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〈総論〉新学習指導要領の本質とねらい

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大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

〈総論〉

新学習指導要領の本質とねらい
 ~徹底批判と抜本的見直しをすすめよう~

I ここが「新学習指導要領」の問題点

 3月3l日に文部科学省が官報告示した「新学習指導要領」のもっとも大きな特徴は、2006年に改悪された教育基本法が全面的に反映された初めての学習指導要領であり、多くの問題をかかえています。

 第一に、改悪された教育基本法の問題点は、教育の目標に①「我が国と郷土を愛する」との文言を明記し、「愛国心教育」が押しだされていること、②「教育振興基本計画」など、権力による教育への介入をすすめるものになっていることです。このように問題のある改悪教基法の第2条2項の条文が、新学習指導要領に前文を新設して明記されていることは重大な問題です。ここからも改悪教基法を全面的に具体化し、押しつけようとしていることは明白です。

 第二に、道徳の「教科化」をめぐる問題です。小学校では2018年度から、中学校では2019年度から教科化されます。戦前の教育は「修身」を筆頭教科として、子どもたちを戦争にかり立てていきました。その反省に立ち、戦後教育は「修身」を廃止しました。それが19ば58年学習指導要領で道徳として復活し、今回は特別の教科として格上げされます。

 これはまさに戦前の「修身」を彷彿させるものであり、国が子どもたちの人格までも支配しようとする動きに他なりません。このように、道徳の「教科化」は、この間の「戦争法」、「共謀罪」法強行、「教育勅語」をめぐる動きと相まって、「戦争する国づくり・人づくり」をねらうものといえます。

 第三は、国や財界が求める「人材育成」のために教育が大きくゆがめられようとしている点です。新学習指導要領では、英語教育が早期化され、教科化もおこなわれます。小学校3・4年生からの「外国語活動」、小学5・6年生では教科としての「英語」がはじまります。これに加え、中学・高校においても語彙数が大幅に増え、授業もすべて英語でおこなうなど、授業が高度化されます。これにともなって小学校では授業時間が増やされ、小学4年生以上は中学校と同じ年間1015時間となり、極限を超えたつめこみ教育になります。ここからは、小学校段階からのつめこみ教育で、早期から選別と切りすての教育をすすめ、一部のエリートさえ育てばよいとの意図が見えてきます。

 また、小学校から導入される「プログラミング教育」も注視する必要があります。この背景には財界や安倍政権による「第4次産業革命」があり、この達成のために必要な、ビッグデータや人工知能(AI)を活用できるような人材の育成に、教育を利用しようとしています。このように、すべての子どもたちに学力をつける観点ばなく、国や財界が求める一部のエリート育成のための教育をおしすすめようとする動きば絶対に許すことばできません。

 第四ば、教職員や学校への管理・統制を強めるものであることです。この間、「アクティブ・ラーニング」が声高に叫ばれてきましたが、「子どもが活動さえしていればよい」であったり、特定の型にはまった授業実践が多く出てきたりしたことから、授業の画一化が懸念され、文科省自ら、「アクティブ・ラーニング」の文言を新学習指導要領から消しました。

 しかし、「主体的・対話的で深い学び」を授業改善の方法として明記していることば問題です。また、パフォーマンス評価やポートフォリオ評価などの評価方法や、そのためのルーブリック(評価規準)の作成など、評価方法にまで言及していることも問題です。 本来、学習指導要領ば学習内容の大綱的基準が提示されるものであり、教育方法や評価方法などば、権力による介入が強まることから明記されてきませんでした。それを今回、ここまで踏み込んで明記したことば、学習指導要領を用いて、権力の教育介入を教育活動全体に強めようとする現れです。

 そして今回、上記のものに加え、「カリキュラム・マネジメント」との言葉を用い、学校の管理運営まで統制しようとしています。校長の権限を強化し、目標管理・PDCAサイクルを強めるためのこのような動きば、各学校における豊かな教育実践を、設定された目標を達成するための教育へと変質させることにつながります。

 以上のように、新学習指導要領は重大な問題があります。国や財界のねらいば、英語教育やプログラミング教育などの各論に散りばめられており、それらのねらいを達成するためのシステムづくりとして、総則が位置付けられています。

 2020年から順次全面実施がおこなわれる、新学習指導要領の批判をすすめ、抜本的見直しを求める大運動をすすめることが重要です。

(1)極限を超えたつめ込み教育で子ともたちは…

 小学校中学年以降で大幅に授業時間数が増加します。小学3年生で年間980時間(週あたり28コマ)、小学4年生以上ば年間1015時間(週あたり29コマ)となります。文部科学省が2015年度に調査した結果では、すでに授業時間数確保を名目に、小学校では週あたり1・2時間の上乗せ(全国平均)、そして33%の学校では週あたり2時間の上乗せをしている状態です。この状態にさらに上乗せをおこなうということば、ほとんどの学校で、4年生以上ば毎日6時間授業以上といった事態を引き起こします。

 この1015時間という授業時間数ば、戦後最悪といわれた1989年学習指導要領で示された時間数と同じです。しかし当時は週6日制であり、それを今回週5日制で行うとなると、授業時間数、内容ともに過密化し、極限を超えたつめこみ教育となります。実際に教育内容ば、現行学習指導要領において、1989年当時に近い状態に戻されており、さらに授業時間数を増やすことにより、子どもたちへの学習負担がいっそう大きくなります。このような極限を超えた授業時間数、教育内容では、学校嫌いを大量に生み、小学校段階から、選別と切りすての教育がすすむことは避けられません。

(2)大企業の求める「人材育成へ」
~英語教育、プログラミング教育のねらい~

 今回の改訂で、小学校英語の早期化と教科化、プログラミング教育が導入されます。これらのねらいは、「グローバル化」や「第4次産業革命」を名目に、大企業が求める人材育成を推進するものです。

 小学校での授業時間数増加の1つの要因となっている小学校英語は、現在小学5・6年生で行われている「外国語活動」が小学3・4年生から、5・6年生では「英語」が教科としてはじまります。教科化されることにより、英語の4領域を全て取り扱うことになり、高学年では英単語を覚えることや書くことまでも要求されます。小学校で扱う語彙数は、600~700語とされており、高度な内容になることが予想され、多数の英語嫌いを小学校段階から生み出す危険性があります。

 英語教育は入門期の指導がもっとも難しいとされていますが、その入門期の教育を担う小学校教員の中で、英語の教員免許をもっている割合は、全国でたったの5%です。そのため文科省は研修を行い、「英語教育推進リーダー」の養成をおこない、その研修を終えた教員が各地で研修をおこない、その研修を修了した教員を「中核教員」とすることで、2020年度から始まる小学校英語を乗り切ろうとしています。小学校からの英語の早期化と教科化をおこなうためには、全国で14万4千人の担任に研修を行う必要がありますが、2018年度までに育成ざれる「英語教育推進リーダー」は全国でたったの1000人、「中核教員」も2019年度までに、2万人ほどです。大半の教員がまともに研修を受けることができない状態で、子どもたちに英語を教える事態が起こることは大きな問題です。

 小学校における英語の早期化と教科化は、小学校だけの問題ではなく、中学・高校の英語教育にも大きな影響を及ぼします。小学校での語彙数の増加に伴い、中学校では3~5割、高校では3~7割の語彙が増加します。中学校卒業段階においては、現在1200語であるものが2500語へと倍加します。そして、中学・高校での授業は全て英語でおこなう、「オール・イングリッシュ方式」をとることになっており、授業についてこられない生徒を多数生み、教育困難を引き起こす危険があります。

資料 <外国語教育の語彙数の変化>
小学校:  明記なし⇒600~700語
中学校:  1200語⇒1600~1800語
中学卒業レベルで:2500語
高等学校: 1800語⇒1800~2500語
高校卒業レベルで:3000語⇒4000~5000語

 

 この流れの背景には、国や財界が求める一部の「エリート人材」の育成があります。安倍首相の私的諮問機関である教育再生実行会議の「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」では、グローバル人材育成の数値目標ば、年間10万人とざれています。しかしこれは、高校卒業の生徒数の1割程度のものであり、ここからも、すべての子どもたちに外国語を学ぶ楽しさや、基礎的な学力をつけることが目的ではなく、「一部のエリート人材」を育成することが目的であることがわかります。このような政策のもとでの英語教育は、多数の英語嫌いを生み出し、早期からの選別と切りすてがすすむ危険性を大きくはらんでいます。

 プログラミング教育はどうでしょうか。

 小学校においては、総則・理科・算数・総合においてプログラミングに関する記述があり、中学校の技術科では、これまでの内容から大きく高度化しています。

 この導入の背景にも、英語教育と同様に、財界が求める「人材育成」があります。昨年4月19日に行われた産業競争力会議において、初等中等教育からのプログラミング教育の必修化がいわれ、6月に閣議決定した「第4次産業革命」のための産業政策である「日本再興戦略2016」にも反映ざれました。これに呼応するように、文科省にプログラミング教育に関する有識者会議が設置され、そこでの議論が、新学習指導要領に反映ざれています。これらの流れからも、一連の産業政策の中で、この「プログラミング教育」が出てきたことは明白です。しかし英語教育政策と同様に、ここで求められる人材は、世界レベルは年間5人、企業トップレベルで年間50人と限られたものであり、すべてを合計しても年間6万人ほどです。ここからも一部のエリート教育のためのものとしか言いようがありません。

(3)道徳の「教科化」の問題点

 道徳の「教科化」をめぐっては、新学習指導要領より一歩早く、2015年度に一部改訂がなされ、小学校では201価8年度、中学校は2019年度から、「特別の教科道徳」がはじまります。

 道徳の教科化は国が子どもたちの内心にまて介入するものであり、戦前、筆頭教科であった「修身」の復活です。道徳が教科化されることにより、ア、国が検定した教科書を使うこと、イ、評価をおこなうこと が、大きな問題となります。この間の小学校道徳教科書検定では、文科省が「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」とし、小学1年生では、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」観点から、「パン」屋さんが「和菓子」屋さんへ、「アスレチック」
が「和楽器」へと変更させられ、小学4年生では、「高齢者に尊敬と感謝の気持ちをもって接すること」の観点から、「しょうぼうだんのおじさん」が「しょうぼうだんのおじいさん」に変更させられました。このことは国が検定をおこなうことで引き起こされた問題です。また、国が検定を行うことによって、特定の価値観に基づいた教科書がつくられ、それによって授業がおこなわれることは、国が子どもたちの内心にまで介入することにつながります。また、教師が指導しやすいようにとのことで、冒頭や末尾に設問が入れられたものが多くあったとされています。あらかじめ設問を示すことは、読み手の子どもたちに先入観を与えるとともに、読み方を規定する危険があります。これでは、子どもたちが自由に本音で語れる道徳ではなく、建前を刷り込まれるものへと、道徳の授業が変質させられてしまいます。

 そして、子どもの心に評価をつけることも大きな問題です。文科省は、「記述式で、他人と比較しない個人内評価」とするとしていますが、そもそも子どもたちの内面を評価すること自体が大きな問題です。

 道徳の教科化をめぐっては、教科化の理由が明確にされていません。この間、安倍「教育再生」の名のもとに教育基本法を改悪し、徳育の教科化を主張してきましたが、そもそも道徳を教科化したところて、いじめ問題が減り、それらが解決する根拠はどこにもありません。他にも、「道徳は他の教科に比べて軽視されている」といった筋違いの理由をもとに、中教審等て議論が重ねられてきました。

 ここからも「はじめに教科化ありき」の観点から議論が進められたことがわかります。道徳の授業がない高校においては、今回の改訂で、社会科の枠組みを大きく改変し、公民科の「現代社会」を廃止し、「公共(仮称)」を新設するとしています。

 この公共は高校版道徳の様相をおびており、今後注視する必要があります。

 この「道徳」教科化や「公共(仮称)」新設の背景には、「戦争法」や憲法改悪の動きがあり、「戦争する国づくり・人づくり」と一体となったものです。道徳を教科化することで、22もの徳目からなる、国が検定した教科書を使うことで、特定の価値観を小学校段階から刷り込み、国家に従順な人づくりをすすめることをねらっています。

(4)国が育成すべき「資質・能力」を規定したことの危険性

 国が教育目標として特定の「資質・能力」を規定したことは大きな問題です。

 しかもそこで、「学びに向かう力、人間性等を涵養すること」と人間性までも国が規定しようとしていることです。道徳の「教科化」と相まって、国が人格まて縛ってしまおうとする、非常に危険な動きです。本来の教育の目的は「人格の完成」であり、その人格は特定のものではなく、人間がもっているあらゆる側面を十分に伸ばす、全面発達の保障です。しかし、今回のように国が特定の「資質・能力」を規定するということは、国が求める特定の力を伸ばすことになり、人格支配にもつながるものです。

 この「資質・能力」の規定によって、これまで4観点であった評価の観点が、3観点に変更されます。ここにも大きな問題があります。これまで、「関心・意欲・態度」としていたものが、「主体的に学習に取り組む態度」と変えられ、子どもの態度のみを評価することになります。しかもその対象はすべての教科です。

 これは、徹底した「態度主義」「態度評価」への転換をねらったものであり、非常に危険なものです。これは、学習指導要領に初めて設けられた「前文」に、改悪教育基本法第2条2項が載せられたことと結びついています。

 この条文はすべてが「~の態度を養うこと」となっており、新学習指導要領にこの条文をもち込むことで、「態度主義」を徹底したことは明白です。

 これでは外見の態度を整えることが教育の目標とされ、建前の態度のみが評価され、子どもたちは授業や学校生活の中で本音で語ることはできません。大きく学校教育がゆがめられてしまいます。

(5)学校運営にまでも国が介入する

 文科省が声高に強調してきた「アクティブ・ラーニング」は新学習指導要領から文言こそ消えました。しかし、「主体的・対話的で深い学び」による授業改善を中心にすえるとしており、これは授業改善の方法で教育方法を縛る介入です。また、文科省が「主体的・対話的で深い学び」と読み替えたことにも重大な問題があります。本来「深い学び」をおこなうためには「批判的な思考」が必要不可欠です。そのためOECDのキー・コンピンシーやメディア・リテラシーでは、批判的思考の育成をその中核に位置づけています。しかし総務省は、「批判的」という言葉を「主体的」という言葉に置き換えて、メディア・リテラシーを「メディアを主体的に読み解く能力」と定義しています。

 今回の文科省のやり方は、総務省とほぼ同様のものです。しかし、「批判的」という文言を封じて「主体的」といった言葉を用いていることには、注意する必要があります。今回の改訂では、予測困難な時代に向けてといったことが声高に叫ばれています。それであればなおさら、批判的な思考が必要となります。しかし、今回の文言に「批判的」との言葉はなく、むしろ「批判的思考」を排除するために、「主体的」との言葉が用いられています。

<国が示した「資質・能力」>
①知識及び技能が習得されるようにすること
②思考力、判断力、表現力等を育成すること
③学びに向かう力、人間性等を涵養すること

 

<学習評価の変化>
①「技能」「知識・理解」→「知識および技能」
②「思考・判断・表現」→「思考力・判断力・表現力」
③「関心・意欲・態度」→「主体的に学習に取り組む態度」

 

 物事を批判的にとらえることを排除すると、あらゆることに無批判で従順であること価つながります。このような危険な視点を、授業改善の教育方法として意図的に押しつけることは、無批判で国家に従順な人づくりをねらうものとして、断じて許されません。

 また同様に、評価方法に関しても具体的に規定し、統制の強化をねらっています。

 そして、教育方法や評価方法への介入に加え、「カリキュラム・マネジメント」で規定していることは「PDCAサイクル」そのものてあり、数値等による目標管理を強いるものとなっています。これにより、校長の権限が強化され、より一層の教職員への管理と統制が強められる危険性があります。

Ⅱ 私たちが大切にしたいこと
~すべての子ともたちが安心して学べる学校を~

(1)すべての子ともたちに学ぶ権利を保障しましょう

 新学習指導要領は、国や財界が求める一部の「エリート」育成をめざすものとなっています。しかし、すべての子どもたちには、憲法26条において「ひとしく教育をうける権利を有する」と「学ぶ権利」が保障されています。大幅な授業時間数の増加や、英語教育の早期化と教科化、プログラミング教育などにより、早期からの選別と切りすてをすすめる教育ではなく、すべての子どもたちに基礎学力をつけ、一人ひとりの成長と発達を保障する教育を求めていくことが大切です。
そして、それらの実践は、目の前の子どもたちから出発した実践であることが同時に求められます。

(2)目の前の子ともたちから出発した教育課程づくりを、父母・地域と共同して

 戦後最悪の新学習指導要領ですが、総則第1の1において、「各学校において…教育課程を編成するもの」とし、教育課程編成権は各学校にあることを明記しています。各学校の実態を無視して教育をすすめることはできず、各学校の教育課程編成権は保障されています。このことに依拠しながら、各学校において民主的な教育課程づくりをすすめることが重要です。

 また教育の条理は、子どもの成長・発達を助けるという、いつの時代、どのような世の中であっても変わらない、教育の本質的な目的と、その営みは、子ども・父母、教職員の直接的な関係ですすめられ、国民に対する直接責任によって裏打ちされています。

 憲法と教育の条理、子どもの権利条約にもとついた教育課程づくり、父母・国民との合意に基づいた学校づくりをすすめていくことが、今こそ求められています。

(3)移行措置期間も大問題!

 移行措置期間も大きな問題があります。

 ここでは2点指摘します。

 1つは、漢字の取り扱いです。完全実施を前に、2018年度の4年生以降は、新しい漢字配当表を使用することになります。

 2つ目は算数です。「簡単な割合」が4年生へ、「速さ」が5年生におろされ、「メートル法」は3年生からになります。

 どれもが、子どもたちの発達段階と系統性を無視したもので問題です。(英語は、生活・総合のぺージを参照)

  

道徳~教科化のねらいはどこ?~

新学習指導要領 職場討議資料 > 道徳

道徳  ~教科化のねらいはどこ?~

I 領域としての道徳から、教科化された道徳へ

<道徳の学習指導要領等における変遷〉

修身〈戦前〉
 ○筆頭教科
 ○徳目を定め、愛国心教育
 ○戦争の反省から、戦後は廃止
道徳〈1958年版~〉
 ○道徳の時間を特設
 ○学習指導要領が法的拘束力を持つようになる
特別の教科「道徳」〈2018年~〉
 ○教科化に伴い、検定教科書を使用し、評価を行うことに

Ⅱ 道徳の「教科化」の問題点

(1)道徳の特徴   ~歴史とともに道徳は変化する~

 それぞれの教科には、「科学性」に基づく、学問体系とそれによる研究の到達点があり、教科の内容や教科書もそれを無視することはできません。しかし、道徳の場合は、その時々の権力者によって内容が左右される危険性が常に付きまといます。

 また、道徳が教科化されることで教育すべき価値内容を誰が決めるのかといったことが問題となってきます。これを学習指導要領によって規定することで、価値内容を国家がストレートに決めることが可能になります。これは特定の価値観の押しつけにつながる重大な問題です。

 そもそも道徳とは、人間関係を規定する社会的規範の体系のことをいいます。

 そのため、法律や規則、習慣や礼儀・作法などの根底にあるもので、歴史的に変化します。このような点から考えると、今の日本社会が直面する「働くルール」の問題は、現代的な道徳問題といえます。

 「生産性を高くすること」と「人間の尊厳」、「勤勉に働くこと」と「生命と健康」のどちらが価値として重いのかということが問われているのです。

 それを国が一方的価決め、押しつけている徳目だけでは、到底価値判断を行うことはできません。特定の価値観を押しつけ、価値観を統一するのではなく、道徳の時間で大切にしなければならないのは、価値のすりあわせをおこなうことです。

(2)教科書と評価の存在

 道徳が「教科化」されることで、教科書の使用と評価をおこなわなければならなくなります。この2つはとても重要な問題です。教科書に関しては前述の通り、明らかな国の介入があり、特定の価値観が押しつけられていることは明白です。

 そもそも国が検定をおこなうことで、どの教科書においても国家による特定の価値に基づいたもの価なります。それが、道徳であればとても危険です。

 また、教科化によって評価の問題が出てきます。文科省は、「数値による評価ではなく、個人がどのように成長したかを見る、個人内評価て評価を行い記述式」としています。しかし、そもそも子どもの内面を数値化できるはずもなく、心に評価をつけること自体が大きな問題です。

 教科書作成でもとにしたものは、文科省『私たちの道徳』~「よりよい教科書はない」~

 これに加え、教科書会社は文科省『わたしたちの道徳』をもとに今回の教科書を作成しています。実際に「私たちの道徳」で使用されていた読み物資料の反映が多く見られます。そもそも『私たちの道徳』は文科省が作成したものであり、国家による特定の価値観を押しつけるねらいで作られたものです。またどの教科書もこの教材をもとに作られたことで、一定の枠に収まった単一化されたものとなり、同時に冒頭や末尾に設問を入れて読み方を規定し、さら価は「心のノート」と同様にワークシートの書き込みを盛り込んだものなど、22の徳目へ意図的に導くものとなっています。

 多様に価値を認め合うことこそが必要な道徳に対して、どの教科書も特定の徳目へ導くものとなっており、「よりよい教科書」として認めることはできません。

 国が道徳を教科化したねらいは、教科書と評価を通じて、特定の価値観の押しつけを徹底することにあり、このねらいを明らかにしていく教科書検討をすすめることが重要です。

設問とふりかえりスペースの存在

 今回の教科書では、あらかじめ設問を設け、最後にふりかえりを書き込むスペースを設けているものがあります。設問があらかじめ示されることは、子どもたちから本音で語り合うことを奪い、その設問の答えを探す建前を教えることにつながりかねません。また、最後にふりかえりのスペースが設けられていることについて、「心のノート」の作成に大きくかかわった押谷由夫氏(元昭和女子大)は、「各社が教科書に盛り込んだ設問を予習に活用し、授業て話し合って多彩な意見を知るといった指導もできるだろう」(3月25日「日経」)、「ワークシートの記述は、教師の評価に役立つだけではなく、子供が後で何度も読み返し、自分の成長を実感できる」(3月25日「読売」)と述べています。しかし、そこには教師の評価が書かれており、そのようなふりかえりを何度も見ることは、心の成長を見るものではなく、教師に評価された特定の価値観に基づいたものの刷り込みにつながります。

 設問→文章→ふりかえりスペースといった流れを貫徹することは、授業の画一化を生むだけでなく、特定の価値観を刷り込み、押しつける装置でしかありません。

Ⅲ わたしたちが大切にしたいこと

① 憲法と教育の条理、子ともの権利条約に基づいた、民主的道徳教育の視点を大切に、実践を展開しよう

 民主的道徳教育をすすめる上で鍵になるものは、「自主性」と「人権尊重の精神」です。道徳的諸価値の構造の根底にあり、全体を基礎づける価値が「自主性」であり、構造の全体を貫くものが、「人権尊重の精神」といえます。そのため、憲法に基づく民主主義の精神、人権尊重の精神が目標、内容、方法に貫かれていることが重要です。

② 教科書を使うことに縛られない実践で乗り越えよう

○教科書の使用義務はあります。しかし、その他の教材を使用することも認められています。そして教科書はあくまで、「主たる教材」です。

「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる」(学校教育法第34条第2項)

「『教科書』とは…主たる教材」(教科書の発行に関する臨時措置法第2条)

○中央教育審議会も読み物資料に偏った授業は否定しています。

 「道徳教育の指導方法をめぐっては、これまでも、例えば、道徳の時間において、読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることや、発達段階などを十分に踏まえず、児童生徒に望ましいと思われる分かりきったことを言わせたり書かせたりする授業になっている例があることなど、多くの課題が指摘されている」(中央教育審議会「道徳に係る教育課程の改善等について」)

○学習指導要領も特定の価値観を押しつける教材を否定しています。

「多様な見方や考え方のできる事柄を取り扱う場合には、特定の見方や考え方に偏った取り扱いがなされていないものであること」(学習指導要領)
これらを活用し、教科書に縛られることなく、目の前の子どもたちにあった資料を使った授業をつくりだしましょう。

③ 評価することされることに教師も子ともも縛られず、記述評価の利点をいかし、子ともたちに励ましの評価を

○評価は子どもたちを励ますものです。

 評価というものは、子どもたちをランク付けすることではなく、子どもたちの普段の様子や、学習の到達点をさらに伸ばし高めるために、子どもたちを励ますものでなければなりません。

○記述式評価の利点を生かし子どもたちの良いところを記述しましょう。

 文科省は「数値による評価ではなく、記述式で評価を行う」としていますが、そもそも子どもたちの心に評価を行うことは大きな問題です。

 そして、記述式であれ、そこで特定の価値観を押しつけるようなことがあってはなりません。

 しかし、記述式評価をおこなわなければならないのは事実です。記述式評価の利点をいかし、子どもたちのよいところを積極的に書き、子どもたちが励まされる評価にしていくことが非常に重要です。また、子どもたちが評価を気にしすぎて建前を書くような授業ではなく、本音を出せる授業のためにも、道徳のみならず、学級活動や学校活動全体を通じて、子どもたちが本音を出せる、出しあえる環境づくりもあわせて重要となってきます。

④ 批判的検討力を身につけることが大切

○教科書の記述を逆活用するのもあり!

 教科書の内容を子どもたちが鵜呑みにすることは非常に危険です。むしろ、「教科書に書かれていることは本当にそうなのか」、「教科書に~と書かれているけれども、なぜそうなるのか」といったように、内容を批判的に見て、批判的に問う力を子どもたち価身価つけさせることが大切です。その時の考える視点は、事実や根拠に基づいたものであり、議論をおこなう場合も合意をもとにすすめられることが重要になります。

○価値の統一ではなく、価値のすりあわせが大切

 文科省は「考える道徳」と「主体的・対話的で深い学び」を押しつけようとしています。対話をおこなうことで大切なことは、価値を統一することではなく、「価値観のすり合わせ」をおこなうことです。これ価より、お互いを理解すること、認めることができ、「道徳的価値認識」を高めることができます。このような価値のすり合わせをおこなおうと思うと、当然教科書通りの枠にはまったものでは限界があります。

(『おおさかの子どもと教育』85号p14~17 久田敏彦論文参照)

 道徳の教科化を、「戦争する国づくり」のための、国家に従順な人づくり(=戦争する人づくり)に利用しようとする反動的意図を許さないためにも、教科書に書かれていることに従順に従うような授業や、国家に従順な人づくりではなく、物事を批判的に分析し、他人と議論を重ねる中で、価値をすり合わせ、認識を高めていける子どもたちを育てることが、いま重要になっています。

道徳教科書検討の視点

(1) 憲法・子ともの権利条約にもとつく徳目や、教材になっているか

(2) 真理・真実に基づく内容で、科学的精神・合理的精神・批判的精神を育むものとなっているか

(3) 子どもの成長・発達段階にそくしたものになっているか

(4) 特定の価値観を押しつけるものになっていないか

(5) 子どもの生活の事実や関心から遊離したものになっていないか

  

新学習指導要領の特徴と問題点 「総則」

新学習指導要領 職場討議資料 > 総則

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

ここが問題!学習指導要領(総則編)

改悪教育本法の全面的な具体化

改悪教基法(2006)第2条(教育の目標)

1 幅広い知識と教養を身に付け,真理を求める態度を養い,豊かな情操と
道徳心を培うとともに,健やかな身体を養うこと。

2 個人の価値を尊重して,その能力を伸ばし,創造性を培い,自主及び自
律の精神を養うとともに,職業及び生活との関連を重視し,勤労を重んずる態度を養うこと。

3 正義と責任,男女の平等,自他の敬愛と協力を重んずるとともに,公共
の精神に基づき,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与する態度を養うこと。

4 生命を尊び,自然を大切にし,環境の保全に寄与する態度を養うこと。

5 伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

事実上,国が定めるスタンダード化

教育内容・教育方法,学校運営を学習指導要領で縛る!

【新学習指導要領】

前文に改悪教基法第2条(教育の目標)をまるごと載せ,それにもとづく教育の実現をめざす→改悪教基法の初の具体化

「授業改善」と「道徳の教科化」で教育内容と教育方法を縛り,カリキュラム・マネジメント(PDCAサイクル)で点検

注:=おもな問題点
  =捉え返して対抗軸として使える項目

問題1

「人格の完成」から「資質・能力の育成」へ
「授業改善・道徳の教科化・カリキュラム・マネジメント」

【教育課程の役割】[1]

各学校において,適切な教育課程編成

 ▲「主体的・対話的で深い学び」の実現を授業改善で
「アクティブ・ラーニング」という言葉は消えたが,「主体的・対話的で深い学び」で授業内容・方法の画一化ねらう
②・活用,思考力,判断力,表現力「態度」を養う
 ・道徳教育=特別の教科道徳を要に
  →畏敬の念,伝統文化,我が国と郷土を愛し,…
③資質・能力について→国がきめる
 ・知識・技能・思考力,判断力,表現力
 ・学びに向かう力人間性の涵養
④各校がカリキュラム・マネジメントに努める

問題2
横断的視点の資質・能力育成と授業負担
週あたりの負担過重避けるために長期休業中に授業あてる

【教育課程の編成】[2]
①家庭,地域との共有→社会に開かれた教育課程
②横断的視点に立った資質・能力の育成
③内容等の扱い=学校によって必要がある場合→加えて指導
    「負担過重さけよ」と言っているが,
・授業時数等の取扱いは
  週あたり時数…負担過重ならないように夏休みなど
  長期休業日に授業日を設定するなど適切な授業時数をあてる
・主体的・対話的で深い学びの実現へ授業改善
       →資質・能力育む(指導計画作成の配慮事項)
④幼小間,小中高間の接続
 義務教育学校=9年間を見通した編成
  「小中一貫」を口実とした教育内容・方法の統制

問題3
道徳教育=指導内容の重点化
法・きまりを守る,伝統・文化尊重愛国心強調

道徳教育配慮事項】[6]
①指導内容の重点化
・低学年=善悪の判断,きまりを守る
・中学年=集団や社会のきまりを守ること
・高学年一法やきまりを守る 伝統,文化,愛国心
・中学校一法やきまりの意義「日本人としての自覚」
②道徳教育に関する活動→公表

学習評価】[3]
主体的,対話的で深い学び→授業改善
 「見方・考え方」が鍛えられていくように
 言語能力の育成=言語活動の充実
 情報活用能力の育成=プログラミング体験(小)
②学習評価の充実 資質・能力の育成に生かす

発達の支援】[4]
・キャリア教育の充実
・特別な配慮・指導で障害児のほか,
 新たに日本語困難,不登校を入れる

学校運営上の留意点】[5]
カリキュラム・マネジメントでPDCAサイクル化
家庭・地域との連携各校の連携…教員増見込めない

学校の教育課程編成権をもとに
各校で今まで蓄積された実践を活かして取りくもう

社会に開かれた教育課程の実現が重要【前文】
学習指導要領は大綱的基準としていること
各学校が特色を生かし,創意工夫を
長年にわたり積み重ねられてきた教育実践や学術研究の蓄積を生かし【前文】
 各学校において,適切な教育課程を編成する[1]
           ↓
 学校の教育課程編成権が保障されています。それぞれの学校でこれまでに積み重ねてきた教育実践や研究,蓄積されてきた学術研究を,そのまま使えます。それぞれの特色を活かして実践をすすめましょう。

★特活で掲げる行事を「総合」に振替え可能
 時数削減で学習負担を少しでも減らそう

授業時数をどうするか[2]

10~15分→時数にカウント
総合のまとめ取り可能
学校行事を総合にカウントして実施(現行指導要領も)
           ↓
 各学校で「創意工夫を生かした」時間割の弾力的編成が可能です。かき集めると,相当な時間が確保できることがこれまでの実践で明らかになっています。
 また,校外学習,体育行事,修学旅行などの行事を「同様の成果が期待できる」場合に総合にカウントできます。これにより,授業時数を削減できる可能性が生まれてきます。

  

新学習指導要領 批判分析 国語

新学習指導要領 職場討議資料 > 国語

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

国語

 国語科の主に小学校の学習指導要領について、まず、いくつかの間題点を指摘したいと思います。

1.「目標」について

 「目標」では、冒頭に「言葉による見方・考え方を働かせ」という文言がでてきます。この「見方・考え方」は、「総則」を反映して、国語に限らずすべての教科に新しく使われています。これが授業改善の軸とされるならば、いっそう授業の計画や展開が拘束される恐れがあります。

 現行にはない3点の目標がおかれていますが、そこでは「日常生活」という言葉が強調されています。これが日常生活に必要な程度の国語力で良い、という意味であるのならば、文学などを深く読み取る力は大部分の児童には必要がないということを意味します。また、日常生活にも、規範意識を持たせるという意味であるのならば、国語の授業時間以外にも踏み込んで規範に従う児童を育てるためと考えざるを得ません。さらには、「日常生活」に対して、教師はどのように評価すればいいのかという疑問も浮上してきます。

 また、「国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う」も目標とされていますが、これは、明らかに態度重視であり、スタンダードなど型にはめる教育が危惧されます。これを目標として位置付けるのは適切ではないと考えます。

 さらに、現行では「国語を適切に表現し正確に理解する能力」となっているものを順序を入れ替えて「国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力」としていますが、これも「総則」にいう「資質・能力」の反映であると考えられます。

2.各学年目標等について

 すべての学年で、目標の(1)に「日常生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに、我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。」と述べられています。これは、目標で指摘したように、「日常生活」という限定をすべての学年の目標にしていることを意味します。また、現行では「伝統的な言語文化」という表現が使われています。これ自身問題で、この文言のために、低学年での神話や中学年からの文語文が入れられて現場では指導に困難をきたしているものですが、新学習指導要領では、「我が国の言語文化」という文言にされています。「愛国心」の押しつけが問題にされている時期での「我が国の」という文言変更は、それに連なるものと考えられます。また、教育内容については、先に述べた神話や古典はそのままにされており、いまある指導困難は、解決されません。

 また、この「我が国の言語文化」の指導内容に、1・2年では、「長く親しまれている言葉遊びを通して、言葉の豊かさに気付くこと。」が新設されています。

 これが「わらべ歌」などのことを指しているのかどうか現段階では不明ですが、気になるところです。

3.各学年の指導内容について

 「読むこと」では、例えば1・2年では「分かったことや考えたことを述べる活動」「内容や感想などを伝えあったり、演じたりする活動」「分かったことなどを説明する活動」があげられていますが、現行の「本や文章を楽しんだり、想像を広げたりしながら読む」が削除されています。国語の時間の豊かさをそぎ落とすような内容になっており、豊かな文学体験や論理的な説明文学習などが軽視されるのではないかと危惧されます。

 また、「伝え合い」が重視され、個人の読みを深める点が軽視されています。他の学年についても同様の傾向があり、5・6年では、「自分の課題を解決するために」が削除されています。

 3・4年の「話すこと・聞くこと」では、ア「目的を意識して」「伝え合うために必要な事柄を選ぶ」イ「相手に伝わるように」とされ、現行のア「関心のあることなどから」が削除されています。

 これをみると、個人の関心や興味に基づくものでなく、相手や目的を重視したプレゼン能力の育成を目指しているように思えます。他の学年についても1・2年では、現行の「思い出す」から「選ぶ」に、5・6年では、「考えたいことや伝えたいことなどから話題を決め」が「目的や意図に応じて話題を決め」に変更されています。

 これでは、国語科の目的が、小さなビジネスマンを育てるかのように変質させられるのではないでしょうか。

4.私たちの対抗軸

 よく読めば、新学習指導要領の文言の中にも私たちが今まで積み重ねてきた実践と捉えかえせる部分もあります。これを活用した実践は、対抗軸となり得るのではないでしょうか。

 例えば、1・2年Bの「書くこと」では、「経験したことや想像したことなどから書くことを見付け、必要な事柄を集めたり確かめたりして、伝えたいことを明確にすること」「文章に対する感想を伝え合い、自分の文章の内容や表現のよいところを見付けること」などが述べられています。

 これは、私たちが、生活綴り方の実践の中などでごく当たり前にしてきたこと、と捉えかえすことができるでしょう。

 もちろん、文学教育や説明文の指導で積み重ねてきた実践を、教育課程の民主的編成として具体化することは、大変重要なことです。スタンダード化など教師が枠にはめられていく傾向が強まっている中、「新学習指導要領のもとでも、こういう実践ができる」という方向性を示していくことが必要であると考えます。