教育を守りましょう。子どもたちの未来を閉ざす戦争への暴走をゆるさず、子どもの未来を守り、子どもたちとともに、未来をきりひらきましょう。そのための大きな力が憲法であり、教育の条理です。

 戦争への暴走ストップ!憲法と教育の条理に立脚して子どもと教育を守ろう!大阪教育文化センターは、父母・府民のみなさんに心を込めて呼びかけるものです。

  

<声明>戦争法案の委員会採決強行に満身の怒りを込めて抗議し、あらためて戦争法案の廃案を強く求めます

戦争法案の委員会採決強行に満身の怒りを込めて抗議し、あらためて戦争法案の廃案を強く求めます

2015年7月15日
大阪教育文化センター

 自民・公明の与党は、7月15日午後、衆議院平和安全法制特別委員会で、戦争法案の採決を強行しました。大阪教育文化センターは、戦争法案の強行採決に、怒りを込めて抗議するとともに、あらためて戦争法案の廃案を強く求めるものです。

 この戦争法案は、圧倒的多数の憲法学者が違憲と指摘する、文字どおり憲法違反の法案です。戦争法案の本質は、日本が武力攻撃を受けていなくても、アメリカの起こす戦争に日本が無条件で参加するというものであり、憲法9条のもとでは絶対に許されない集団的自衛権行使を可能とする法案です。

 この本質が明らかになるにつれ、どの世論調査を見ても、国民の6割がこの戦争法案に反対、また、今国会で成立させる必要でない、も6割を超え、8割を超える国民が、政府の説明不足を指摘しています。

 自民党の党内からも、また安倍晋三首相自身が、本日の委員会質疑で、「国民の理解が進んでいないのも事実だ」と答弁しているように、まさに国民不在の強行採決と言わなければなりません。

 この戦争法案について、大阪教育文化センターは、6月27日に開催した運営委員総会で、「憲法違反の戦争法案の廃案を強く求めます」という決議を採択しました。その決議の中で、この法案の持つ問題点について、第1に憲法違反であること、第2に、異常なアメリカいいなりのもとでの戦争法案であること、第3に、過去に起こした戦争を侵略戦争と認めない政府がこの法案を提出していること、という3つの重大問題を指摘しています。この重大問題は、その後の国会審議をとおしても、いっそう明らかになっています。

 今回の採決強行は、国民の声に耳を貸さず、憲法違反という指摘も無視して、国会内の多数によって強行したものであり、憲政史上大きな汚点を残すものと言わなければなりません。

 憲法違反の戦争法案を、民主主義をもじゅうりんして与党のみの賛成で採決を強行したことは、日本の未来、子どもたちの未来にとって重大問題であり、厳しく抗議するものです。

 私たちは、あらためて、戦争法案を廃案にすることを強く求めるものです。

  

<決議> 憲法違反の戦争法案の廃案を強く求めます

<決議> 憲法違反の戦争法案の廃案を強く求めます

2015年6月27日

大阪教育文化センター運営委員総会

 安倍内閣は、昨年7月1日の閣議決定にもとづき、今開かれている国会に戦争法案を提出し、国会で審議がおこなわれています。国会審議をとおして、戦争法案の重大な問題点が浮き彫りにされてきました。

 第1は、この戦争法案が憲法違反であるということです。

 6月4日に開かれた衆議院憲法審査会では、自民党推薦の参考人もふくめ、すべての参考人が、憲法違反という見解を示しました。また、6月22日の衆議院安保法制特別委員会での参考人質疑では、元内閣法制局長官がそろって憲法違反を明言しました。

 このように、集団的自衛権行使を可能とする法案は、まさに憲法違反であり、強行することは断じて許されません。

 第2は、異常なアメリカいいなりのもとでの戦争法案であるということです。 日本はこれまで、「トンキン湾事件」から「イラク戦争」に至るまで、アメリカが起こしたいかなる無法な戦争であっても、これを違法であると反対したことは一度もありません。そうした政府がアメリカの起こす無法な戦争への参戦に「ノー」ということができるはずもなく、無条件に参戦するということにならざるをえないという重大な危険性を持つものです。

 第3は、過去に日本が起こした戦争を侵略戦争と認めない政府が戦争法案を強行しようとしていることです。

 日本が引き起こした過去の侵略戦争に対する反省がまったくない政府が「海外で戦争する国づくり」に乗り出すというこれも極めて重大な危険性を持つものです。

 国民世論を見ても、6月23日付朝日新聞の世論調査では、集団的自衛権を使えるようにしたり、自衛隊の海外活動を広げたりする安全保障関連法案について、「反対」が53%で「賛成」の29%を大きく上回っています。また、今国会で成立させる「必要はない」は65%で、「必要がある」の17%をこれも大きく上回っています。さらに共同通信社が5月30・31日におこなった世論調査では、政府が戦争法案を「十分に説明していると思わない」との回答は81.4%にのぼっています。にもかかわらず、自民・公明両党は、国会会期を戦後最長の95日間延長し、9月27日までとする案を国会で強行しました。戦争法案強行のための会期延長は、まさに暴挙と言わなければなりません。

 戦争は、最大の暴力であり、国民のくらしや安全を根底から覆すものです。そして、何よりも子どもたちの未来を閉ざすものです。大阪教育文化センター機関誌『おおさかの子どもと教育』80号に寄稿した高校生は、こう語っています。「安倍首相は、集団的自衛権や戦争立法の説明をするとき、『平和』と『安全』という言葉を何度も使っていました。でも、私は『平和』と『安全』と『武力行使』がどうしてつながるのか、どうしても納得できません…戦後日本は一度も外国に対して武力行使せず、世界の国々から治安のいい、平和な国だと思われてきました。でも戦争立法によって他国でも武力行使ができるようになったら、きっと世界の日本に対する印象は悪い方に変わってしまうと思います…集団的自衛権を行使する事態が起こった時、実際に海外へ行って活動するのは私たち若い世代の人です…集団的自衛権のことや戦争立法のことはクラスの全員、ひいては日本全国の人が自分のこととして考えなければいけないことだと思います」

 高校生は、そして子どもたちは、戦争法案について真剣に考え、その危険性を見抜いています。そして、心から平和を望んでいます。私たちは、この子どもたちの願いにこそこたえなければなりません。

 子どもはその存在そのものが希望であり、その存在そのものが未来です。子どもたちの未来を閉ざす戦争法案は、廃案しかありません。

 そのため、私たちは、平和を願うあまたの人びとと手を携え戦争法案反対のとりくみを強化するものです。

 以上、決議します。

  

「大阪市廃止・分割」否決の住民投票の結果を心から歓迎します

大阪教育文化センターは、5月18日付で、以下の声明を発表しました

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「大阪市廃止・分割」否決の住民投票の結果を心から歓迎します

―力をあわせて、大阪の教育を前進させましょう―

2015年5月18日 大阪教育文化センター事務局

 5月17日投開票でおこなわれた「大阪市廃止・分割」の是非を問う住民投票は、賛成694844票、反対705585票で、「大阪市廃止・分割」は否決され、大阪市が存続することとなりました。大阪教育文化センターは、この投票結果を心から歓迎するものです。

 この間の論戦をとおして、いくつかの重要な問題が明らかになりました。

明らかになった4つの重大問題

 第1は、「都構想」というが、大阪都にはならず、今回の住民投票は、大阪市をなくし5つの特別区にしてしまってよいのかどうかを問うものであるという事実が広く明らかにされました。

 第2は、大阪府と大阪市に二重行政はない、という事実も明らかになりました。橋下・維新の会が二重行政としてあげていた府立急性期・総合医療センターと住吉市民病院、大阪府立大学、市立大学などは、二重行政どころか、大阪市民にとってなくてはならない施設であること、最後に持ち出してきたWTCとりんくうタワービルは、バブル期のゼネコン奉仕の政策の誤りであり、二重行政ではないことが明らかになり、橋下・維新の会がいう「二重行政のムダをなくすための『都構想』」という根拠そのものが崩されました。

 第3に、この間の維新政治が府民いじめ、市民いじめであり、「大阪市廃止・分割」は、この維新政治をこれからも存続させることであることが明らかにされました。敬老パスは廃止しないといっていたのに有料化する、お年寄りの足として大切な役割を果たしていた赤バスを全廃する、新婚家庭への家賃補助を廃止する、などのお年寄りから若者までのいじめ政治の実態があらためて明らかにされました。

 第4に、橋下「教育改革」は、文字どおり子どもいじめであり、子どもを大事にしない政治を続けさせてはならないということが明らかにされました。

橋下「教育改革」ノーの審判

 大阪の教育にかかわって、橋下・維新の会は、大阪市の教育予算は、ここ4年間横ばいであるにもかかわらず「教育費を5倍、6倍にした」というデマまで使って、あたかも教育に力を入れてきたかのように見せかけてきました。

 しかし、実際は、橋下氏が大阪府知事であった3年9カ月の間に大阪府の教育予算を600億円も削減し、池田小学校事件を契機に学校に配置されていた学校警備員の予算を全廃したこと、府の独自配置の教職員も全廃し、教育条件を大幅に低下させてきたことが明らかにされました。

 その一方で、「教育は2万パーセント強制」という特異な考え方にたって、「強制と競争、管理の教育」をすすめてきた結果、大阪府の校内暴力発生件数は全国ワースト1、高校中退率、高校生の不登校率もワースト1、大阪市においては、橋下氏が市長になってから、小中学校の不登校率が約1.5倍に増加するという事態になっており、子どもたちが苦しめられている実態が明らかにされました。このもとで、「子どもたちは私たちの希望」「子どもたちを苦しめる政治に未来はない」という声が大きく広がりました。

大阪市を愛する共同の力の大きな前進

 特筆すべきは、このたたかいをとおして、これまでにない共同が広がったことです。政党では、「大阪市がつぶされようとしているときに自民党も共産党もない」と、自民党、民主党、公明党、共産党がそろって反対の声をあげました。大阪府医師会、歯科医師会、薬剤師会も反対、大阪市地域振興会、大阪市商店会総連盟も反対運動をすすめました。

 今回の「大阪市廃止・分割」反対の結果をつくりだしたのは、こうした共同の力の総和にほかなりません。

大阪の教育を前進させる共同を大いにすすめよう

 大阪教育文化センターは、この間、共同研究集会や機関誌『おおさかの子どもと教育』などで、橋下「教育改革」の持つ重大な問題点を告発するとともに、「はじめに子どもありき」の立場に立った教育活動こそが、それとの対抗軸であることを積極的に発信してきました。大阪教育文化センターは、この住民投票の結果をふまえ、大阪の子どもと教育を守る共同の一翼を担い、教育現場と研究者、父母・府民、市民と結び、いっそうとりくみを強化するものです。

  

中原徹教育長の罷免を強く求めます

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パワハラ教育長に教育を語る資格なし

中原徹教育長の罷免を強く求めます

2015年3月4日
大阪教育文化センター

 中原教育長のパワハラ問題について調査をおこなっていた第三者委員会による調査報告書が2月20日に発表されました。

 この報告書では、中原教育長がおこなったパワハラの実態が詳細に明らかにされています。たとえばある職員に対しては、「人を刺しに来るときは、刺され返されることを考えてからやらないと」と卑劣な言葉で威圧、恫喝し「そういう人が一匹いれば同じようなものが何匹もいる」と、およそまともな人権感覚の持ち主であれば口にできない言葉でののしっています。また、別の職員に対しては、「邪魔になっているので仕事を外れてください」「教育監や教育次長さんと相談して…聴聞委員会を開きます」と述べて失職を示唆して脅しつけ、さらにもう一人の職員に対しては「むちゃくちゃじゃないですか。精神構造の鑑定を受けないといけませんよ。教委の幹部がこんなことではどうしようもないですよ」とむき出しの人権侵害の発言をおこなっています。

こうした事実について、報告書は「今回の調査事項に関わる教育長の発言等が、教育長としての職責として不適切であり、またパワーハラスメントとして違法性を有するものがあった」と認定しています。

 教育長は教育委員の一員であり、地方教育行政の組織及び運営に関する法律は、教育委員について「委員は…人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」としています。この規定に照らしても、中原徹氏に教育委員の資格はないと断ぜざるを得ません。また、自らのおこなった重大な人権侵害についての自覚すら持てない人物に教育を語る資格はありません。

 教育長は、学校現場での「いじめ」や体罰などの暴力一掃のために、その条件整備の先頭に立つべき役職にあります。その当の本人が、教育委員や職員を「いじめ」、恫喝するなど、断じて許されるものでなく、教育長として職を続けることは、大阪の子どもと教育にとって、歴史的な汚点を残すことになります。

 以上のことから、私たちは、中原徹教育長の罷免を強く求めるものです。

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なお調査報告書全文は以下のURLで見ることができます。(大阪府ホームページ)

 www.pref.osaka.lg.jp/attach/5181/00180630/k1.pdf

  

話し合いましょう 子どもたちの健やかな成長発達のために

話し合いましょう 子どもたちの健やかな成長発達のために

2014年秋 子どもと教育・文化を守る大阪府民会議
事務局 大阪教職員組合

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この資料のダウンロードはこちら(PDFファイル 1.54MB)

【1面】

1.学校は、確かな学力と生きる希望を育むところ

 学校は、子どもたちが自然や社会についての基本を理解し、物事の是非を自ら判断し、学び行動する力をつけるところです。また、人間的つながりを深め、民主主義の基本を理解し、人間への信頼を育て、生きる希望を育むところです。

 「高校には行かない、勉強しない」と言っていた息子が、「高校の勉強は難しいけれど楽しい。友達とも仲良しで、先生もいい」と、元気に学校に通っています。(高校生の母親の声)

2.今こそ一人ひとりを大切にする学校・教育へ

 「全国学力調査」の点数を上げるために、「テスト対策」を子どもに強いて、勉強嫌いを増やすのではなく、「学習がよくわかる」「学校が楽しい」という充実感を育てることが大切です。人は充実感が満たされれば、自分のことが好きになり、他人にも優しくなれます。人間の値打ちや学力を多面的にとらえて、一人ひとりを大切にし、豊かな人間性、生きる希望を育む学校・教育が求められています。

 学校や塾では、受験のことばかり言われます。競争させられながら勉強していく中で、ただ教科書を覚え、受験・成績のために勉強している気がします。あの学力の高いとされる北欧諸国は競争教育ではありません。一人ひとりを尊重する教育の方が自分から進んで勉強できるようになると思います。(高校生の声)

3.こんなに難しくなっている学習内容

1dLますで12はいの水が入りました。この水のかさは、何mLですか

 この問題は、小学2年生(上)の教科書にのっています。2×2などのかけ算九九は2年生(下)で学び、1×12や10倍、100倍のかけ算は3年生で学習します。こんなに難しい問題を2年生の子どもたちはわかるでしょうか。mLは、以前の教科書では3年生(下)で学び、26年前は6年生で学んでいました。学習内容は、子どもの発達段階にそくしてどの学年で何を教えるのか、子どもの実態に応じて考えられるべきです。

現在、小学2年で学ぶ学習事項

  • 体積(mL、dL、L)  (これまで扱ってきた学年 小学3年)
  • 時間(日、時、分) (これまで扱ってきた学年 小学3年)
  • 正方形、長方形、 (これまで扱ってきた学年 小学3年)
  • 直角三角形、箱の形(これまで扱ってきた学年 小学3年)
  • 頂点、辺、面   (これまで扱ってきた学年 小学3年)
  • 1/2や1/4などのかんたんな分数 (これまで扱ってきた学年 小学4年)

4.競争教育を改め、子どもに笑顔を

 日本の教育は、3回にわたって国連から「過度に競争主義的な教育制度が子どもの発達をゆがめている」と指摘され、改善するよう勧告されています。ユニセフの調査では日本の15歳の子どもの29.8%が、OECD平均を大きく上回り、「自分は孤独だと感じている」と答えています。過度に競争的な教育制度を改め、子どもたちに笑顔をとりもどしましょう。

大阪の教育 解決すべき緊急の課題は

公立志望が増えているのに、なぜ「高校をつぶすの?」

先生がまったく足りず、がんばりも限界!

 大阪府教育委員会は、昨年、公立高校再編整備計画を策定し、2018年度までに「府立高校・市立高校合わせて7校程度の募集停止を行う」ことを前提に、まず、2016年入試から咲洲高校と池田北高校の募集停止=廃校を11月の教育委員会議で決定しようとしています。

 大阪では、公立と私立への進学割合はここ3年間毎年、1.4ポイントずつ公立志望が増え、今後さらに志望は増える傾向です。少子化の今こそ、子どもたちの学びと成長を保障する高校35人以下学級を大阪府でも実施すべきです。1学級40人を前提として算出された高校数以上は不要とする「高校つぶし」は許されません。

 咲洲、池田北両校で巣立った卒業生の多くは、学ぶ喜びを高校で知り、「母校をつぶさないで」と悲痛な叫びをあげています。「高校つぶし」は子どもたちの学ぶ権利を奪う最悪の教育破壊です。

くるくる変わるな!入試制度、中1からの受験競争激化は許されません!

 くるくる変わる高校入試制度。子どもたちや保護者、学校現場の混乱は大変なものです。今年、25000人もの不合格を出した全日制公立高校2回入試制度は、大きな府民世論で原則1回入試制度に改善されました。しかし、2016年春の入試(案)では、中学1年からの評定を調査書に記述することが盛り込まれ、中学「統一テスト」導入により、受験競争が中学1年からはじまることへの懸念が指摘されています。父母や教職員の声を無視し、子どもたちのゆたかな学びと健全な成長・発達を奪う、中1からの受験競争前倒し(案)とそれにつながる中学「統一テスト」導入はやめるべきです。

「教育に穴があく」って?

 今、大阪では「教育に穴があく」つまり、病気や出産、介護で先生が休んでも、かわりの先生が長期間学校に来ず、「授業に先生がいない」「自習続き」などのとんでもない事態が広がっています。毎月、府内の50~60の学校で恒常的な「穴」があいています。

 その原因は、正規の教職員が十分に採用されず、採用不足を補うために講師が配置されているため、代替講師が大きく不足しているからです。緊急にこの問題を解決するとともに、長時間過密勤務の中で、50%教員が「過労死ライン」を超えている異常事態を解決するためにも、すみやかに正規教員をふやすことが急務です。

【2面】

一人ひとりの子どもを大切にするために

学校や子育てへの本格的支援を

 大事なことは、国や行政として・子どもの生活実態を踏まえた、学校や子育てなどへの支援を本格的にすすめ、貧困をなくし、教育条件を抜本的に改善することです。

学ぶ喜び、生きる希望をはぐくむ教育へ

  1. 豊かな学力、自分の頭で考え、すすんで行動する力を
  2. 子どもを主人公に、保護者と教職員が力を合わせてつくる学校に
  3. 教職員を増やし、きめ細かな指導ができる学校に
  4. 国と大阪府の責任で、教育予算を増やし、教育条件の抜本的な改善を

放課後の子どもたち

学童保育は留守家庭の子どもたちの放課後の居場所 ~子どもたちに最善の利益を~

学童保育は安心できる居場所

 学童保育は、留守家庭の子どもたちの放課後や学校休業日の生活と遊びの場です。子どもたちには、放課後の自由な時間、安心・安全な生活環境が保障されます。

学童保育の中で育まれる自己肯定観

 毎日「おかえり」と迎えてくれる指導員、ほっとできる生活空間、気心の知れた仲間の存在が学童保育の大きな魅力です。小学生ならではの仲間づくり、多様な取り組みによる自己肯定感、人間への信頼感などを築いていきます。

「放課後子ども総合プラン」で大きく変わる学童保育

 政府が2015年度から打ち出している「放課後子ども総合プラン」では、留守家庭でないすべての子どもを対象とする「放課後子供教室」と学童保育の一体型の運営が推進されており、施設の大規模化がすすむことが危惧され.、仲間づくり、豊かな生活内容が保障されにくくなります。指導員にかかる負担も大きく、「配慮や支援が必要な子ども」のケアが困難になります。

子どもの権利条約にもとづく学童保育の拡充

 子どもの権利条約に示された子どもたちの「最善の利益」を保障するため、すべての子どもを対象とする「放課後子供教室」と、学童保育を固有の施策として拡充することが求められています。

教育条件整備は緊急の課題

高すぎる父母負担!(新日本婦人の会2014年4~5月アンケートより)

 高校生、大学生がいる家庭の教育費平均は別表の通り。教育費の捻出は(複数回答可)、①奨学金28.2%276万円で返済339万円 ②学資保険積み立て60.8% ③子どもがアルバイト31.5% ④祖父母からの援助23.9% ⑤親がトリプルワーク23.6% ⑥その他(預貯金解約)14.6%と、なっています。

国の責任による小学3年以上の「35人以下学級」実施は白紙状態です

 都道府県段階では各自治体ごとの少人数学級が実施され、国基準の実施は大阪、広島、熊本の3県のみとなっています。35人以下学級で、「勉強がよくわかるようになった」「クラスの中がゆったりし、欠席や保健室に通う子どもが減った」など、子どもたちの学校におけるすごし方は大きく変わります。

大学生は奨学金で借金地獄!

 日本の大学の学費は70年代以降急騰し、初年度納付金は60年と比べ国立大学で約82倍、私立大学で約19倍です。世界では、OECD加盟34か国中、半数の17か国が大学授業料無償の上、32か国で返済義務のない給付型奨学金が支給されています。授業料が有償で給付型奨学金がないのは日本だけで1日本の異常さが目立ちます。

教育費をOECD諸国平均にするだけで、高校・大学授業料は無償化実現!

 日本の公財政教育支出のOECD比は3.8%で、OECD諸国平均5.6%に比べて最低です。OECD並みにすれば、教育費は8.5兆円も増え、少人数学級実施の教職員定数増(標準定数を改善)、中学校完全給食、学校施設改善などの子どもたちの学びを保障する施策が実現できます。

 国が「公立高校授業料無償化」を廃止し、「所得制限」を導入したため、年収910万円以上の家庭は授業料を納付することになりました。また、大阪では、年収610万円未満の私学授業料無償化継続が危ぶまれています。教育費無償化は世界の常識です。教育無償化のとりくみを大きく前進させましょう。