新学習指導要領に立ち向かう 算数

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大切なことをていねいに教える算数の授業を!

大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収

1 子どもたちの「現状」と新学習指導要領

 くり下がりのひき算で指を使っている子どもがたくさんいませんか?かけ算九九が十分に定着していない子どもが多いとは思いませんか?わり算が苦手な子どもが増えてきているように感じませんか?私の周りでは、そんな声が聞こえます。

 一方、全国学力・学習状況調査(全国学テ)の結果からは、「割合や応用問題に課題がある」などと分析されているようです。

 そんな中で出された新学習指導要領では、このような「現状」が改善されるような改訂がされたのでしょうか?

 新学習指導要領の主な変更点をまとめたのが、下の表です。現行2年生の分数学習は「1/2、1/4など」とされています。これは、折り紙や紙テープを折って分数を学習するときに、「1/3」を作ることは難しいための配慮だと言われています。しかし、新学習指導要領では「1/2、1/3など」と、1/3も学習することになりました。

 また、メートル法の一次元の単位(長さ・かさ・重さなど)を3年生で学習する関係で、これまで「10、100、1/10」のみだった倍の学習に「1000倍」が加わっています。

 さらに6年生では、中学生でも理解が難しいと思われる「中央値・最頻値」などを扱うことになります。

 全体として、現状の困難さを置き去りにしたまま、学習内容は増え、そして難しくなったと言えるでしょう。

 このように学習内容を難しくした背景には、おおむねふたつの理由があると思われます。

 ひとつは、「全国学テで正答率の低い内容は、より早くからくり返し学習させよう」という考え方です。分数や割合の例が、これにあたるでしょう。
もうひとつは、「将来、働くときに知っておいて欲しい知識は、全員貝がわからなくてもかまわないから教えてしまおう」
という考え方です。1000倍の追加や、中央値・最頻値などがこれにあたります。

 そこからは「学習する内容には、子どもの発達に応じた適当な時期がある」という考え方や、「子どもたちひとりひとりを大切に育てよう」という発想は感じられません。それどころか、子どもの発達を無視して「社会」が必要とする知識を一部の子どもにだけでよいから身につけさせよう、という姿勢さえ感じてしまうのです。

2 大切なことをていねいに致えよう

 このような新学習指導要領を前にするべきなのは、大切なことをていねいに教えることではないでしょうか。そのためには、「大切なこと」は何なのかを、私たち自身があらためて心に留める必要があります。

 たとえば、十進位取り記数法の仕組みは、低学年の数の入門期から高学年での小数の学習までを通した大切な学習内容です。メートル法の仕組みにも関連し、十進構造とは異なる仕組みの分数の理解にもつながります。

 量と場面もそのひとつです。その問題で扱われている量が「子ども1人」「アメ玉1個」のように小数・分数にはできない量(分離量)なのか、「ジュース1.2L」「時速21.3㎞」のように小数・分数にできる量(連続量)なのか。また、同じ「3+2」になる文章題でも「3個と2個を合わせる(合併)」たし算なのか「3個から2個増える(添加・増加)」「3個より2個多い(求大)」たし算なのか。ひき算なら求算なのか求差なのか求小なのか、わり算なら等分除なのか包含除なのか、…など、量と場面の仕組みとそこから導かれる演算の意味は、大切にするべき内容です。また、1あたり量とかけ算・比例・割合の仕組みや意味の理解も大切だと言えます。

 このように書くと大切なことがとても多く、新学習指導要領によっておこる困難さを克服することは難しいと思われるかもしれません。でも、そんなことはありません。ここで挙げた内容は、ある単元その学年限りではなく、算数・数学教育を通して一貫する大切な意味や仕組みです。大切に扱わなければいけませんが、決して多くも難しくもない。常に意識し続けることで、また発達に合った時期に学習することで、子どもたちは深く理解することができます。そして私たちは、それほど大切ではない内容を軽く扱うこともできるようになり、大切なことをさらにていねいに教えることができるようになるのです。

 そのような実践は、民間教育サークルをはじめ、これまでの研究成果に学ぶことで十分に可能です。

3 新学習指導要領の困難さへの対応

 大切なことをていねいに教える実践はこれまでの成果に学ぶとして、新学習指導要領の困難さにはどのように対応すればよいのでしょうか02年生の分数と3年生のメートル法について紹介します。

 「2年生の分数がわかる」とはどういうことでしょうか? 私は、「(たとえば)1枚の折り紙をを2等分したうちの1枚を1/2枚という」ことがわかることだと考えています。では、その理解のためにこれまで「1/2、1/4」だった学習内容を「1/2、1/3」にあらためる必要があるのかといえば、そんなことはありません。分母が2であれ3であれ4であれ、「□等分かしたうちのひとつを1/口という」ことは理解できるからです。そうであれば、折り紙や紙テープで作りにくい1/3を学習することは、分数理解に関係ないばかりか、必要以上の難しさを子どもたちに押しつけることになってしまいます。そんなことはせず、子どもの実態に合わせて私たちが、学習内容を調整すればよいのです。

 では、メートル法はどうでしょうか。メートル法の学習で子どもたちが戸惑うのは、単位換算でしょう。そうであれば、教具を使うことで対応できそうです。

 例えば「1㎞は1mの1000倍だから、2.3㎞は1000倍して2300m」ということを頭の中で考えることは難しくても、単位換算表を使うことで、メートル法の仕組みと単位換算の方法を理解することは十分にできます。

 右ぺージの単位換算表は、はがきサイズの画用紙に印刷し、ラミネートして使うタイプのものです。水性マジックで書いてティッシュペーパーで消せば、くり返し使えます。

 ここで紹介したのは一次元の単位(長さ・かさ・重さ)用ですが、同じ発想で、二次元(面積)用・三次元(体積)用を作ることができます。

 このように、その学習の本質的な意味を私たちが理解し、子どもの実態に合わせて柔軟に対応することで、指導要領の困難さを克服することができるのではないでしょうか。

4 カリキュラム作り・テスト作りに手を伸ばそう

 今回の指導要領改定を受けてあらためて考えたいのは、カリキュラム作り(教育課程の自主編成)とテスト作り(指導と評価の一体化)です。今、私たちの実践は教科書と市販テストに縛られすぎてはいないでしょうか。子どもたちに生きて働く本当の学力をつけるためには、目の前の子どもの実態を踏まえた柔軟な実践が必要です。子どもに合わせて教科書の問題の数字や場面をほんの少し変えるだけで、わかる・できる授業になるはずです。そのような授業ができたときには、市販テストだけでは評価できないこともあります。

 多忙さを極める中、カリキュラムやテストを作るなんて無謀だと思われるかもしれません。しかし、私たちは授業の工夫・評価の工夫をたくさん持っています。

 私自身の経験ではカリキュラム作り・テスト作りは決して難しいことではなく、それこそが、子どもたちに大切な内容をていねいに教え、私たちの多忙さを軽減する大切な鍵になり得ます。

 新学習指導要領への移行期は目の前です。少し勇気を持ってカリキュラム作り・テスト作りに踏み出してみませんか?

  

新学習指導要領に立ち向かう 英語

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英語 4月からの移行期間をどうするか
-小学校教師の強みを生かして

大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収

1はじめに-学校英語教育は何のため?

(1)「習うより慣れよ」「早ければ早いほどよい」の思い込み

 政府は東京オリンピックが開かれる2020年度から小学校の英語教育を全面的に実施しようとしています。早期英語教育に期待している保護者も多くいます。
 しかし和歌山大学・江利川春雄氏は、「英語は早く学んだ方が身につく。英語は英語で教えた方がよい。グローバル化には英語が必要などといった主張は根拠・実証のない思い込みである」と小学校英語の早期化に反対しています。

<参照>母語と外国語の習得過程は異なる

*有名な心理学者のヴィゴツキーは「子どもの母語と外国語の習得の仕方は正反対」と指摘。つまり私たちが母語である日本語を身につける過程は無意識ですが、外国語はその言葉のルール(文法)を理解しなければ、「習うより慣れよ」「浴びるように英語を聞け」という「常識」では習得できません。

 私たち日本人にとっては英語はあくまでも「外国語」です。ところがメキシコ人移民のように、スペイン語が母語であっても生活環境で英語を使うことが迫られる場合は、英語は外国語ではなく「第2言語」です。フィリピンやシンガポールでも同じです。英会話スクールではなく学校英語教育がめざしているのは、「外国語教育であって、第2言語習得ではありません」。

 ここを混同すると小学校英語導入の本質がつかめなくなります。

(2)英語は入門期の指導が一番むずかしい-小学校現場は専科を求めている

 移行措置期間にむけて小学校英語の担当者などを集めて行った研修会で、府教委の担当者から「大阪府版年間指導計画(案)」(We Can!の活用、各単元の目標、「読むこと、書くこと」に係る指導例など)にもとづいて授業計画の作成や授業内容を考えるように言われて、「こんなこと比較的英語が好きな私でもどうすればよいかわかりません」と悩んでいます。

 また「外国語活動」で「書くこと」を先行実施して取り組んだある学校では、6年生の児童がwerit drans(正しくはwrite, dance)と書いていて、中学生には見たことがないスペル・ミスが多く見られたと報告がありました。超多忙な中すべての教科を教え、そのための教材研究を毎日している小学校の学級担任は本当に大変です。

 免許のない小学校の先生に「教科としての外国語」をさせるのは無謀と言わなければなりません。新学習指導要領の抜本的な見直しを行うこと、また小学校で教科としての英語を導入するのであれば、せめて英語の専科教員を配置すべきです。

(3)外国語活動と教科としての小学校英語はどこが変わるか?

 これまでは教科外の「活動」だったので、技能(英語で読む・書く・話す・聞く)の習得をめざすものではなかったのですが、教科になると技能の習得を目標としなければならなくなります。音楽の教師が歌や楽器がある程度できなければ困るように、英語を教科として教えるのなら教師にもある程度技能が必要です。

 今でも過密な教育課程の中でこれ以上学級担任の負担を増やすのは無理があります。小学校の児童の実態をよく知っている教師がその発達段階をふまえた上で、専科として教えることが現実的です。家庭科と英語あるいは図工と英語を一人の教師が専科として教えているという例もあり、各学校の実情によってそのような校内人事も選択肢のひとつとして考えられるのではないでしょうか。

2 4月からの移行期間を目前にして

(1)目の前の子ともたちから出発した教育課程づくりを

 4月から移行措置期間に入り、小学3・4年生は年間15時間の授業、5・6年生は教科として技能の習得を目標とする「外国語(英語)」を現在の35時間の「外国語活動」に15時間加えた50時間行うことになります。そして文科省は年間最大15時間までは、「総合」の時間を充てることを特例として認めるとしています。これも大きな問題です。「総合」の時間を簡単に削ってもいいのでしょうか。

 このこと自体が子どもたちや教職員にとって新たな負担になります。この間学習指導要領が変わるたびに「ゆとりの時間」や「中学校の個人選択」などが出され、その都度現場は右往左往させられてきました。目の前の子どもの実態に合わせて、それぞれの学校で教職員貝の合意をもとに教育課程を創っていくことが求められています。

(2)小学校教師の強みは?-全ての教科を受け持ち子どもをよく知っている

 学習指導要領にも「教科横断的な学習を充実させ」と書かれています。各教科の専門分野の知識技能ではなく、小学生の発達段階をよく知り、図工や音楽などの芸術から算数や国語などの教科まで、一人ひとりの学びを保障することは他校種にはない大変さであり、同時に小学校教師の強みです。

 ALTなど補助教員貝は、英語を教えるわざは持っていても子どもたち一人ひとりの学び方や性格の特徴をつかんで教えることは困難です。

 小学校「外国語」教育は、英語に限らずさまざまな外国語のことを知ったり、母語と比較する活動を通して、国語や算数などこれまでの教科指導で充実させてきた小学校教育を、外国語という視点を加えることによってさらに充実させることが大切です。

(3)スキル中心では子どもの心は離れていく-「外国語教育の4目的」をよりどころに

 指導要領には、「…音声や基本的な表現の習得に偏重して指導したり、「聞くことができること」や「話すことができること」などのスキル向上のみを目標とした指導が行われたりすることは、本来の外国語活動の目標とは合致しない」(H20年「解説」より抜粋)とあります。

 学校教育の目的は、子どもたちの人間性を全面的に発展させるためで、英才教育の場ではありません。しかしこと英語になるとその視点が見失われてしまいがちです。

 スキル重視でその時間のターゲットになる英語のフレーズを子どもに言わせるためのドリル的な学習ばかりや子どもの実感や思考が伴わない授業ではなく、広く「ことば・文化」についての認識を深め、異文化との出会い、広い世界へと目を向ける意欲を育てる授業を創造しましょう。

 小学校英語を考える際にも、私たちがこの間教職員貝組合や民間教育団体の教育研究活動を通じて確立してきた「外国語教育の4目的」がよりどころになります。

【外国語教育の4目的】(2001年)

1 外国語の学習をとおして、世界平和、民族共生、民主主義、人権擁護、環境保護のために、世界の人びととの理解、交流、連帯を進める。

2 労働と生活を基礎として、外国語の学習で養うことができる思考や感性を育てる。

3 外国語と日本語とを比較して、日本語への認識を深める。

4 以上をふまえながら、外国語を使う能力の基礎を養う。

(4)全国のこれまでの実践から学ぶ

 総合的な学習(国際理解)、国語科でのローマ字学習、外国語活動でのアルファベット<実践例1>参照、国と国とのつながりを学ぶ社会科などと関連づけて学習できるのが小学校の特徴です。「外国語活動」が導入されてから、この間小学校の先生たちが苦労して積み上げてきた実践や教材があります。

 小学校英語の「教科化」は抜本的に見直すことを展望しつつ、対応が迫られる4月からの移行期間の「外国語(活動)」について、基本的な授業のあり方を考えてみたいと思います。

① 他教科とむすびつけて……子どもたちが思わず考えたくなる授業を

・絵本を外国語活動の導入時に使って日本語でイメージをふくらませる。
・食べ物を英語だけでなく日本語や中国語の文字を示して考えさせる授業。
・タングラムの授業-3年生の算数「形で遊ぼう」を外国語活動と組み合わせて、三角形・四角形・円などの英語を示しながら。
・算数「割合」の授業言もし世界が100人の村だったら If the world were a village of 100people を使って

② 子どもの人格形成につながるテーマ別英語活動

「国際理解」をテーマに様々な国籍の外国人から、衣服・食べ物などを紹介してもらったり、一緒に料理をつくるなど
環境、人権 My life -私のいのち(私の名前・誕生日)、平和 One world

③ 子どもたちは歌が大好きです。

 楽しく歌うことで英語のリズムやイントネーションを感覚的につかみます。ただ流行っているという理由だけでなく、メッセージが込められていたりくり返し同じ表現が出てくるような歌は小学生にも喜ばれます。

・エーデルワイス・ドレミの歌(映画「Sound of Music」より)、We Are the World Happy Xmas, ・ We Can Stand
・Let It Go(映画「アナと雪の女王」より)
フレーズごとに様々な言語に切り替わり歌手や声優が登場する動画で、世界の広がりと「人」を意識させる。
<実践例2>参照

④ 言語を扱う教科としての国語と英語言いろいろな言語を学ぶこと

<参照>

大津由紀雄氏(慶応義塾大学名誉教授)は、「言語を使って表現できる素晴らしさに子どもが気づくきっかけを作ることが、小学校の言語教育において重要」と述べて、具体的に(1)世界にはいろいろなことばや文字(ハングル、アラビア文字、ローマ字など)があり(2)早口ことば、方言、短縮語(ハリポタ、USA)語順などどれも日本語と他の外国語の違いを知ることで言葉の不思議さを感じさせることができると強調されています。

 「外国語は世界を見る窓」と言われています。英語だけでなく日本語と同じ構造の朝鮮語、漢字文化圏の中国語などいろいろな外国語にふれることで「ことばって面白いな」「学びたいな」という意欲がわいてきます。これこそ小学校教育の本質です。

 これまで様々な実践や教材についてふれてきましたが、全国には「すべての子どもたちにゆたかな外国語教育を」と日々取り組んでいる多くの仲間がいます。
 新学習指導要領に示されたスキルに偏った英語ではなく、人格形成と結びつけて教材の内容や質を重視し、小学校の強みを生かした実践を創り上げていきましょう。

<実践例1>
・世界につながるローマ字学習=世界の言葉・世界の文字

① ローマ字の学習などを通じて、その規則性ととともにローマ字は「かな文字」とは違って子音と母音を別々の文字で表すことができることを理解させる

② 母音と子音を分けてラテン文字のアルファベットを用いる表記法が世界のさまざまな地域で使われていることを知り、ローマ字学習への意欲を高める

③ アルファベットの各文字には名前と読み方があること、アルファベットの起源

④アブクド読みから音の足し算(d+o+g=dog)へ。

 日本の子どもたちは自然に子音と母音が切り離せることに気づきません。小学校ではフォニックスの前に、まず子音と母音が切り離せることをローマ字の学習などを通じてきちんと理解させることが必要です。ヘボン式のローマ字で音声と結びつけながら指導することは小学校の教師なら十分できます。それが結局、子どもたちが中学校へ行ってから本格的に英語を学習し始めたときに役に立ちます。

<実践例2>
・We Can Stand-子どもたちの心を動かす

 水俣病に苦しめられた松永久美子さんのことを歌った“We Can Stand”。 熊本県で英語の先生をしていた古内敬子さんの詩に黒坂正文さんが曲をつけました。

① 子どもたちとグループで「どんなことができる?」「できないことは?」と日本語でたくさん出し合います。

② 助動詞 can を使って。sit,run,walk,sing a song など動詞の語彙はカタカナ英語をまじえて増やします。

③ ところが4番から cnnnot で彼女のできないこと、彼女は21歳なのに体重は15㎏しかないことがわかってくると教室はざわめきます。授業の最後はみんなで大きな声で歌って終わります。この歌でCanの持つ深い意味と水俣病のことを知ったことが子どもたちの心を動かします。
※ なお、実践については、この間の教育のつどいの発表や雑誌に掲載されたものから紹介することができます。 詳しくは教文センターにお問い合わせ下さい。

*WeCanStand  (作詞 古内敬子、作曲 黒坂正文)

1.
We can stand.
We can sit.
We can walk.
We can run.

2.
We can speak.
We can see.
We can think
We can hear.

3.
We can throw a ball.
We can write etters.
We can read a book.
We can sing a song.

4.
La la la
But.she.cannot.stand.
Look.at this.picture.
This girl is Miss Kumiko Matsunaga.
She is twenty-one years old.
She is only fifteen kilograms.
She is avictim of Minamata disease.

5.
She cannot stand.
She cannot sit.
She cannot walk.
She cannot run.

6.
She cannot speak.
She cannot see.
She cannot think.
She cannot hear.

7.
She cannot throw a ball.
She cannot write letters.
She cannot read a book.
She cannot sing a song.

8.
She can only
She can only cry
She can only cry
cry and sleep.
Do you know Minamata disease?

  

新学習指導要領に立ち向かう 道徳2

新学習指導要領に立ち向かう > 道徳2

道徳2 道徳教育で何を大切にするのか?-実践のポイント

大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収

道徳1 教材は教室の中に、教科の課題・原典から はこちら

 安倍政権は、憲法9条改悪と一体に「戦争する人づくり」をねらい、戦前の「修身」や「教育勅語」を復活させようとしています。そして道徳を「教科化」し、道徳「教科書」と「評価」のおしつけで、子どもと教師を縛りつけようとしています。

 しかし現在は、個人の尊厳を最も大切にする日本国憲法が厳然として存在しており、国民を天皇の臣民として扱った戦前の教育のように、特定の価値観の注入や、個人の権利と自由を否定する教育は許されません。

<戦前の「縦の道徳」から、現在の「横の道徳」へ>

 政府が、教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとす
るのは、最もよくないことである。今までの日本では、忠君愛国というような「縦の道徳」だけが重んぜられ、あらゆる機会にそれが国民の心に吹きこまれてきた。そのために、日本人には、何よりもたいせつな公民道徳が著しく欠けていた。公民道徳の根本は、人間がお互いに人間として信頼しあうことであり、……われわれは、日本人をこれまで支配してきた「縦の道徳」の代わりに、責任と信頼とによって人々を結ぶ「横の道徳」を確立していかなければならない。
 民主的な「横の道徳」の原理を実際に身につけるのに、いちばん適しているのは、学校での生活である。したがって、学校の中でみんなが共同の目的のために仕事を分担し、自治的にいろいろな活動をやっていけば、おのずからにして今いうような「横の道徳」を体得することができる。(文部省「民主主義」1949年

◎ 道徳科の授業では、特定の価値観を児童に押し付けたり、主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育の目指す方向の対極にあるものと言わなければならない。(文部科学省「学習指導要領解説」2017年6月)

1.おしつけ道徳教育では、うまくいかない

 「道徳教材」の学習指導案や授業案には、一つの共通した本質があります。どのように組み立てられていても、必ず学習指導要領に示されたそれぞれの指導項目の結論を引き出すというはっきりとした目的をもっていることです。そして指導項目は、すべて「心がけ」であり、それを子どもの頭の中に注入することを求めます。たとえ日記や作文を使おうと、徳目を注入する手段と化せざるを得ず、討議はしても結論はさきに出ています。また読み物資料には、子どもの生活実感に根差さない建て前のみのものやリアリティの欠けた美談が多く、子どもの中に、生きいきとした討議をまきおこすことも、子どもの願いや要求の実現のすじみちを明らかにすることもできません。教師が導こうとする方向が見え見えであり、たとえその時間、子どもたちが「いい子」を装っても、子どもたちの心を揺さぶることにはなりません。こうして子どもにとって、眠く、退屈な時間になり、教師にとっても、もてあましものに、ならざるを得ないという実態があります。

2.個人の尊厳を大切にする、道徳教育の目標とは?

 道徳教育においてもっとも大切なことは、一人ひとりの子どもが社会の中で生きていく上で「何を大切にするのか」、自主的な判断力(自主的な価値選択と行為の能力)を育て、広く、深く人権尊重の精神を育みながら、自主的な価値観(価値意識)を形成していくことにあります。

 そしてどのような価値観を自分のうちに形成するのか、すなわち「何を大切にするのか」は、憲法が保障する個人の尊重(13条)、内心の自由(19条)に属するもので、一人ひとりが決めることで、国家が決めることではありません。

<道徳の基本は、目主的・主体的に判断すること>

 長い日本の歴史の中で、戦前・戦中までは、個人が自由に考え、判断し、行動することは許されませんでした。いつでも権力者と上の者(上司・上官)が判断し、下の者はそれに従うことだけが許されてきました。つまり、判断することと、その価値の基準は、いつでも上の者がもっていました。つまり、「道徳」とは「服従」することだったわけです。いわば「無責任」の体制です。

 戦後においては、自らの道徳的価値観に従って判断することを、日本国憲法が保障しています。一人ひとりの個人が判断の基準をもち、自主的・主体的に判断することは、道徳の基本です。

<目標の中心点を「道徳的心情」優先ではなく、子どもの「自主的な判断力」に>

 「主観的な心情が、社会的に真に道徳的な意味をもった行動となるためには判断力がたいせつな要素となるといわなくてはならない。道徳的な判断力をもつということは、自分自身で道徳的にものを考え、決断し、自分の当面する問題を合理的に解決していく能力をもつことである。・・道徳的習慣と道徳的心情とは、道徳的判断と結合することによって、はじめて真に道徳的な行動を生みだすということができる。

 しかし判断は、その性格上自主的なものである。したがって、道徳的な判断力の養成は、児童や生徒が自分たちの生活において直面する切実な問題を正しく解決していくということを通じておこなうようにすることが必要である。」

(「文部省」・道徳教育の「手引要綱」1951年)

<新学習指導要領(2017年3月31日)の、「道徳教育の目標」も>

○「道徳教育は、…自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」(「第1章総則」「教育課程編成の一般方針」の2)

○「よりよく生きるための基般皿となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」(「第3章特別の教科道徳」「第1目標」)

3.子どもを主人公に、自主的判断力を育む道徳教育へ

 憲法にもとつく道徳教育は、憲法がめざす、人間の尊厳と自由、人権、平和、民主主義、真理、正義などの諸価値の実現へ、一人ひとりの子どもの価値観を人間性豊かに育んでいくとりくみです。そのため、憲法に基づく民主主義の精神、人権尊重の精神が目標、内容、方法、評価に貫かれていることが重要です。

 子どもたちが周りの出来事や社会問題、直面している問題などをもとに「何を大切にするのか」を子ども同土や父母・教職員貝などとのかかわりの中で考え、価値判断しながら、自分の意見をもつようになることです。

 こうした価値判断と意見表明を励ますように、教育活動全体をとおして、子どもの生活実態や発達段階に応じた自由な教材選択と、創造的で弾力的な計画の編成・運用が重要です。

<個々の徳目の教え込みではなく、徳目相互の関係を含む価値判断が重要>

 道徳教科書では、1つ1つの教材ごとに教え込むべき徳目(小1・2「19」、小3・4「20」、小5・6・中「22」)が示されていますが、現実の社会や学校生活では、徳目相互の関係や軽重が問われる場合が多くあり、1つひとつの徳目を絶対的に扱うことはできません。

 (「約束」と「正義」、「勤勉さ」と「健康」、「友情」と「進路希望・能力主義価値観」、「人間の尊厳」と「生産性」、「生命」と言愛国心」…)

 大切なことは、対話によって「何を大切にするのか」、価値観のすり合わせを行うことであり、価値観を統一することではありません。一方で子どもたちの多様な事情と生活と、ものの見方・考え方があり、他方で「事と次第」「時と場合」があり、その双方を重ねて「道徳的価値認識」の複数合意をめざすことです。これによりお互いを理解し、認め合うことができ、「道徳的価値認識」を高めることができます。

○「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて……自立した個人として……よりよく生きるために道徳的価値に向き合い、いかに生きるべきかを自ら考え続ける姿勢こそ道徳教育が求めるもの」

○「時には複数の道徳的価値が対立する場面にも直面する。その際、生徒は、時と場合、場所などに応じて、複数の道徳的価値の中から、どの価値を優先するのかの判断を迫られることになる。その際の心の葛藤や揺れ、また選択した結果などから、道徳的諸価値への理解が始まることもある」

○「指導の際には、特定の道徳的価値を絶対的なものとして指導したり、本来実感を伴って理解すべき道徳的価値のよさや大切さを観念的に理解させたりする学習に終始することのないように配慮することが大切」
(前出「学習指導要領解説」)

4.道徳は、歴史の中で変化・発展する

 道徳は、人間の社会とその歴史によってつくり出されてきた、人間関係のあり方を規定する社会的規範の体系であり、社会の歴史発展とともに変化・発展します。歴史的に変化するのは、社会的規範の1つひとつではなくて、社会的規範の体系であり、この体系こそが道徳の質を決定します。

 例えば、「人命尊重」の価値と「盗み禁止」という価値の重みの違いです。江戸時代では、主従の身分的秩序の維持が高位の価値であるとされていたため、農民が武士の持ち物を盗めば、命を奪われました。天皇が絶対的な存在であった戦前の日本では、天皇を批判したり、戦争に反対すれば投獄され、命も奪われました。現在の日本では、一人ひとりの人間の尊厳がもっとも大切にされ、盗みや意見表明によって命を奪われることはありません。すなわち規範相互の関係が中心的な問題です。

 古代社会や封建社会では、全く問題にもならなかった平等という新しい価値が、近代社会になって見出されたように、戦前の日本では天皇の臣民として認められなかった個人の尊厳が、戦後の日本では日本国憲法の下で保障されています。何が大切にされ、何が基本的社会規範とみなされ、基本的道徳価値となっているか、何が従属的なものとなっているか、それが重要です。

<憲法の理念と原則から、1つ1つの徳目をとらえること>

 例えば、「物を大切にする」という価値規範も、労働者の健康よりも生産品のコストの低さを重視する企業経営者がいるもとでは、それが非人間的に作用する場合があり、絶対的なものとはいえません。

 「物を大切にする」という価値観が、どのような価値(規範)体系のなかに、どのような位置を与えられているかが重要であり、同様に、「勤労の尊さを知る」「国を愛する」など、どのような徳目をとってみても、基本的道徳価値を法的に規定した、憲法の理念と原則にもとついてとらえる必要があります。

5.道徳教材を批判的に検討する力を、子どもたちに

 道徳は、新しい歴史発展のなかで、その発展にふさわしく、変えられたり、新しくつくり出されるべきものです。その点では、道徳教育は若い世代に既存の道徳に対する批判的検討の能力を形成するという重要な役割をも担っています。そのためには道徳教育の指導過程を、特定の価値観を注入しようとするやり方を許さず、子ども・青年にとっては諸価値の再発見・再創造の過程となるよう、あるいは彼らの自主的な判断力の発達と結びつくよう、指導方法に格別の注意を払うことが求められます。

<IOT社会の広がりの下では、特に重要>

 とくに価値観が多様化し、スマートフォンやネット社会など、情報が縦横無尽に飛び交うようになった現代社会では、真理・真実を見抜き、自分で価値判断し、自分の意見を、根拠をもって言えることが、権威や情報に流されずに生きていくうえで決定的に大事になってきています。

 そのためには自主性と、自分は自分の主人公といえる感性、つまり主体性とその上に立った批判的精神が、今日の大切な徳性といえます。

<深い学びには、批判的な思考と検討が不可欠〉

 文科省は「考える道徳・議論する道徳」を掲げ、新学習指導要領は「主体的・対話的で深い学び」を強調しています。深い学びには、批判的な思考と検討が不可欠であり、この立場を活用することが重要です。

 道徳教科書の内容を、子どもたちが鵜呑みにすることは、特定の価値観の注入につながり、非常に危険です。「教科書に書かれていることは本当にそうなのか」、「教科書に~と書かれているけれども、なぜそうなるのか」といったように、内容を批判的に見て、批判的に問う力を子どもたちに身につけさせることが大切です。その時、考える視点は、事実や根拠に基づいたものであること、議論を行う場合も議論の合意をもとにすすめられることが重要になります。そのためにも「何が本質的で、重要な問いや課題なのか」を見通しておく、教師の批判的観点を含んだ道徳教科書の研究が、とても重要です。

6.教科書に縛られない実践の創造を

(1)憲法・子どもの権利条約にもとつく徳目や、教材になっているか

・「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」、「民主主義」に基づいているか、戦争を賛美するものになっていないか

・「個人の尊重、生命言自由言幸福追
求の権利」、「平和的生存権」、「苦役からの自由」、「思想及び良心の自由」、「学問の自由」、「生存権」、「教育を受ける権利」、「勤労の権利」、「労働基本権」など、基本的人権の保障に基づくものとなっているか

・平和を大切にすること、・真理・真実を大切にすること、・自他の人格を尊重し、話し合いをとおして問題を解決する内容になっているか、・子どもを権利主体として、自主性や自主的判断、意見表明権を尊重するものになっているか

   ↓   ↓

◎憲法が保障する諸権利、働くルールを学ぶ教材など、複数教材を準備して対置し、意見表明権を尊重して自主的判断力を育むこと

(2)真理・真実に基づく内容で、科学的精神・合理的精神・批判的精神を育むものとなっているか

・神話や非科学的な内容など、非合理的なものを押しつけていないか(擬人化された教材、非現実的・非科学的教材)

「道徳は、人間のもの」「動物とは違う、人間の道徳を」(童話やファンタジーなどの夢物語や、風刺の手法とは区別して)

・道徳は、実際の生き方にかかわるものであり、科学的認識と一体に育むことが重要

 建て前だけのリアリティのないものでは、みんなで考え、討論し、深く学ぶことはできない

・「判断力」よりも非合理的な「心情」

「心がけ」の方を優先させていないか

   ↓   ↓

◎「心情」や「心がけ」ではなく、合理的精神・批判的精神を育み、道徳的「判断力」を育むこと、「1人1人の尊厳」を最も大切に

(3)子ともの権利意識を否定し、主権者意識や、憲法が保障する権利を抜き去るものになっていないか

・憲法が保障する諸権利を欠落させて、「義務や責任」、「秩序と規律」、「心情や態度」を強調して、特定の価値観の注入をねらっていないか

・愛国心、義務、自己責任、奉仕、努力など、特定の徳目へ導くものとなっていないか

・伝統と文化が、和文化に一面化されていないか

・教材の構成が、冒頭や末尾に「設問」などを入れて読み方を規定し、意図的に特定の徳目へ導いて教え込むものになっていないか

・ワークシートの書き込みや「ふりかえりスペース」などを盛り込んで、徳目をおしつけ、刷り込むものになっていないか

   ↓   ↓

◎権利と人権はすべての人が生まれながらに付与された永遠の権利であり、憲法は、こうした国民の人権を守るため、権力を縛るためのもの

◎「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(憲法12条)

・人権や権利を守るため、国民は「不断の努力」によって、権利を主張することが「義務」とされていること

・きまりや規則、法律や条例も国民が決めるもの。自由や権利を侵害するのであれば変えればよく、無条件的に従うものではない

(4)子どもと教師の本心から離れた「つくりもの」や「偉人像」で、特定の価値観おしつけになっていないか

・建前で、感謝や親切、奉仕、偽善を求めるものではなく、本音を育み、個人の尊厳を大切にする、「思いやり」や「やさしさ」「誠実さ」になっているか

・心掛け主義、心情主義、態度主義で、定型化された人格像、規範、生活、行動を押しつけるものとなっていないか(できない者は排除)(挨拶、礼儀のおしつけ、崇拝化・偶像化された「偉人」の生き方、「感謝」と一体の「思いやり」「親切」、「自己犠牲」と一体の「誠実さ」……)

・多様な価値を認め合い、価値認識を深め、批判的精神と「判断力」を育むものとなっているか

   ↓   ↓

◎「ねらいとする徳目」などに捉われず、「主体的・対話的で、深い学び」・批判的思考、道徳的判断力を育むため、この教材で問題にすべきこと、あるいは問題にし得ることは何か、そしてその問題を解決するためにはどうしたらよいか、と問い、深めるための他教材や資料等も準備する。

(5)子ともの生活の事実や関心から遊離していないか、成長・発達段階にそくしたものになっているか

・目の前の子どもたちの課題や関心からかけ離れた内容になっていないか・子どもの生活実感に根差さない建て前のみのものや、リアリティの欠けた美談になっていないか

・発達段階を踏まえて、子どもの人間的な信頼関係や、価値意識を育むものとなっているか

・子どもの願いや要求の実現のすじみちを、明らかにするものになってい
るか

<学校教育法・中教審も同じ立場>

1)教科書以外の教材であっても、有益適切なものであれば、その使用は認められています。

「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる」(学校教育法第34条第2項)

2)教科書とはあくまでも「主たる教材」(教科書の発行に関する臨時措置法第2条)であり、他教科と同様、教科書のみに縛られることはありません。

3)中教審は、画一化された授業や読み物資料のみを使用した授業を否定し、発達段階に応じた道徳の授業を求めています。

○「道徳教育の指導方法をめぐっては、これまでも、例えば、道徳の時間において、読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることや、発達段階などを十分に踏まえず、児童生徒に望ましいと思われる分かりきったことを言わせたり書かせたりする授業になっている例があることなど、多くの課題が指摘されている」

○「検定教科書が供給されることとなった後も、道徳教育の特性に鑑みれば、教科書の内容を一方的に教え込むような指導が不適切であることは言うまでもない。また、教科書のみを使用するのではなく、各地域に根ざした郷土資料など、多様な教材を併せて活用することが重要と考えられる」

(「道徳に係る教育課程の改善等について」中央教育審議会答申、2014年10月21日)

4)新学習指導要領では、「多様な見方や考え方のできる」教材の開発や活用を求めています。

「(教材について)多様な見方や考え方のできる事柄を取り扱う場合には、特定の見方や考え方に偏った取扱いがなされていないものであること」(特定の価値観を押しつける教材を否定しています)

7.建て前ではなく、本音を育む道徳教育と評価を

 子どもたちの価値意識を豊かに育んでいくためには、徳目のおしつけや建前で交わり合うような授業ではなく、気軽に本音を出しあえる授業や集団づくりが求められます。また数値の評価ではなくても、特定の価値観を押しつけるような評価を行うと、子どもたちは必ず評価を気にして、本音を隠すようになります。きらに書かれたもので評価されると知れば、子どもたちは、よい評価をもらうため、自分の本音ではなく、建前の答えを書くようになっていきます。人間性を豆かに育むためには、本音の交わりこそが最も大切であり、そのためにも評価にあたっては、記述式評価の利点をいかし、子どもたちのよいところを積極的に評価し、子どもたちを励ます評価にしていくことが重要です。とりわけ子どもたちの自主的判断力を豊かに育む評価が求められます。

  

新学習指導要領に立ち向かう 道徳1

新学習指導要領に立ち向かう > 道徳1

道徳1 教材は教室の中に、教科の課題・原典から

大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収

 4月から小学校では、道徳の「教科化」と英語が始まります。中学校の教科化はその1年後です。みなさんはこの動きをどう捉え、これからの授業をどうやっていこうと考えあぐねていないでしょうか。
「道徳を『教科の授業』として、やらなくてはならないと言われているから…」
「(道徳の内容項目に)礼儀や思いやりなど、いいことも書いてある。それほど(学習指導要領は)悪い内容じゃない」
「教科書には、年間35時間分の教材が発問とともに載っている。授業のすすめ方もわかり、計画も立てやすく、授業準備に時間が取られず、かえってラクになる」
「それより、「道徳の評価」の例文がほしい」「教科になるのだったら、道徳専門の教師にやってもらうほうがいい」と思っている方もいるでしょう。また、無理やりに「内容項目」を教え込むことに疑問を感じている方もいるでしょう。
 さらに地域によっては、「クラスの実態(問題)を無視してでも道徳を年間計画通りにやれ」「やらなければ未履修問題にも発展する」などと言われているところもあります。
さて、どうすればいいでしょうか。

【1】教室は「道徳教材」の宝庫

①クラスで起きた問題・教科の学習課題を道徳で

 3、40人もいるクラスでは、毎日様々なことが起きます。嬉しいこともあれば、もめ事も起こります。学校生活のなかで、クラスで起きた問題を道徳の授業として扱い、子どもたちの道徳性を高めていくことができます。そうすることで、学習指導要領の「道徳科」の内容項目の「自分自身(A)」「人との関わり(B)」「集団や社会との関わり(C)」に関することのほとんどを網羅することができます。また、国語や社会など他の教科の授業で道徳性に関わるような学習課題が出てきたときに、それを「道徳」として扱い、教科の授業の補填とすることは中学校でも可能でしょう(授業の振替や内容項目がどれであるかを記録する必要はありますが)。

②子どもの書いた作文をじっくり道徳で

 目の前の子どもたちを正面にすえた実践では、「作文を書き、交流することを道徳の授業で」行ったSさんの実践(『おおさかの子どもと教育』89号)が参考になります。

 Sさんは道徳教育で「子どもたちが書いた生活作文をていねいに読み合うことを年間を通して行う」ことで「お互いを知り、また違いを知り、認め合える集団が形成される」と考えて自由作文にとりくみ、書かれた作文を道徳の時間に取り上げ、読み合いの授業を行っています。

 自由作文だからといって、毎回の授業で書かせているわけではありません。学期に1~2回子どもたちが書きたいときに書いてもらうことが基本です。
とまずは、他校の同年代の子どもの作文を紹介し、「作品をじっと聞き、作者に寄り添い、思ったことを交流」していきます。そして、クラスの子どもたちが書いた日記を紹介するなどして、「『どんなことを書いてもいいんだ』と、表現することに意欲と安心が持てるように」していき、自由作文にとりくんでいっています。

 こうして取り上げた子どもの作文を道徳で読み合うことで、「普段の学級では見えない友だちの姿を知ることができ、いっしょに関わった友だちのつながりも見えてきます。友だちのくらしを知り、そこにある思いに近づくことで、理解が深まり、さらにつながっていく」のです。

 これは、学習指導要領・道徳の基本方針に沿うものであると、Sさんは考えています。

③中学校だって、行事のとりくみと感想文で道徳

 行事のあとに子どもたちに感想文を書かせることは、小学校でも中学校でもよくあることです。その感想文をもとに、道徳の授業を組み立てることもできます。

 Bさん(柏原市)の実践を紹介します。

 Bさんは体育祭のとりくみで、障害を持った生徒もふくめて全員リレーをしたいとクラスに提案します。しかし反対意見もあり、思うように進まないなかで、斎藤さん自身が個別に説得にまわる、クラスのリーダーたちを組織することで、子どもたちが動き出します。そのことで、子どもたち自身が目の前の壁を乗り越えていきます。

 そして体育祭後の子どもたちの感想文をもとに、それを教材化し、道徳の授業を行ったのです。中身は感想文を、時系列(とりくみの流れ)に合わせ、認識の変化や感想文の中のキーワードを探り、テレビ番組の「しくじり先生」風に冊子にまとめ、それを1枚1枚めくる中で授業をすすめていきました。授業が進むにつれ、あの時の気持ちを赤裸々に話をする生徒が出てくるなど、授業がどんどん深まっていきました。

 授業後の子どもたちの感想にもそれがよく表れていました。「今まで自分が受けてきた道徳の授業で一番よかった」
「体育祭のときの楽しかった思い出を振り返る授業を、感動と達成感を味わえたクラスにしかできない道徳をして、一番いい授業やった」「いつもの道徳では、自分たちが主人公というのはなかなかないけど、こういう時間をもっと増やしたら…」と絶賛の感想を寄せたのです。

 SさんもBさんの実践も目の前の子どもたちの気持ちをとりあげながら、道徳の授業をすることで、本来の道徳性を子どもたちに問うているのではないでしょうか。

【2】教科書の教材・目主教材は原典にあたる

 学習指導要領「特別の教科道徳」では「3(1)…多様な教材の活用に努める」とあるように、クラスの実態や子どもの様子を見て、教科書の教材のかわりに、自主教材を活用することもできます。

 教材を見つけ、授業化していくときのポイントは、その教材が学問的・科学的な根拠を持っているかです。また、文学作品などでいえば、出典が明らかになっているかです。

 その点で、注意すべきことはニセ科学や捏造されたものの授業利用です。

 15年ほど前に、教育団体T0SS(教育技術法則化運動)が中心となって道徳の時間などで「水からの伝言」という授業が広まりました。大まかな内容は、『「ありがとう」の貼り紙水は凍結させると美しい結晶、「ばかやろう」水は汚い結晶になることを見せる。人間は6、7割が水、人によい言葉、悪い言葉をかけると、人の体は影響を受ける』というもの。水が言葉を理解するという、大変バカげたニセ科学ものですが、「道徳的に使える」ということで全国に広まりました。ニセ科学として有名なものは、EM菌(有用微生物群)、ゲーム脳などです。

 最近の例では、文科省「私たちの道徳小学校5・6年」(p58~59)の「江戸しぐさ」でしょう。現代人がでっち上げた、歴史の捏造であることが明らかになっています。こうした捏造された「江戸しぐさ」は前回の検定教科書(育鵬社・公民、啓林館・算数)や中学校歴史資料の中にも掲載されていたことがありました。なお、「私たちの道徳小学校5・6年」は2015年日本トンデモ本大賞を受賞しています。

 このようなニセ科学や捏造されたものを授業で事実のように扱うことは許されません。「江戸しぐさ」の批判的検証を行った原田実氏は「嘘を嘘と知りつつ道徳の教材に用いるのは、それ自体が反倫理的な行為」(『江戸しぐさの終焉』星海社新書)と言っています。

 改悪された教基法でもその前文で「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求しつつ」(47年教基法では「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求」)とあるように、教育は「真理を希求する人間の育成」をめざすものです。ニセ科学や捏造されたものにだまされないよう、学問的・科学的な研究の成果をふまえたものや事実の明らかなものを選びましょう。

【3】事例案・複数の目で検討

 中学校の副読本の中に、割と好評な資料があります。「あなたはすごい力で生まれてきた」(小澤牧子『自分らしく生きる』より)です。大まかな要約は以下の通り。

【要約】

 あなたは、出産をどう聞いているだろうか。「痛い」ということは誰でも聞いているだろう。あなたは、少しずつ、呼吸をはかりながら、動いたり止まったりして、外の世界へ安全に出ようとし、そして無事に出てきたというわけなのだ。
 痛みのほかに、「いきみ」という現象が母親のからだに起きる。それは赤ん坊の生まれ出ようとする力に呼応して、母体が赤ん坊を押し出そうとする運動である。いわば、赤ん坊への励まし運動である。生きる力のかたまりとして。生まれてから、母親の乳房に吸いつく勢いもまた、目のさめるようだ。生き物にそなわった力は、確かで力強い。

 あなたは自分で生まれてきた。あなた自身が自分で自分のいのちを支え、作りだしてきた。母親のお腹のなかで、赤ん坊が生まれようとする努力をやめてしまったら、母親のいのちは危なくなる。

 生まれ産みだすふたつの力を重ね合わせて、赤ん坊と母親はそれぞれのいのちを互いに支え合うのだ。(終)

 2社を比べてみました。「生命の尊さ」として、扱っています。
 A社(1年生)では、2ぺージ弱に本文を短縮しています。

【ねらい】
 生命のもつ偉大な力を敬い、いとおしみ、かけがえのない自他の生命を尊重する道徳的態度を育成する。

【基本発問1】出産のときの、赤ん坊 と母親の共同作業を、あなたはどう感じただろうか。

【基本発問2】「誰に教わるのでもなく、確信をもって乳房から乳を飲みはじめる」赤ん坊に何を感じるか。

【中心発問】あなたをこの世界に誕生させた「すごい力」とはいったい何だろう。
 一方B社(3年生)では、

【考えてみよう】
 「母親と赤ん坊の共同作業」の結果生まれてきた命とはどのようなものだと思うか。生命の不思議さについて考えてみようとなっていて、3ぺージを割いています。冒頭に、出産は母と赤ん坊の共同作業であり、大人は子ども側の力をうっかり忘れているという、1段落が入っています。そして後半には、流産してしまういのちもあるが、あなたは「生まれるべくして生まれ」「たくさんの命の代表として今を生きている」という、2段落が挿入されています。

 A社は1年生の内容だからなのか、あまりにもあっさりしています。B社も1ぺージ分増やしてはいるものの、どちらも「生命の尊さ」や神秘さについての扱いです。題名と発問内容が噛み合わない感じがして、図書館で原典にあたってみました。

 原典は、A社の5倍、B社の3倍の分量で、章立ては「1 ひとさまざまな、生まれかた」「2 母と子の共同作業」「3 生まれるべくして、生まれる」「4 支え合ういのち」の構成になっています。A社の方は1と4が、B社は4がすっぽり抜け落ちている構成です。

 改めて読んで気がついたことは、書名「自分らしく生きる」章のタイトル「あなたはすごい力で生まれてきた」のとおり、思春期を生きる中・高生の気持ちに寄り添い、自立を促す内容となっています。「何億という精子がたまたま一つの卵子に出会い結びついて出来た自分」「生まれるべくして生まれてきた自分」そうした「自分を大事に思い、自分をいとおしむ心につながるし、また自分につながるたくさんのいのちに気づき、それらを愛する心にひろがっていく」として、「ひとは生まれるときから一人前で、自力で生き、また他者を支えているのだ」と結んでいます。

 この作品は「生命の尊さ」ももちろんですが、悶々と思い悩んでいる中高生の気持ちを思いやり、勇気づける作品ではないかと思うのです。そう見ていくと、この作品は、時間の制約もあり、一部分を切り取って「道徳の徳目」にあわせてする授業とは違った展開になるのではないでしょうか。

 以上述べてきたように、目の前のクラスの子どもたちの成長・発達に即して、教科の授業はもちろん教科化される道徳の授業を考えていきましょう。できるだけ、学年会など複数のメンバーで教科書教材の原典にあたるとか、少なくとも発問等を、学習指導要領がいうように「多面的・多角的」に検討するところから始めてはいかがでしょうか。

道徳2 道徳教育で何を大切にするのか?-実践のポイント へ続く

  

新学習指導要領に立ち向かう 総論

新学習指導要領に立ち向かう > 総論

大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収

総論 移行措置のトリセツ

-大切なのは目の前の子どもたち

 今年4月から、小・中学校は「移行置期間」に入ります。本来、移行措置間は、全面実施にスムーズに移行するために設けられ、それらの内容をどのように扱うかは、各学校に任されています。

 しかし、文科省は昨年7月の通知で、4月から必ず取り扱わなければならない内容を明記しました。これはきわめて異例のことです。さて、それらの内容はどのようなものなのでしょうか。

Ⅰ これが移行措置!?

 移行措置期間で今年の4月から、必ず取り扱わなければならない内容は、小校英語、漢字、領土問題の3つです。その内容を細かく見ていきましょう。

① 小学校英語は必ずやる! 他をけずっでも……

 3・4年生では「外国語活動」を、5・6年生は「外国語(英語)」を年間15時間最低やらなければなりません。移行措置期間に取り扱う内容は示されますが、授業時間数までを示すことは、異例のことです。また、文科省は英語で15時間を増やす代わりに、総合の時間か全体の時間数を削ってもよいとの通知を出しています。移行措置の期間に、そこまでして、英語の授業をおこなう必要があるのでしょうか。

 中学年の「外国語活動」は、高学年で使っている『Hi friends』を整備した『Let’s Try』を使用します。高学年の「外国語」で使用する教材は、大きな問題があります。これまでの『Hi friends』(年間35時間分)に加え、新教材『We can』(年間70時間分)が合冊になり膨大な量になっています。内容は特に問題です。

<「外国語活動(3・4年生)」←いま5・6年生がやっているものと同じ!>

・英語の音声やリズムなどに慣れ親しむ
・日本語との違いを知り、言葉の面白さや豊かさに気付く
・「聞くこと」「話すこと」の言語活動の一部

教えるのは担任…
<「英語(5・6年生)」←中学1年生の内容!?>

・発音やイントネーションなど「音声」→発音の指導・活字体の大文字、小文字→アルファベットの指導
・代名詞や過去形など、「文」「文構造」の言部→文法の指導
・「読むこと」「書くこと」の言語活動の一部→英単語の書き取り

5年生はじめの単元は、いまの中学1年生が6月あたりに習っているものを4月におこなうことになっています。

 教材は100時間を超えるものが示されていますが、年間におこなう時間は15時間です。そのために、内容を圧縮しなければなりません。これは学校現場にとって、大きく負担を増やすことになります。
 そして、これらを教えるのは、担任の先生です。

② 漢字 1006字から1026字へ~すべて4年生に~

 「新学習指導要領」では、漢字が20字増えます。すべて「都道府県名」に関わるもので、4年生に配当されます。そしてこれも2020年度の完全実施を待たずして、今年4月の4年生から授業で扱うことになります。4年生の社会科で都道府県を習うからとの理由で、子どもたちの発達を無視し、漢字が増やされることは問題です。しかし、すでに4年生は年間200字が配当されているため、いま4年生で習っている漢字が5・6年生に移されます。結果的に4年生で2字、5年生で8字、6年生では10字も漢字が増えます。

 また、新しい配当表は、新4年生から適用となるので、新5・6年生は習わずに中学校へ進学します。そこで文科省は、習っていない20字(都道府県名の漢字)を、進学後の中学1・2年生で取り扱うことにしています。これは極めて異常なことです。

新しい漢字はすべて4年生に

茨・媛・岡・潟・岐・阜・熊・香・佐・埼・崎・滋・鹿・沖・縄・井・栃・奈・梨・阪

<小学校の漢字が気になる→作成中>

③領土問題は先行実施

 社会科は、「領土問題」に関わる内容のみ、4月から必ず取り扱うことになっています。具体的には、小学校5年生社会科、中学校は、「領域の範囲や変化とその特色(地理的分野)」、「富国強兵・殖産興業政策(歴史的分野)」、「世界平和と人類の福祉の増大(公民的分野)」
と、歴史・公民の分野にまで、領土問題の取り扱いを求めています。

 「新学習指導要領」に示されている「領土問題」の記述も問題です。①竹島、北方領土、尖閣諸島が固有の領土であること、②尖閣諸島に領有問題は存在しないこと、③日本が領土問題で平和的な手段による解決に努力していること、を教えることになっています。しかしその記述は、政府見解そのものです。複雑な問題であるからこそ、様々な角度からの検討が必要であるにもかかわらず、政府の見解を学習指導要領で規定すること自体が大きな問題です。

<「領土問題」取扱い変更のポイント>

①小学校で領土問題を取り扱うことに
②中学校地理に、竹島、尖閣諸島が新たに追加
③中学校歴史・公民で「領土問題」の内容が追加

 

 英語や漢字のように、今年の4月から一律に行わなければならない内容ではありませんが、完全実施を待たずして、算数・数学では内容が追加されます。どのような内容が追加されるのでしょうか

④ 算数 難しい単元が下の学年に……

 小学校の算数では、今でも難しいとされている単元が、下の学年におろされます。来年の4年生では、今5年生で扱っている、「小数を用いた倍(小数倍)」と「簡単な割合」が、5年生では、6年生の「速さ」が追加されます。個々の単元が下の学年におろされることの問題点や、実践上の課題は、後の項に譲りますが、
いずれも、いま配当されている学年でも、難しいとされているものばかりです。

 また今年の4月から、今6年生で扱っている「メートル法」を、3~5年生に追加し、取り扱うことになります。いずれも子どもたちの発達段階を無視したもので、多くの算数嫌いを生む危険があります。

<算数で追加される内容>

2018年度
・3~5年生に「メートル法」
2019年度
・4年生に「小数を用いた倍(小数倍)」「簡単な割合」
・5年生に「速さ」
〈算数・数学をもっとくわしく→作成中〉

⑤数学 中学校でも同様に……

 来年以降、1年生に「素数の積」「累積度数」が、再来年の1年生にはさらに、「統計的確率」が追加されます。2年生では、再来年に「四分位範囲」「箱ひげ図」が追加されますが、いずれも移行措置期間です。

 これらに共通するのは、「統計処理」に関わるものばかりです。しかし、より深く統計処理をおこなおうと思えば、統計処理の知識やテクニック以前に、その他の領域や、数学そのものを深く知る必要があります。

Ⅱ 道徳はどうあるべきか

① 教科書と評価に縛られない

 小学校では4月から、道徳が教科化されます。この間、学校現場では、「評価をどうするか」、「通知表での評価欄をどうするか」などが議論され、4月からは、「授業をどうするか」、「教科書をどう使っていくか」が目下の課題になると思います。道徳に関する理論や具体的な実践はあとの項に譲ることとしますが、新しく教科書ができたからと、教科書に縛られることはなく、評価をおこなわなければならないからと、大きな欄を設けて記述評価をおこなう必要はありません。

 道徳の授業で本当に大切なことは、子どもたちが本音で語ることです。教科書や評価で子どもと教師を縛るようなことがあってはなりません。

②中学校は今年が教科書採択

 中学校道徳教科書は、今年が採択の年です。昨年の小学校道徳教科書採択の時と同じく、道徳の教科書により良いものなど存在しません。どの教科書も国が検定した、特定の価値観にもとついたものです。

 重要なことは、父母・府民と教科化の問題点について幅広い対話と共同を広げ、教科書展示が始まったら、多くの意見を寄せてもらうなど、地域からの共同の輪を広げることが重要です。

<道徳の理論や実践をもっと知りたい→作成中>

Ⅲ 子どもと教師を苦しめる移行措置期間
~だからこそ立ち止まって深呼吸を~

 今回示されている「移行措置期間」の内容は、子どもと教師のソフトランディングを保障するものではなく、学校現場を混乱させ、子どもと教師を苦しめるものでしかありません。これまで示してきた内容の多くは、今年4月から取り扱わなければなりません。特に小学校英語は、しっかりとした条件整備がされないままの見切り発車です。

 移行措置期間はたくさんの問題がありますが、そもそも「新学習指導要領」自体に大きな問題があります。極限を超えたつめこみ、小学校英語の早期化と教科化などに見られる、一部のエリート教育、道徳の教科化で子どもたちの心を評価し、支配しようとする動きなど、戦後最悪の内容と言っても過言ではありません。今こそ、教育課程について教職高目ハのみならず父母・地域とともに考えることが重要であり、求められています。

 また昨今の学校現場は、多忙化がいっそう深刻化し、子どもと教師から余裕を奪っています。それにもかかわらず文科省は、「新学習指導要領」で、子どもと教師をさらにせかそうとしています。だからこそ、立ち止まって、ゆっくりと目の前の子どもたちから出発する実践を、同僚の仲間たちとつくっていく時間、子どもについて語り合う時間が、よりいっそう重要になってきます。

 この『おおさかの子どもと教育』90号では、小学校英語、国語、算数、道徳と、移行措置期間で注目の高い教科に対し、現場の先生を交え、4月から起こりうる課題や実践で大切にしたいことを、理論的、実践的にまとめました。異例の移行措置が目の前に迫った今、本書が学校現場を励まし、4月からの実践の一助になれば幸いです。

  

新学習指導要領に立ち向かう 国語

新学習指導要領に立ち向かう > 国語

国語 増える漢字
-社会科と結びつけて楽しく学ぶ

大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収

1 たちまち問題になる漢字の指導

①漢字の指導は、系統性を大事に、楽しく

 新学習指導要領では、漢字の数が今でも多すぎる1006文字から、さらに増やされ、1026文字とされます。その増やされる漢字は、都道府県名の20字です。その20字をすべて4年生で教えることとなっています。

 4年生でどう教えるかについては、後で述べたいと思いますが、その前に、漢字指導をどうすればよいかについて述べます。

 学習指導要領の漢字は、系統性を無視した学年配当となっています。たとえば、「話」は2年生で教えるのに、「言」は2年生ですが、「舌」は5年生(新学習指導要領では何と6年生)で教えることになっています。

 ですから教科書に出てくる一つひとつの漢字を個々バラバラに教えると、教師もしんどいし、子どもも大変です。漢字は系統性を大事に、そして楽しく学べるように工夫する必要があります。

 多くの人がとりくんでおられることと思いますが、漢字を指導するときには、①読み(音読み、訓読み)②部首、③意味、④画数、⑤書き順、⑥熟語、⑦文章をつくる、という基本をふまえることが大切です。

 たとえば、偏(へん)と旁(つくり)など部首が分かれば、部首によつて漢字を分類することができることを子どもたちが学ぶことによって、漢字に興味を持ち、その成り立ちも知りたがるようになり、楽しく学ぶことができるようになります。新出漢字で、「ごんべん」のつく漢字が出てきたときは、新出漢字だけを教えるのではなく、「ごんべん」のついた漢字集めをしてみることです。「話」「語」「記」「読」「詩」「誌」「説」「識」などを集めれば、「ごんべん」がつく漢字は、言葉に関係している漢字であることが分かります。そうして漢字に興味を持つことができたら、穴埋め熟語や漢字しりとりなどの漢字クイズなどにも楽しくとりくめるようになると思います。

 さて、4年生ではどう指導すればよいでしょう。教科書がどうなるのか、現時点では分かりませんが、都道府県の漢字がバラバラに出てくる可能性もあります。

 それを出てくるたびに一つひとつ教えたのでは、子どもたちも覚えにくいと思います。

 この4月から、新学習指導要領にもとづく漢字配当表で教えることになっています。そして、4年生では社会科で都道府県の学習をするのですから、都道府県名の漢字は、社会科での都道府県の学習の中で、あるいは、社会科の学習と関連させて教えたらよいのではないでしょうか。

 とはいっても、ただ都道府県名を覚えたり、それを漢字で書かせたりするだけでは、社会科の授業が無味乾燥になります。ですから、社会科での授業を楽しく豊かなものにしていく必要があります。

 たとえば、スーパーで買い物をした時の包装紙を集めて、産地が全国に広がっていることを学び、その産地が日本地図を見ながら、どこにあるのかを学習し、そうした学習の中で都道府県名を知り、漢字で書けるように指導するなど、工夫してとりくめば、子どもたちも楽しく学べると思います。さまざまな工夫を学年や教科部会などで考えてみましょう。

2 文学を文学として、説明文を説明文としてきちんと教える

①学習指導要領が変わっても、国語科で教える中身は変わらない

 学習指導要領が変わるたびに、国語科の取り扱いもおかしくされてきています。

 例えば、現行学習指導要領では、「言語活動」が強調され、「報告」「記録」「説明」「依頼文」「案内状」など、およそ子どもの実際の生活とはかけ離れた内容を指導せよとされたり、「尋ねたり応答したり」「グループで話し合わせたり」ということが強調されて、ペアでの話し合いをすればそれでよいかのような指導が広くおこなわれています。さらには、「ディベート」などが押しつけられている場合もあります。

 しかし、国語科で子どもたちが身につけるべき力は、大きく言って2つです。

 1つは、認識の力を育てることであり、もう1つは、認識とともに、表現の力を育てることです。

 国語科では、人間と人間をとりまく世界を言語によって認識することのできる力を育てること、つまり、認識の内容としては、人間とは何か、私たちの生きている世界とはどのようなものなのかを理解する力を育てることであり、どのようにすれば、ものごとの本質・真理・真実・価値・意味・法則に迫ることができるかという「分かるための方法」を身につけさせること、つまり認識の方法を育てることといえます。

 そして、認識したこと、わかったことを言葉によって表現する力を育てることです。表現する力とは、話す力、書く力を育てることです。それは、単なるおしゃべりではなく、筋道だてて話す力であり、ただ文字を書き連ねるのではなく、筋道立てて書く力であると考えます。

②文学では

 文学で言えば、すぐれた文学作品を読み味わうことをとおして、より豊かな人間観や世界観を育てることです。

 そのためには、教材を選ぶときには、芸術性、思想性、教育性という3つの観点を満足させる作品を選ぶ必要があるし、それが豊かな文学的形象として描かれている作品を選ぶ必要があります。当然、教科書に掲載されている教材だからといって、すべてがよい教材であるとは限らず、取り扱いには軽重をつけ、時には「投げ込み」教材で教えることも必要になってきます。

 また、認識の方法でいえば、たとえば、「対比」という認識の方法を使って、ものごとの本質を理解することができます。

 2年生の「スイミー」では、赤い魚の中に、真っ黒な魚であるスイミが描かれていますが、そのことによって、他の魚とは違った特別な存在であることが表現されています。そのことは、「ぼくが目になろう」という場面で、スイミーが集団の中のリーダーという位置づけがされていることから明らかになります。

 このように、「対比」や「類比」などの認識の方法を使って、作品が描いている世界を読み味わうことが大切であり、そのことは学習指導要領がどう変わっても、私たちが文学教育で追求していく内容であることに変わりはありません。

 ですから、新学習指導要領のもとでも、これまでのすぐれた実践から学び、また、これまでとりくんできた文学教育実践に自信を持って、教育活動をすすめることが大切であると考えます。

③説明文では

 先の文学教育で述べたことは、説明文でも同様です。
 子どもたちが説明文で身につける力は、「説得の論法」と「筆者の表現の工夫」を学び、それをとおして、認識する力と表現する力を身につけることです。
 よい説明文は読解不要です。読めばわかるように書かれている作品がよい説明文です。説明文指導の中心点は、なぜこの説明文は分かりやすいのか、ということを、筆者の論理展開と表現の工夫に着目して子どもが学ぶことにあります。

 そうした学びができるために、教材を選択する場合には、説明されている内容に学ぶ値打ちがあるか、観点に一貫性があるか、誰でもが納得できる組み立てと筋道で説明されているかという角度から選択することが重要です。
たとえば3年生の「ありの行列」という説明文がありますが、この作品は、序論、本論、結論がはっきりした説明文です。そして、本論では、筆者は、アメリカのウィルソンという学者を登場させ、彼のおこなった実験、観察、研究について述べます。ウィルソンのおこなった実験、観察の文末表現は現在形、過去形を適切に使用して述べられています。結論部分では、「このように」という書き出しによって、これまで述べられてきた実験、観察、仮説、研究、その結果分かったことを総括し、文末は「わけです」という言葉で締めくくって、序論である第1段落の問題提起に対する答えであることが示されています。大変すぐれた教材と言えるでしょう。

 しかし、説明文においても、教科書に掲載されている作品がすべてよい作品であるとは限りません。説明文教材においても教材の扱いには軽重をつける必要があります。

 また、指導に当たっては、いくつかの大事なポイントを押さえる必要があります。

 第1は、題名です。たとえば、「花を食べる」「たんぼぼのちえ」「たねのたび」「ビーバーの大工事」など、説明文の題名には、必ず工夫があります。

 第2は、段落です。文学では場面が大事ですが、説明文では、段落分けが大切です。必ず段落番号を書いて指導することが求められます。

 第3は、各段落の構成です。そのためには、各段落が、いくつの文章でできているかを見ることが大事です。段落ごとに文番号を書いて指導します。

 第4は、接続語です。接続語は、論理展開の命と言ってもいいほど大切なものです。

 「だから」、「それで」、「そこで」、「よって」などの順接は、前の事柄が、原因・理由となり、その当然の結果が後にくることを示します。逆に「しかし」、「ところが」、「でも」、「けれど」などの逆説は、前の事柄と対立するような事柄が後にくることを示します。ですから、どのような接続語が使われているかを見ることで、話しの筋道がわかるので、子どもたちに着目させることが大切です。

 こうした、これまでの実践をとおして蓄積されてきた指導内容に確信を持って、説明文の指導をすすめましょう。

3具体的にはとうするか

 新学習指導要領にもとついてどのような教科書がつくられるのか、現時点ではわかりませんが、教科書がどうなったとしても必要ないくつかのとりくみについて述べます。

 第1は、当然のことですが、しっかり教材研究をすることです。そうすることによって、教材の扱いに軽重をつけたり、教材を組み替えたり、時には「投げ込み教材」で教えたりすることが可能になります。

 その教材研究は、もちろん一人から始めるのですが、可能な限り集団でおこなうことが大切です。その集団は、学校で学年会や教科部会という場合もあれば、学校外では教文センターの研究会やサークルなどを活用したりする場合もあります。そうすることで、より教材研究が深まり、確信が持てるようになります。

 教材の組み換えなどのとりくみは、学級だけでもおこなえます。その際、なぜ教材を変更するのか、あるいは教科書にない教材を扱うのかについて、父母・保護者に根拠をもって説明することが大切です。父母・保護者の合意さえ得ることができれば、実践の幅は大きく広がります。

 また、学年でそうした話し合いができれば、なおいいと思います。その際も、学年の父母・保護者に説明して合意をつくることが求められます。

 さらに、学校全体で教職員の合意をつくることができれば、学校独自の教育課程をつくりあげることができます。

 こうしたとりくみが、教育課程の民主的編成であり、その気になれば、どの学級、学年、学校でもとりくむことができると思います。

 これを積み上げることによって、1年生から6年生まで系統的な指導をおこなうことができ、新学習指導要領の害悪をかなり取り除くことができると考えます。

  

〈総論〉新学習指導要領の本質とねらい

新学習指導要領 職場討議資料 > 〈総論〉

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

〈総論〉

新学習指導要領の本質とねらい
 ~徹底批判と抜本的見直しをすすめよう~

I ここが「新学習指導要領」の問題点

 3月3l日に文部科学省が官報告示した「新学習指導要領」のもっとも大きな特徴は、2006年に改悪された教育基本法が全面的に反映された初めての学習指導要領であり、多くの問題をかかえています。

 第一に、改悪された教育基本法の問題点は、教育の目標に①「我が国と郷土を愛する」との文言を明記し、「愛国心教育」が押しだされていること、②「教育振興基本計画」など、権力による教育への介入をすすめるものになっていることです。このように問題のある改悪教基法の第2条2項の条文が、新学習指導要領に前文を新設して明記されていることは重大な問題です。ここからも改悪教基法を全面的に具体化し、押しつけようとしていることは明白です。

 第二に、道徳の「教科化」をめぐる問題です。小学校では2018年度から、中学校では2019年度から教科化されます。戦前の教育は「修身」を筆頭教科として、子どもたちを戦争にかり立てていきました。その反省に立ち、戦後教育は「修身」を廃止しました。それが19ば58年学習指導要領で道徳として復活し、今回は特別の教科として格上げされます。

 これはまさに戦前の「修身」を彷彿させるものであり、国が子どもたちの人格までも支配しようとする動きに他なりません。このように、道徳の「教科化」は、この間の「戦争法」、「共謀罪」法強行、「教育勅語」をめぐる動きと相まって、「戦争する国づくり・人づくり」をねらうものといえます。

 第三は、国や財界が求める「人材育成」のために教育が大きくゆがめられようとしている点です。新学習指導要領では、英語教育が早期化され、教科化もおこなわれます。小学校3・4年生からの「外国語活動」、小学5・6年生では教科としての「英語」がはじまります。これに加え、中学・高校においても語彙数が大幅に増え、授業もすべて英語でおこなうなど、授業が高度化されます。これにともなって小学校では授業時間が増やされ、小学4年生以上は中学校と同じ年間1015時間となり、極限を超えたつめこみ教育になります。ここからは、小学校段階からのつめこみ教育で、早期から選別と切りすての教育をすすめ、一部のエリートさえ育てばよいとの意図が見えてきます。

 また、小学校から導入される「プログラミング教育」も注視する必要があります。この背景には財界や安倍政権による「第4次産業革命」があり、この達成のために必要な、ビッグデータや人工知能(AI)を活用できるような人材の育成に、教育を利用しようとしています。このように、すべての子どもたちに学力をつける観点ばなく、国や財界が求める一部のエリート育成のための教育をおしすすめようとする動きば絶対に許すことばできません。

 第四ば、教職員や学校への管理・統制を強めるものであることです。この間、「アクティブ・ラーニング」が声高に叫ばれてきましたが、「子どもが活動さえしていればよい」であったり、特定の型にはまった授業実践が多く出てきたりしたことから、授業の画一化が懸念され、文科省自ら、「アクティブ・ラーニング」の文言を新学習指導要領から消しました。

 しかし、「主体的・対話的で深い学び」を授業改善の方法として明記していることば問題です。また、パフォーマンス評価やポートフォリオ評価などの評価方法や、そのためのルーブリック(評価規準)の作成など、評価方法にまで言及していることも問題です。 本来、学習指導要領ば学習内容の大綱的基準が提示されるものであり、教育方法や評価方法などば、権力による介入が強まることから明記されてきませんでした。それを今回、ここまで踏み込んで明記したことば、学習指導要領を用いて、権力の教育介入を教育活動全体に強めようとする現れです。

 そして今回、上記のものに加え、「カリキュラム・マネジメント」との言葉を用い、学校の管理運営まで統制しようとしています。校長の権限を強化し、目標管理・PDCAサイクルを強めるためのこのような動きば、各学校における豊かな教育実践を、設定された目標を達成するための教育へと変質させることにつながります。

 以上のように、新学習指導要領は重大な問題があります。国や財界のねらいば、英語教育やプログラミング教育などの各論に散りばめられており、それらのねらいを達成するためのシステムづくりとして、総則が位置付けられています。

 2020年から順次全面実施がおこなわれる、新学習指導要領の批判をすすめ、抜本的見直しを求める大運動をすすめることが重要です。

(1)極限を超えたつめ込み教育で子ともたちは…

 小学校中学年以降で大幅に授業時間数が増加します。小学3年生で年間980時間(週あたり28コマ)、小学4年生以上ば年間1015時間(週あたり29コマ)となります。文部科学省が2015年度に調査した結果では、すでに授業時間数確保を名目に、小学校では週あたり1・2時間の上乗せ(全国平均)、そして33%の学校では週あたり2時間の上乗せをしている状態です。この状態にさらに上乗せをおこなうということば、ほとんどの学校で、4年生以上ば毎日6時間授業以上といった事態を引き起こします。

 この1015時間という授業時間数ば、戦後最悪といわれた1989年学習指導要領で示された時間数と同じです。しかし当時は週6日制であり、それを今回週5日制で行うとなると、授業時間数、内容ともに過密化し、極限を超えたつめこみ教育となります。実際に教育内容ば、現行学習指導要領において、1989年当時に近い状態に戻されており、さらに授業時間数を増やすことにより、子どもたちへの学習負担がいっそう大きくなります。このような極限を超えた授業時間数、教育内容では、学校嫌いを大量に生み、小学校段階から、選別と切りすての教育がすすむことは避けられません。

(2)大企業の求める「人材育成へ」
~英語教育、プログラミング教育のねらい~

 今回の改訂で、小学校英語の早期化と教科化、プログラミング教育が導入されます。これらのねらいは、「グローバル化」や「第4次産業革命」を名目に、大企業が求める人材育成を推進するものです。

 小学校での授業時間数増加の1つの要因となっている小学校英語は、現在小学5・6年生で行われている「外国語活動」が小学3・4年生から、5・6年生では「英語」が教科としてはじまります。教科化されることにより、英語の4領域を全て取り扱うことになり、高学年では英単語を覚えることや書くことまでも要求されます。小学校で扱う語彙数は、600~700語とされており、高度な内容になることが予想され、多数の英語嫌いを小学校段階から生み出す危険性があります。

 英語教育は入門期の指導がもっとも難しいとされていますが、その入門期の教育を担う小学校教員の中で、英語の教員免許をもっている割合は、全国でたったの5%です。そのため文科省は研修を行い、「英語教育推進リーダー」の養成をおこない、その研修を終えた教員が各地で研修をおこない、その研修を修了した教員を「中核教員」とすることで、2020年度から始まる小学校英語を乗り切ろうとしています。小学校からの英語の早期化と教科化をおこなうためには、全国で14万4千人の担任に研修を行う必要がありますが、2018年度までに育成ざれる「英語教育推進リーダー」は全国でたったの1000人、「中核教員」も2019年度までに、2万人ほどです。大半の教員がまともに研修を受けることができない状態で、子どもたちに英語を教える事態が起こることは大きな問題です。

 小学校における英語の早期化と教科化は、小学校だけの問題ではなく、中学・高校の英語教育にも大きな影響を及ぼします。小学校での語彙数の増加に伴い、中学校では3~5割、高校では3~7割の語彙が増加します。中学校卒業段階においては、現在1200語であるものが2500語へと倍加します。そして、中学・高校での授業は全て英語でおこなう、「オール・イングリッシュ方式」をとることになっており、授業についてこられない生徒を多数生み、教育困難を引き起こす危険があります。

資料 <外国語教育の語彙数の変化>
小学校:  明記なし⇒600~700語
中学校:  1200語⇒1600~1800語
中学卒業レベルで:2500語
高等学校: 1800語⇒1800~2500語
高校卒業レベルで:3000語⇒4000~5000語

 

 この流れの背景には、国や財界が求める一部の「エリート人材」の育成があります。安倍首相の私的諮問機関である教育再生実行会議の「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」では、グローバル人材育成の数値目標ば、年間10万人とざれています。しかしこれは、高校卒業の生徒数の1割程度のものであり、ここからも、すべての子どもたちに外国語を学ぶ楽しさや、基礎的な学力をつけることが目的ではなく、「一部のエリート人材」を育成することが目的であることがわかります。このような政策のもとでの英語教育は、多数の英語嫌いを生み出し、早期からの選別と切りすてがすすむ危険性を大きくはらんでいます。

 プログラミング教育はどうでしょうか。

 小学校においては、総則・理科・算数・総合においてプログラミングに関する記述があり、中学校の技術科では、これまでの内容から大きく高度化しています。

 この導入の背景にも、英語教育と同様に、財界が求める「人材育成」があります。昨年4月19日に行われた産業競争力会議において、初等中等教育からのプログラミング教育の必修化がいわれ、6月に閣議決定した「第4次産業革命」のための産業政策である「日本再興戦略2016」にも反映ざれました。これに呼応するように、文科省にプログラミング教育に関する有識者会議が設置され、そこでの議論が、新学習指導要領に反映ざれています。これらの流れからも、一連の産業政策の中で、この「プログラミング教育」が出てきたことは明白です。しかし英語教育政策と同様に、ここで求められる人材は、世界レベルは年間5人、企業トップレベルで年間50人と限られたものであり、すべてを合計しても年間6万人ほどです。ここからも一部のエリート教育のためのものとしか言いようがありません。

(3)道徳の「教科化」の問題点

 道徳の「教科化」をめぐっては、新学習指導要領より一歩早く、2015年度に一部改訂がなされ、小学校では201価8年度、中学校は2019年度から、「特別の教科道徳」がはじまります。

 道徳の教科化は国が子どもたちの内心にまて介入するものであり、戦前、筆頭教科であった「修身」の復活です。道徳が教科化されることにより、ア、国が検定した教科書を使うこと、イ、評価をおこなうこと が、大きな問題となります。この間の小学校道徳教科書検定では、文科省が「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」とし、小学1年生では、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」観点から、「パン」屋さんが「和菓子」屋さんへ、「アスレチック」
が「和楽器」へと変更させられ、小学4年生では、「高齢者に尊敬と感謝の気持ちをもって接すること」の観点から、「しょうぼうだんのおじさん」が「しょうぼうだんのおじいさん」に変更させられました。このことは国が検定をおこなうことで引き起こされた問題です。また、国が検定を行うことによって、特定の価値観に基づいた教科書がつくられ、それによって授業がおこなわれることは、国が子どもたちの内心にまで介入することにつながります。また、教師が指導しやすいようにとのことで、冒頭や末尾に設問が入れられたものが多くあったとされています。あらかじめ設問を示すことは、読み手の子どもたちに先入観を与えるとともに、読み方を規定する危険があります。これでは、子どもたちが自由に本音で語れる道徳ではなく、建前を刷り込まれるものへと、道徳の授業が変質させられてしまいます。

 そして、子どもの心に評価をつけることも大きな問題です。文科省は、「記述式で、他人と比較しない個人内評価」とするとしていますが、そもそも子どもたちの内面を評価すること自体が大きな問題です。

 道徳の教科化をめぐっては、教科化の理由が明確にされていません。この間、安倍「教育再生」の名のもとに教育基本法を改悪し、徳育の教科化を主張してきましたが、そもそも道徳を教科化したところて、いじめ問題が減り、それらが解決する根拠はどこにもありません。他にも、「道徳は他の教科に比べて軽視されている」といった筋違いの理由をもとに、中教審等て議論が重ねられてきました。

 ここからも「はじめに教科化ありき」の観点から議論が進められたことがわかります。道徳の授業がない高校においては、今回の改訂で、社会科の枠組みを大きく改変し、公民科の「現代社会」を廃止し、「公共(仮称)」を新設するとしています。

 この公共は高校版道徳の様相をおびており、今後注視する必要があります。

 この「道徳」教科化や「公共(仮称)」新設の背景には、「戦争法」や憲法改悪の動きがあり、「戦争する国づくり・人づくり」と一体となったものです。道徳を教科化することで、22もの徳目からなる、国が検定した教科書を使うことで、特定の価値観を小学校段階から刷り込み、国家に従順な人づくりをすすめることをねらっています。

(4)国が育成すべき「資質・能力」を規定したことの危険性

 国が教育目標として特定の「資質・能力」を規定したことは大きな問題です。

 しかもそこで、「学びに向かう力、人間性等を涵養すること」と人間性までも国が規定しようとしていることです。道徳の「教科化」と相まって、国が人格まて縛ってしまおうとする、非常に危険な動きです。本来の教育の目的は「人格の完成」であり、その人格は特定のものではなく、人間がもっているあらゆる側面を十分に伸ばす、全面発達の保障です。しかし、今回のように国が特定の「資質・能力」を規定するということは、国が求める特定の力を伸ばすことになり、人格支配にもつながるものです。

 この「資質・能力」の規定によって、これまで4観点であった評価の観点が、3観点に変更されます。ここにも大きな問題があります。これまで、「関心・意欲・態度」としていたものが、「主体的に学習に取り組む態度」と変えられ、子どもの態度のみを評価することになります。しかもその対象はすべての教科です。

 これは、徹底した「態度主義」「態度評価」への転換をねらったものであり、非常に危険なものです。これは、学習指導要領に初めて設けられた「前文」に、改悪教育基本法第2条2項が載せられたことと結びついています。

 この条文はすべてが「~の態度を養うこと」となっており、新学習指導要領にこの条文をもち込むことで、「態度主義」を徹底したことは明白です。

 これでは外見の態度を整えることが教育の目標とされ、建前の態度のみが評価され、子どもたちは授業や学校生活の中で本音で語ることはできません。大きく学校教育がゆがめられてしまいます。

(5)学校運営にまでも国が介入する

 文科省が声高に強調してきた「アクティブ・ラーニング」は新学習指導要領から文言こそ消えました。しかし、「主体的・対話的で深い学び」による授業改善を中心にすえるとしており、これは授業改善の方法で教育方法を縛る介入です。また、文科省が「主体的・対話的で深い学び」と読み替えたことにも重大な問題があります。本来「深い学び」をおこなうためには「批判的な思考」が必要不可欠です。そのためOECDのキー・コンピンシーやメディア・リテラシーでは、批判的思考の育成をその中核に位置づけています。しかし総務省は、「批判的」という言葉を「主体的」という言葉に置き換えて、メディア・リテラシーを「メディアを主体的に読み解く能力」と定義しています。

 今回の文科省のやり方は、総務省とほぼ同様のものです。しかし、「批判的」という文言を封じて「主体的」といった言葉を用いていることには、注意する必要があります。今回の改訂では、予測困難な時代に向けてといったことが声高に叫ばれています。それであればなおさら、批判的な思考が必要となります。しかし、今回の文言に「批判的」との言葉はなく、むしろ「批判的思考」を排除するために、「主体的」との言葉が用いられています。

<国が示した「資質・能力」>
①知識及び技能が習得されるようにすること
②思考力、判断力、表現力等を育成すること
③学びに向かう力、人間性等を涵養すること

 

<学習評価の変化>
①「技能」「知識・理解」→「知識および技能」
②「思考・判断・表現」→「思考力・判断力・表現力」
③「関心・意欲・態度」→「主体的に学習に取り組む態度」

 

 物事を批判的にとらえることを排除すると、あらゆることに無批判で従順であること価つながります。このような危険な視点を、授業改善の教育方法として意図的に押しつけることは、無批判で国家に従順な人づくりをねらうものとして、断じて許されません。

 また同様に、評価方法に関しても具体的に規定し、統制の強化をねらっています。

 そして、教育方法や評価方法への介入に加え、「カリキュラム・マネジメント」で規定していることは「PDCAサイクル」そのものてあり、数値等による目標管理を強いるものとなっています。これにより、校長の権限が強化され、より一層の教職員への管理と統制が強められる危険性があります。

Ⅱ 私たちが大切にしたいこと
~すべての子ともたちが安心して学べる学校を~

(1)すべての子ともたちに学ぶ権利を保障しましょう

 新学習指導要領は、国や財界が求める一部の「エリート」育成をめざすものとなっています。しかし、すべての子どもたちには、憲法26条において「ひとしく教育をうける権利を有する」と「学ぶ権利」が保障されています。大幅な授業時間数の増加や、英語教育の早期化と教科化、プログラミング教育などにより、早期からの選別と切りすてをすすめる教育ではなく、すべての子どもたちに基礎学力をつけ、一人ひとりの成長と発達を保障する教育を求めていくことが大切です。
そして、それらの実践は、目の前の子どもたちから出発した実践であることが同時に求められます。

(2)目の前の子ともたちから出発した教育課程づくりを、父母・地域と共同して

 戦後最悪の新学習指導要領ですが、総則第1の1において、「各学校において…教育課程を編成するもの」とし、教育課程編成権は各学校にあることを明記しています。各学校の実態を無視して教育をすすめることはできず、各学校の教育課程編成権は保障されています。このことに依拠しながら、各学校において民主的な教育課程づくりをすすめることが重要です。

 また教育の条理は、子どもの成長・発達を助けるという、いつの時代、どのような世の中であっても変わらない、教育の本質的な目的と、その営みは、子ども・父母、教職員の直接的な関係ですすめられ、国民に対する直接責任によって裏打ちされています。

 憲法と教育の条理、子どもの権利条約にもとついた教育課程づくり、父母・国民との合意に基づいた学校づくりをすすめていくことが、今こそ求められています。

(3)移行措置期間も大問題!

 移行措置期間も大きな問題があります。

 ここでは2点指摘します。

 1つは、漢字の取り扱いです。完全実施を前に、2018年度の4年生以降は、新しい漢字配当表を使用することになります。

 2つ目は算数です。「簡単な割合」が4年生へ、「速さ」が5年生におろされ、「メートル法」は3年生からになります。

 どれもが、子どもたちの発達段階と系統性を無視したもので問題です。(英語は、生活・総合のぺージを参照)

  

道徳~教科化のねらいはどこ?~

新学習指導要領 職場討議資料 > 道徳

道徳  ~教科化のねらいはどこ?~

I 領域としての道徳から、教科化された道徳へ

<道徳の学習指導要領等における変遷〉

修身〈戦前〉
 ○筆頭教科
 ○徳目を定め、愛国心教育
 ○戦争の反省から、戦後は廃止
道徳〈1958年版~〉
 ○道徳の時間を特設
 ○学習指導要領が法的拘束力を持つようになる
特別の教科「道徳」〈2018年~〉
 ○教科化に伴い、検定教科書を使用し、評価を行うことに

Ⅱ 道徳の「教科化」の問題点

(1)道徳の特徴   ~歴史とともに道徳は変化する~

 それぞれの教科には、「科学性」に基づく、学問体系とそれによる研究の到達点があり、教科の内容や教科書もそれを無視することはできません。しかし、道徳の場合は、その時々の権力者によって内容が左右される危険性が常に付きまといます。

 また、道徳が教科化されることで教育すべき価値内容を誰が決めるのかといったことが問題となってきます。これを学習指導要領によって規定することで、価値内容を国家がストレートに決めることが可能になります。これは特定の価値観の押しつけにつながる重大な問題です。

 そもそも道徳とは、人間関係を規定する社会的規範の体系のことをいいます。

 そのため、法律や規則、習慣や礼儀・作法などの根底にあるもので、歴史的に変化します。このような点から考えると、今の日本社会が直面する「働くルール」の問題は、現代的な道徳問題といえます。

 「生産性を高くすること」と「人間の尊厳」、「勤勉に働くこと」と「生命と健康」のどちらが価値として重いのかということが問われているのです。

 それを国が一方的価決め、押しつけている徳目だけでは、到底価値判断を行うことはできません。特定の価値観を押しつけ、価値観を統一するのではなく、道徳の時間で大切にしなければならないのは、価値のすりあわせをおこなうことです。

(2)教科書と評価の存在

 道徳が「教科化」されることで、教科書の使用と評価をおこなわなければならなくなります。この2つはとても重要な問題です。教科書に関しては前述の通り、明らかな国の介入があり、特定の価値観が押しつけられていることは明白です。

 そもそも国が検定をおこなうことで、どの教科書においても国家による特定の価値に基づいたもの価なります。それが、道徳であればとても危険です。

 また、教科化によって評価の問題が出てきます。文科省は、「数値による評価ではなく、個人がどのように成長したかを見る、個人内評価て評価を行い記述式」としています。しかし、そもそも子どもの内面を数値化できるはずもなく、心に評価をつけること自体が大きな問題です。

 教科書作成でもとにしたものは、文科省『私たちの道徳』~「よりよい教科書はない」~

 これに加え、教科書会社は文科省『わたしたちの道徳』をもとに今回の教科書を作成しています。実際に「私たちの道徳」で使用されていた読み物資料の反映が多く見られます。そもそも『私たちの道徳』は文科省が作成したものであり、国家による特定の価値観を押しつけるねらいで作られたものです。またどの教科書もこの教材をもとに作られたことで、一定の枠に収まった単一化されたものとなり、同時に冒頭や末尾に設問を入れて読み方を規定し、さら価は「心のノート」と同様にワークシートの書き込みを盛り込んだものなど、22の徳目へ意図的に導くものとなっています。

 多様に価値を認め合うことこそが必要な道徳に対して、どの教科書も特定の徳目へ導くものとなっており、「よりよい教科書」として認めることはできません。

 国が道徳を教科化したねらいは、教科書と評価を通じて、特定の価値観の押しつけを徹底することにあり、このねらいを明らかにしていく教科書検討をすすめることが重要です。

設問とふりかえりスペースの存在

 今回の教科書では、あらかじめ設問を設け、最後にふりかえりを書き込むスペースを設けているものがあります。設問があらかじめ示されることは、子どもたちから本音で語り合うことを奪い、その設問の答えを探す建前を教えることにつながりかねません。また、最後にふりかえりのスペースが設けられていることについて、「心のノート」の作成に大きくかかわった押谷由夫氏(元昭和女子大)は、「各社が教科書に盛り込んだ設問を予習に活用し、授業て話し合って多彩な意見を知るといった指導もできるだろう」(3月25日「日経」)、「ワークシートの記述は、教師の評価に役立つだけではなく、子供が後で何度も読み返し、自分の成長を実感できる」(3月25日「読売」)と述べています。しかし、そこには教師の評価が書かれており、そのようなふりかえりを何度も見ることは、心の成長を見るものではなく、教師に評価された特定の価値観に基づいたものの刷り込みにつながります。

 設問→文章→ふりかえりスペースといった流れを貫徹することは、授業の画一化を生むだけでなく、特定の価値観を刷り込み、押しつける装置でしかありません。

Ⅲ わたしたちが大切にしたいこと

① 憲法と教育の条理、子ともの権利条約に基づいた、民主的道徳教育の視点を大切に、実践を展開しよう

 民主的道徳教育をすすめる上で鍵になるものは、「自主性」と「人権尊重の精神」です。道徳的諸価値の構造の根底にあり、全体を基礎づける価値が「自主性」であり、構造の全体を貫くものが、「人権尊重の精神」といえます。そのため、憲法に基づく民主主義の精神、人権尊重の精神が目標、内容、方法に貫かれていることが重要です。

② 教科書を使うことに縛られない実践で乗り越えよう

○教科書の使用義務はあります。しかし、その他の教材を使用することも認められています。そして教科書はあくまで、「主たる教材」です。

「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる」(学校教育法第34条第2項)

「『教科書』とは…主たる教材」(教科書の発行に関する臨時措置法第2条)

○中央教育審議会も読み物資料に偏った授業は否定しています。

 「道徳教育の指導方法をめぐっては、これまでも、例えば、道徳の時間において、読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることや、発達段階などを十分に踏まえず、児童生徒に望ましいと思われる分かりきったことを言わせたり書かせたりする授業になっている例があることなど、多くの課題が指摘されている」(中央教育審議会「道徳に係る教育課程の改善等について」)

○学習指導要領も特定の価値観を押しつける教材を否定しています。

「多様な見方や考え方のできる事柄を取り扱う場合には、特定の見方や考え方に偏った取り扱いがなされていないものであること」(学習指導要領)
これらを活用し、教科書に縛られることなく、目の前の子どもたちにあった資料を使った授業をつくりだしましょう。

③ 評価することされることに教師も子ともも縛られず、記述評価の利点をいかし、子ともたちに励ましの評価を

○評価は子どもたちを励ますものです。

 評価というものは、子どもたちをランク付けすることではなく、子どもたちの普段の様子や、学習の到達点をさらに伸ばし高めるために、子どもたちを励ますものでなければなりません。

○記述式評価の利点を生かし子どもたちの良いところを記述しましょう。

 文科省は「数値による評価ではなく、記述式で評価を行う」としていますが、そもそも子どもたちの心に評価を行うことは大きな問題です。

 そして、記述式であれ、そこで特定の価値観を押しつけるようなことがあってはなりません。

 しかし、記述式評価をおこなわなければならないのは事実です。記述式評価の利点をいかし、子どもたちのよいところを積極的に書き、子どもたちが励まされる評価にしていくことが非常に重要です。また、子どもたちが評価を気にしすぎて建前を書くような授業ではなく、本音を出せる授業のためにも、道徳のみならず、学級活動や学校活動全体を通じて、子どもたちが本音を出せる、出しあえる環境づくりもあわせて重要となってきます。

④ 批判的検討力を身につけることが大切

○教科書の記述を逆活用するのもあり!

 教科書の内容を子どもたちが鵜呑みにすることは非常に危険です。むしろ、「教科書に書かれていることは本当にそうなのか」、「教科書に~と書かれているけれども、なぜそうなるのか」といったように、内容を批判的に見て、批判的に問う力を子どもたち価身価つけさせることが大切です。その時の考える視点は、事実や根拠に基づいたものであり、議論をおこなう場合も合意をもとにすすめられることが重要になります。

○価値の統一ではなく、価値のすりあわせが大切

 文科省は「考える道徳」と「主体的・対話的で深い学び」を押しつけようとしています。対話をおこなうことで大切なことは、価値を統一することではなく、「価値観のすり合わせ」をおこなうことです。これ価より、お互いを理解すること、認めることができ、「道徳的価値認識」を高めることができます。このような価値のすり合わせをおこなおうと思うと、当然教科書通りの枠にはまったものでは限界があります。

(『おおさかの子どもと教育』85号p14~17 久田敏彦論文参照)

 道徳の教科化を、「戦争する国づくり」のための、国家に従順な人づくり(=戦争する人づくり)に利用しようとする反動的意図を許さないためにも、教科書に書かれていることに従順に従うような授業や、国家に従順な人づくりではなく、物事を批判的に分析し、他人と議論を重ねる中で、価値をすり合わせ、認識を高めていける子どもたちを育てることが、いま重要になっています。

道徳教科書検討の視点

(1) 憲法・子ともの権利条約にもとつく徳目や、教材になっているか

(2) 真理・真実に基づく内容で、科学的精神・合理的精神・批判的精神を育むものとなっているか

(3) 子どもの成長・発達段階にそくしたものになっているか

(4) 特定の価値観を押しつけるものになっていないか

(5) 子どもの生活の事実や関心から遊離したものになっていないか

  

新学習指導要領の特徴と問題点 「総則」

新学習指導要領 職場討議資料 > 総則

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

ここが問題!学習指導要領(総則編)

■ 図解・学習指導要領総則 ■(PDF)

改悪教育本法の全面的な具体化

改悪教基法(2006)第2条(教育の目標)

1 幅広い知識と教養を身に付け,真理を求める態度を養い,豊かな情操と
道徳心を培うとともに,健やかな身体を養うこと。

2 個人の価値を尊重して,その能力を伸ばし,創造性を培い,自主及び自
律の精神を養うとともに,職業及び生活との関連を重視し,勤労を重んずる態度を養うこと。

3 正義と責任,男女の平等,自他の敬愛と協力を重んずるとともに,公共
の精神に基づき,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与する態度を養うこと。

4 生命を尊び,自然を大切にし,環境の保全に寄与する態度を養うこと。

5 伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

事実上,国が定めるスタンダード化

教育内容・教育方法,学校運営を学習指導要領で縛る!

【新学習指導要領】

前文に改悪教基法第2条(教育の目標)をまるごと載せ,それにもとづく教育の実現をめざす→改悪教基法の初の具体化

「授業改善」と「道徳の教科化」で教育内容と教育方法を縛り,カリキュラム・マネジメント(PDCAサイクル)で点検

注:=おもな問題点
  =捉え返して対抗軸として使える項目

問題1

「人格の完成」から「資質・能力の育成」へ
「授業改善・道徳の教科化・カリキュラム・マネジメント」

【教育課程の役割】[1]

各学校において,適切な教育課程編成

 ▲「主体的・対話的で深い学び」の実現を授業改善で
「アクティブ・ラーニング」という言葉は消えたが,「主体的・対話的で深い学び」で授業内容・方法の画一化ねらう
②・活用,思考力,判断力,表現力「態度」を養う
 ・道徳教育=特別の教科道徳を要に
  →畏敬の念,伝統文化,我が国と郷土を愛し,…
③資質・能力について→国がきめる
 ・知識・技能・思考力,判断力,表現力
 ・学びに向かう力人間性の涵養
④各校がカリキュラム・マネジメントに努める

問題2
横断的視点の資質・能力育成と授業負担
週あたりの負担過重避けるために長期休業中に授業あてる

【教育課程の編成】[2]
①家庭,地域との共有→社会に開かれた教育課程
②横断的視点に立った資質・能力の育成
③内容等の扱い=学校によって必要がある場合→加えて指導
    「負担過重さけよ」と言っているが,
・授業時数等の取扱いは
  週あたり時数…負担過重ならないように夏休みなど
  長期休業日に授業日を設定するなど適切な授業時数をあてる
・主体的・対話的で深い学びの実現へ授業改善
       →資質・能力育む(指導計画作成の配慮事項)
④幼小間,小中高間の接続
 義務教育学校=9年間を見通した編成
  「小中一貫」を口実とした教育内容・方法の統制

問題3
道徳教育=指導内容の重点化
法・きまりを守る,伝統・文化尊重愛国心強調

道徳教育配慮事項】[6]
①指導内容の重点化
・低学年=善悪の判断,きまりを守る
・中学年=集団や社会のきまりを守ること
・高学年一法やきまりを守る 伝統,文化,愛国心
・中学校一法やきまりの意義「日本人としての自覚」
②道徳教育に関する活動→公表

学習評価】[3]
主体的,対話的で深い学び→授業改善
 「見方・考え方」が鍛えられていくように
 言語能力の育成=言語活動の充実
 情報活用能力の育成=プログラミング体験(小)
②学習評価の充実 資質・能力の育成に生かす

発達の支援】[4]
・キャリア教育の充実
・特別な配慮・指導で障害児のほか,
 新たに日本語困難,不登校を入れる

学校運営上の留意点】[5]
カリキュラム・マネジメントでPDCAサイクル化
家庭・地域との連携各校の連携…教員増見込めない

学校の教育課程編成権をもとに
各校で今まで蓄積された実践を活かして取りくもう

社会に開かれた教育課程の実現が重要【前文】
学習指導要領は大綱的基準としていること
各学校が特色を生かし,創意工夫を
長年にわたり積み重ねられてきた教育実践や学術研究の蓄積を生かし【前文】
 各学校において,適切な教育課程を編成する[1]
           ↓
 学校の教育課程編成権が保障されています。それぞれの学校でこれまでに積み重ねてきた教育実践や研究,蓄積されてきた学術研究を,そのまま使えます。それぞれの特色を活かして実践をすすめましょう。

★特活で掲げる行事を「総合」に振替え可能
 時数削減で学習負担を少しでも減らそう

授業時数をどうするか[2]

10~15分→時数にカウント
総合のまとめ取り可能
学校行事を総合にカウントして実施(現行指導要領も)
           ↓
 各学校で「創意工夫を生かした」時間割の弾力的編成が可能です。かき集めると,相当な時間が確保できることがこれまでの実践で明らかになっています。
 また,校外学習,体育行事,修学旅行などの行事を「同様の成果が期待できる」場合に総合にカウントできます。これにより,授業時数を削減できる可能性が生まれてきます。

  

新学習指導要領 批判分析 国語

新学習指導要領 職場討議資料 > 国語

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

国語

 国語科の主に小学校の学習指導要領について、まず、いくつかの間題点を指摘したいと思います。

1.「目標」について

 「目標」では、冒頭に「言葉による見方・考え方を働かせ」という文言がでてきます。この「見方・考え方」は、「総則」を反映して、国語に限らずすべての教科に新しく使われています。これが授業改善の軸とされるならば、いっそう授業の計画や展開が拘束される恐れがあります。

 現行にはない3点の目標がおかれていますが、そこでは「日常生活」という言葉が強調されています。これが日常生活に必要な程度の国語力で良い、という意味であるのならば、文学などを深く読み取る力は大部分の児童には必要がないということを意味します。また、日常生活にも、規範意識を持たせるという意味であるのならば、国語の授業時間以外にも踏み込んで規範に従う児童を育てるためと考えざるを得ません。さらには、「日常生活」に対して、教師はどのように評価すればいいのかという疑問も浮上してきます。

 また、「国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う」も目標とされていますが、これは、明らかに態度重視であり、スタンダードなど型にはめる教育が危惧されます。これを目標として位置付けるのは適切ではないと考えます。

 さらに、現行では「国語を適切に表現し正確に理解する能力」となっているものを順序を入れ替えて「国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力」としていますが、これも「総則」にいう「資質・能力」の反映であると考えられます。

2.各学年目標等について

 すべての学年で、目標の(1)に「日常生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに、我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。」と述べられています。これは、目標で指摘したように、「日常生活」という限定をすべての学年の目標にしていることを意味します。また、現行では「伝統的な言語文化」という表現が使われています。これ自身問題で、この文言のために、低学年での神話や中学年からの文語文が入れられて現場では指導に困難をきたしているものですが、新学習指導要領では、「我が国の言語文化」という文言にされています。「愛国心」の押しつけが問題にされている時期での「我が国の」という文言変更は、それに連なるものと考えられます。また、教育内容については、先に述べた神話や古典はそのままにされており、いまある指導困難は、解決されません。

 また、この「我が国の言語文化」の指導内容に、1・2年では、「長く親しまれている言葉遊びを通して、言葉の豊かさに気付くこと。」が新設されています。

 これが「わらべ歌」などのことを指しているのかどうか現段階では不明ですが、気になるところです。

3.各学年の指導内容について

 「読むこと」では、例えば1・2年では「分かったことや考えたことを述べる活動」「内容や感想などを伝えあったり、演じたりする活動」「分かったことなどを説明する活動」があげられていますが、現行の「本や文章を楽しんだり、想像を広げたりしながら読む」が削除されています。国語の時間の豊かさをそぎ落とすような内容になっており、豊かな文学体験や論理的な説明文学習などが軽視されるのではないかと危惧されます。

 また、「伝え合い」が重視され、個人の読みを深める点が軽視されています。他の学年についても同様の傾向があり、5・6年では、「自分の課題を解決するために」が削除されています。

 3・4年の「話すこと・聞くこと」では、ア「目的を意識して」「伝え合うために必要な事柄を選ぶ」イ「相手に伝わるように」とされ、現行のア「関心のあることなどから」が削除されています。

 これをみると、個人の関心や興味に基づくものでなく、相手や目的を重視したプレゼン能力の育成を目指しているように思えます。他の学年についても1・2年では、現行の「思い出す」から「選ぶ」に、5・6年では、「考えたいことや伝えたいことなどから話題を決め」が「目的や意図に応じて話題を決め」に変更されています。

 これでは、国語科の目的が、小さなビジネスマンを育てるかのように変質させられるのではないでしょうか。

4.私たちの対抗軸

 よく読めば、新学習指導要領の文言の中にも私たちが今まで積み重ねてきた実践と捉えかえせる部分もあります。これを活用した実践は、対抗軸となり得るのではないでしょうか。

 例えば、1・2年Bの「書くこと」では、「経験したことや想像したことなどから書くことを見付け、必要な事柄を集めたり確かめたりして、伝えたいことを明確にすること」「文章に対する感想を伝え合い、自分の文章の内容や表現のよいところを見付けること」などが述べられています。

 これは、私たちが、生活綴り方の実践の中などでごく当たり前にしてきたこと、と捉えかえすことができるでしょう。

 もちろん、文学教育や説明文の指導で積み重ねてきた実践を、教育課程の民主的編成として具体化することは、大変重要なことです。スタンダード化など教師が枠にはめられていく傾向が強まっている中、「新学習指導要領のもとでも、こういう実践ができる」という方向性を示していくことが必要であると考えます。

  

新学習指導要領 批判分析 外国語

新学習指導要領 職場討議資料 > 外国語

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

外国語

1.新学習指導要領の問題点

(1) はじめに

 新学習指導要領は、学習方法や評価および資質にまで言及しています。これは現場の授業を相当に拘束することになり、教員の自主的創造的な授業の障害になります。教員が、一人ひとり異なる生徒の実態に基づき様々な判断や工夫を凝らしてこそ、生き生きした授業が展開できるのです。

 今回の改訂では、4技能の1つの「話すこと」が「話すこと「やり取り」」と「話すこと「発表」」に分かれて、中学校の指導目標には「聞くこと、読むこと、話すこと「やり取り」、話すこと「発表」、書くことの5つの領域別に設定する」と書かれ、「話すこと」に重きを置いた内容になっています。

 グローバル化に対応して「コミュニケーション能力の育成」をよりいっそうすす
めるものになっています。

(2) 小学校での外国語教育(英語教育)の早期化、教科化は無理があります

 今の条件で、小学校3年生から外国語活動、5年生から教科としての外国語科を導入することはあまりに無謀です。英語教育は入門期の指導が最も難しく、また大切です。入門期でつまずくとそれがずっと続いていく場合が多いからです。

 仮に小学校で教科を導入するのであれば、専門的知識や技術を持つ専科教員を養成しておこなうべきです。
さらに聞く、話すに加え、読む、書くことも加わり、語彙数でも600~700を学ぶこともあまりにレベルが高すぎます。「わからない子」や「英語嫌いの子」が早期から生まれ、増えてきます。

(3) 「授業は英語で」を押しつけないでください

 高校に続いて中学校でも英語の「授業は英語で行うことを基本とする」との方針を新学習指導要領に盛り込んできました。上から学習指導要領で「授業は英語で」を制度化することは、学問的に確固たる裏付けもなければ、検証もありません。

 学習指導要領によって高校に「授業は英語で」が導入されたのは2013年度の1年生からで、まだ3年生までの完成年度に達していません。なぜ、このような教員の手足を縛る無謀な方針を急ぐのでしょうか。

 この間題は、高校への導入過程でも疑念を生みましたが、実施後の総括もきちんとされていません。そうした状況で、中学校段階まで「前倒し」をするのはあまりに乱暴です。中学校でも導入されると、上からの指導も強まり、「英語で行うことが目的化」する授業になってしまう恐れが十分にあります。

(4) 実態を無視した「高すぎる目標設定」

 小中学校を通して語彙数が急増させられようとしていることは最も深刻な問題の一つです。これまでは小学校の外国語活動を経験してきた子どもたちは、中学校で文字や語彙を学び始め、中学卒業までに1200語を学ぶとされてきました(その前の指導要領の時は900語でした)。今回の改訂では、小学校での600~700語に加え、中学校で新たに1600~1800語で、合計2200~2500語を学ぶとしています。これまでの約2倍です。それに加え、中学校で現在完了進行形や仮定法・感嘆文も学ぶとされています。

 小学校に外国語活動が導入されてから、中学校入学段階で「英語は苦手」という生徒たちが増えてきていました。今回の内容では、中学校で学び直すことも難しい状況です。小中学校現場での実態を無視した改訂をすすめれば、「わからない子」「英語嫌いな子」を早い段階から作り出し、全体としての英語学力もむしろ低下させることにもなります。

2.私たちがめざす外国語教育
-すべての子どもたちに外国語を学ぶよろこびと平和な未来をひらく力を-

 公教育は「スキルの習得」のみを目的とするのではなく「人格の形成」を目標としています。新学習指導要領に示されたスキルに偏った英語力ではなく、教材の内容と質を重視し、人格形成と結びついた英語の学力を身につけさせることが大切です。

 「外国語のことばを知るということは、それだけ多くの心の窓をもつということです。戦時中は、その窓を閉ざさなければなりませんでした」(NHK「花子とアン」より)で言うように、外国語教育の意義には、広く深いものがあります。

 私たちはこの間、教職員組合や民間教育団体の教育研究活動を通じて「外国語教育の4目的」を確立してきています。

【外国語教育の4目的】(2001年)
1 外国語の学習をとおして、世界平和、民族共生、民主主義、人権擁護、環境保護のために、世界の人びととの理解、交流、連帯を進める。
2 労働と生活を基礎として、外国語の学習で養うことがでさる思考や感性を育てる。
3 外国語と日本語とを比較して、日本語への認識を深める。
4 以上をふまえながら、外国語を使う能力の基礎を養う。

 教育研究集会などでは、学習指導要領や教科書の批判検討を行い、英語の学力と豊かな心を育てることを統一させる実践を交流し広げてきました。このことは学習指導要領が「コミュニケーション能力の育成」を声高に打ち出しても、どの教科書も「英会話のテキスト」ではなく、私たち現場の声やこれまでの教育研究活動の成果を反映して、題材内容に「平和」「人権」「環境問題」などを扱ったり、欧米中心からアジア・アフリカを取り上げたものがふえていることからもわかります。

 そのような中、「外国語教育の4目的」にもとついて、自己表現活動、平和・人権・環境問題などを題材にした自主教材、キング牧師の I Have A Dream やマララ演説などのスピーチやマザー・テレサ、杉原千畝6000人のビザなど内容の豊かな教材をじっくりと読み取る実践、自ら学ぶ主体としての協同学習の実践などをすすめてきています。ALTとのティーム・ティーチングでも、単にパターンプラクティスに終わらせずに、「何を伝えるか」を重視した自己表現のとりくみを発展させる必要があります。

 いま現行学習指導要領のもとで、早い時期から多くの英語ぎらいを生み出している現状をふまえ、競争的な学習ではなく、「すべての」子どもの成長・発達を保障する教育、「英語を学ぶ楽しみと分かるよろこび」を味わい「豊かな人間性をはぐくむ」外国語教育の実践をよりいっそう深めていきたいと思います。

  

新学習指導要領 批判分析 社会科

新学習指導要領 職場討議資料 > 社会科

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

社会科

<小学校>

1.新学習指導要領の特徴とそこから見える問題点

 他教科と同様に、新学習指導要領で初めて明記された、「資質・能力」の3つの柱に基づき、目標が整理されていることは、大きな問題である。小学校社会科における特徴と問題点は次のものである。

<「愛国心」教育の強調>

 全ての学年で「愛国心」教育が色濃く出されている。まず全体の目標において、「我が国の国土と歴史に対する愛情」との文言が足され、3・4年生では「地域社会に対する誇りと愛情」、5年生では「我が国の国土に対する愛情」、6年生では「我が国の歴史や伝統を大切にて国を愛する心情」をそれぞれ養うこととある。

 また3~5年生では引き続き、国旗があることの理解と尊重する態度を養うことが書かれていることや、3年生では「元号」を用いた表し方を取り上げることが付加されたことは、これらの目標と結びながら、「愛国心」教育が強くすすめられる危険性がある。

<スキル主義の危険性>

 これまで4年生以上で使用していた、教科用図書「地図」(以下「地図帳」)が3年生から使用することになり、白地図にまとめる作業もおこなうようになっている。これまでも5・6年生では、地図や地球儀などの資料活用は書かれてきたが、文言が整理される中で、より細かく地図・地球儀に加え、統計・年表、遺跡や文化財の資料など記述されていることは、注視する必要がある。

 そして、「地図帳」の取り扱いに関しては、全学年で活用することが新設されたことや、47都道府県の名称と位置の指導に関して、地図帳や地球儀を使って確認することに加え、小学校卒業までに身に付け「活用」できるように指導することになっている。

<自衛隊、領土の範囲の記述>

 最後に、特筆すべき内容として、4年生の内容で「自衛隊」を取り扱うようになっていることや、5年生の領±の範囲において、「竹島や北方領土、尖閣諸島が我が国の固有の領土であることに触れること」とされたことは、大きな問題である。

2.いま社会科の時間で求められることは~真の主権者教育の場、教科書の逆活用も視野に~

 本当に社会科で身に付けさせたいことは、真の主権者としての力である。そのためには、集めた情報や与えられた情報や事象を、客観的かつ批判的に分析し、自分で考え判断する力が必要であり、「愛国心」教育を強調しても、必要な力は身に付かない。

 新学習指導要領は、竹島などを固有の領土として触れることや、国旗を尊重する態度を養う内容になっているが、このような部分は逆活用し、むしろ子どもたちと客観的な資料(史料)を用いながら、批判的に分析する契機にすることで、子どもたちの視野を広げ、より深い学習につながると考えられる。

<中学校>

1.新学習指導要領の特徴と問題点

 小学校と同様に、新しく明記された「資質・能力」に基づき目標や内容が整理されていることは、大きな問題である。

 中学校社会科における特徴と問題点は次の通りである。

<愛国心をより強調した目標に>

 これまでの目標にも、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め」とあった。しかし、今回の改訂では、地理、歴史、公民それぞれの分野の目標にまでも、「愛国心」の記述がある。地理では、「我が国の国土に対する愛情」、歴史では引き続き、「我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚」、そして、公民では、「国民主権を担う公民として、自国を愛し、その平和と繁栄を図る…」とある。

 このように各分野の目標にまで、「愛国心」に関わる目標が明記されたことは、大きな問題である。

 また、その方法として、「多面的・多角的に考察や深い理解を通して」とある。

 たしかに、一面的な見方ではなく、物事を多面的・多角的に考えることは重要であり、学びを深めるためには必要なことである。しかし、この文言が新学習指導要領では、あらゆるところに散りばめられていることは、教育方法の統制につながるおそれがある。

<領土問題に関わる記述の増加と具体化>

 小学校においても、領土問題に関わる記述に変化が見られたが、中学校ではより具体的な記述になっていることが問題である。

 地理では、「竹島」と「尖閣諸島」が追加され、「領土間題は存在しないことも扱うこと」と明記された。領土に関わって今でも議論されているにも関わらず、この様な記述が見られることは問題である。歴史でも具体的になっている。近代史で領土の画定などを取り扱う際に、「北方領土に触れるとともに、竹島、尖閣諸島の編入についても触れること」と追加された。そして公民では、「我が国が、固有の領土である竹島や北方領土に関し…尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題は存在しないことなどを取り上げること」と追加された。

 このように、領土問題に関する政府見解を押しつける記述になっていることは大きな問題である。

2.わたしたちが大切にしたいこと

 グローバル化や情報化がすすむ中だからこそ、物事を一面的ではなく、多面的・多角的に見る力が必要である。そのためには、様々な角度からの資料などを用いた授業を展開することが大切であり、その中で子どもたちに、学ぶことの面白さや、深く学ぶ大切さを実感させることが大切である。そして、指導要領でも、一面的な見解を配慮なくとりあげることを否定し、子どもたちに事実を客観的に捉えさせるようにと書いてある。

 今回の改訂で、琉球やアイヌの文化の内容が追加されたことや、核兵器の脅威にふれることで戦争を防止する内容が入ったことは大きい。平和で民主的な国家の主権者として子どもたちが力をつける授業を展開することが望まれる。

  

新学習指導要領 批判分析 算数・数学

新学習指導要領 職場討議資料 > 算数・数学

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

算数・数学

1.新学習指導要領の概観

 過去から引き継いでいる問題点-ひっ算の軽視、特殊な型の先行学習、など-はほぼそのままに、今回の改定では以下の様な大きな問題が加わりました。

①<「人材」育成のための算数的領域>への変質

 各学年の目標が、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」に変わりました。これは、算数科の学習が<「人材」育成のための算数的領域>に変わったと考えられます。

②学習内容がさらに増えより難しく

 例えば、2年生の分数学習が現行「1/2、1/4など簡単な分数について知ること」から「1/2、1/3など…」と変わるなど、様々な部分で内容が増え、難しくなっています。

③<学習方法><態度>にさらに踏み込む

「…よりよいものを求めて粘り強く考える態度…を養う」(4~6年生の「目標」)のように、学習方法や態度にさらに踏み込んできています。

2.具体的な問題点

 1.で示した問題点について、かいつまんで具体的に示します。

①<教科教育・算数>から<「人材」育成のための算数的領域>への変質

 これまで「数と計算」「量と測定」「図形」「数量関係」にわかれていた各学年の目標が、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」に変わりました。また、内容は「A数と計算」「B図形」「C測定(3年生まで)/変化と関係(4年生から)」「Dデータの活用」となり、現行「B量と測定」「D数量関係」は削除されました。算数科指導要領の内容で示される領域から<量>という言葉が消えました。

 そして、活動は「算数的活動」から「数学的活動」に名を変え、例えば「…数学的活動を通して、数学的活動に考える資質・能力を…育成することを目指す。

(1)…日常の事象を数理的に処理する技能を身に付ける…(2)日常の事象を数理的に捉え見通しをもち筋道を立てて考察する力、…」となりました。

 わたしたちは、身のまわりの現象を量を手がかりにして解き明かすような学習を、算数教育としてとりくんで来ました。

 しかし、上で示したような変更を目の当たりにすると、算数科学習が<教科教育算数>から<「人材」育成の算数的領域>に変わったと感じざるを得ません。
②学習内容はさらに増え、より難しく以前から「より早い学年から・少しずつ・くり返し学習する」<スパイラル学習>が指導要領に取り入れられています。

 たとえば、1年生で16+3のようなたし算を扱ったり、3年生で96÷3のようなわり算を扱うことがそれにあたります。

 おそらく「子どもが苦手な内容は、早くから何度もくり返し学習させればよい」という発想が根底にあるのだと思います。

 現行指導要領の2年生では「1/2、1/4など簡単な分数について知ること」となっていますが、これは3年生でも難しい分数の学習を2年生から扱うという無謀な内容でした。それをさらに「1/2、1/3など…」とするのですから、驚きます。1/2、1/4なら、色紙や紙テープを半分・さらに半分と折ることで創ることはできますが、1/3をどのように作るのでしょうか、大いに疑問です。わたしたちは、「学ぶには<学びどき>がある」と考えてきました。早くから何度もくり返して学ぶことで身につけさせようという発想は、子どもを学びの主体ととらえず、「人材」としてとらえる発想から生まれているのではないでしょうか。

 その他、現行6年生の<速さ>が5年生での学習になりました。また、5年生での現行「10倍、100倍、…の数をつくり、それらの関係を調べること」が「10倍、100倍、1000倍…の数を小数点の位置を移してつくること」となるなど、様々な部分で内容が増え、難しくなっています。

③<学習方法><態度>にさらに踏み込む

 これまで使われてきた「算数的活動」という言葉が「数学的活動」と変わりました。その内容は、「数学的活動を通して、児童の主体的・対話的で深い学びの実現を図るようにすること。:二「数学的活動を楽しめるようにする機会を設けること」「友だちと考えを伝え合うことで学び合ったり、…よりよく問題解決できたことを実感したりする機会を設けること」(「指導計画と内容の取り扱い」)とされています。各地で授業運営のスタンダード化が押しつけられていますが、これまで以上に学習方法に踏み込んだ記述になっています。

 また、「…よりよいものを求めて粘り強く考える態度…を養う」(4~6年生の「目標」)も気になります。<量>という言葉が消え、学習内容がさらに増え難しくなる中で、「粘り強く考える態度を養う」というのは、どのような学習を想定しているのでしょうか。子どもたちが粘り強く考えたくなるのは、適当な時期に質の高い内容と出会ったときだと思うのですが…。

3.これからの実践を切り拓くには

 学習指導要領・解説で入口を、「全国学テ」で出口を塞がれ、教員評価(成績主義賃金)で縛られて、日々の実践から自由が奪われています。

 そんな今だからこそ、わたしたちは高い専門性をもって授業に臨まなければいけません。教科書の指導書がなければ授業ができないような、市販テストを買わなければ評価ができないような、学習規律や授業運営スタンダードを誰かに決められないと授業運営ができないようなことで、果たしてわたしたちは子どもたちにとってよい授業者たり得るでしょうか。

 多忙という言葉だけでは表現しきれない毎日の忙しさですが、それでも「明日にしか役立たないような些末な技能」に頼るのではなく、しっかりとした専門性を身につけた授業者であるべきなのです。

 子どもたちに学んで欲しい内容を、子どもたちが学ぶにふさわしい時期に、子どもたちにわかりやすく教える。そんな実践がひとつでも増えるように、なかまとともに学び合い、育ち合う職場を創ることが大切なのではないでしょうか。

 

  

新学習指導要領 批判分析 理科

新学習指導要領 職場討議資料 > 理科

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

理科

<小学校>

1.新学習指導要領の特徴と問題点

<目標・内容をこまかく規定>

 今回の改訂により、全学年で、目標、内容が詳細な記述になっている。その背景にあるものは、新たに示された「資質・能力」である。これが示す3つの柱にそって、①観察、実験に関する基本的な技能、②課題を追求すること、③課題を追求し、主体的に問題解決しようとする態度、をどの学年のどの単元でも身に付けるようになっている。このように、国が「資質・能力」を示し、育成すべき力を限定していることは注意が必要であり、授業の画一化につながるおそれもある。

<表現方法の高度化>

 「思考力・判断力・表現力」にかかわり、表現するまでのプロセスが具体的に示されているのも、特徴的である。
課題を追求することを前提に、3年生では、「主な差異点や共通点を基に問題を見出し」、4年生では、「既習の内容や生活体験を基に…根拠ある予想や仮説を発想し」、5年生では、「関係する条件についての予想や仮説を基に、解決の方法を発想し」、6年生では、「より妥当な考えをつくりだし」表現することになっている。一定、段階をおった指導に見えるが、求められていることが高度であり、すべての子どもがこのように表現することは難しいうえに、表現方法を規定したことは大きな問題といえる。

<プログラミング教育の新設と、自然災害を全学年で取扱う>

 今回の改訂で小学校では、「プログラミング教育」が必修化される。中学校では技術科の内容に該当するが、小学校では、総合的な学習、算数、理科、音楽の時間を利用し、おこなうようになっている。

 理科においては、第3指導計画の作成と内容の取扱いで、「観察、実験などの指導にあたって…プログラミングを体験しながら論理的思考力を身につける」としている。そして、6年生の電気の性質や働きの単元が例示されている。

 「プログラミング教育」は、急に出てきたものであり、教育現場からの要望によってできたものではない。また、理科との関わりも明確にされておらず、なぜ理科で「プログラミング教育」をおこなわなければならないかも、明らかでない。

 そして、教育環境の整備なしでは、この「プログラミング」はうまくいくはずがない。

2.小学校理科で大切にしたいこと

 今回の改訂では、「科学的な見方や考え方を養う」という文言が消えた。

 本来理科は、実験や観察などを通して直接自然に働きかけ、科学的な見方を身につけていく教科である。そして科学とは何かを学ぶところに面白さがある。突然現れた「プログラミング教育」などに惑わされず、子どもたちが科学を学ぶことの楽しさや大切さを実感できる授業を展開することが、今こそ求められる。

<中学校>

1.新学習指導要領の特徴

<目標の変化>

 中学校理科の目標は、「自然の事物・現象に関わり、理科の見方・考え方を働かせ、見通しをもって観察、実験をおこなうなどを通して、自然の事物・現象を科学的に探究するために必要な資質・能力を次のとおり育成する」とし、新たなに規定された「資質・能力」にもとづき設定され、そこでは、「科学的に探究する態度」までも明確に位置づけられている。

 現行の指導要領では、「科学的な見方や考え方を養う」ことが大きな目標となっていた。しかし、探究する態度が記されたことや、「科学的」な見方や考え方を、「『理科』の見方・考え方を働かせ」と変わったことは、大きな問題である。

<理解すること・探究することの強調>

 目標から内容に関して、「科学的に探究する」ことが強調され、その視点からの「技能」や「態度」を身につけることが重視されていることは注視する必要がある。また、現行の指導要領では、観察や実験から、性質などを「見いだす」ことや、「とらえる」となっていたところが、「見いだし理解すること」「関連付けて理解すること」と、1分野、2分野ともに、「事象を理解すること」が強調されている。たしかに理解することは重要であるが、ここまで「理解すること」が強調されていることは、合わせて注視することが重要である。

2.大切にしたいこと~私たちの実践のポイント~

 理科の授業を通じて子どもたちに学ばせたいことは、国や財界が求める人材育成に必要な「理科の見方・考え方」ではなく、自然の事物・現象について理解を深め、「科学的な見方・考え方」を身につけることである。しかし、新学習指導要領は、「科学的に探究すること」が重視され、態度まで規定するところに問題がある。

 そのような中、現代日本の抱える課題等にかかわる内容が補填されている面もあり、その部分は最大限に活用し、授業を展開していくことが重要である。

 例として第1分野では、プラスチックの取り扱いの変化がある。現行指導要領では、有機物と無機物、金属と非金属の違いの中で唐突に扱われてきたが、新学習指導要領では、天然の物質や人工的につくられた物質の中で取り扱われるようになったことは、意義のあることである。

 第2分野では、「内容の取扱い」において、「地球内部の働き」の中で、「津波発生の仕組みについても触れること」が追加された。これは東日本大震災など、現代がかかえる問題に即した内容であり、とりあげられたことは大きい。現行の指導要領から追加された、放射線の内容と合わせて、原発事故の問題等を深く学ぶチャンスが広がっている。

 このような部分をうまく活用し、科学的見地にもとづいた授業を展開することが求められる。

  

新学習指導要領 批判分析 美術

新学習指導要領 職場討議資料 > 美術

大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

美術

1.目標部分の変更は大問題

 美術教育の目標について、大きな変更が持ち込まれました。それは、従来の美術教育の考え方とは全く異質なものであるといえるでしょう。

 現行指導要領では、その目的は「美術の創造活動の喜びを味わい美術を愛好する心情を育てるとともに、感性を豊かにし、美術の基礎的な能力を伸ばし、……豊かな情操を養う」とされています。美術・造形活動の中にある“喜びの要素”を大事にする点や、その能力は“子どもの中から引き出し伸ばしていくもの”であると読み取り理解できる、造形表現能力観が残されていました。『情操』という言葉で目標文は締めくくられ、ある意味では伝統的な美術教育の考え方の中にあったといえるでしょう。

 しかし、今回発表された新学習指導要領では、「造形的な見方・考え方を働かせ、生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力を次の通り育成することを目指す」としています。『資質・能力』という今回の指導要領全体に共通する特異な教育観・学力観では、その『資質・能力』は『知識・技能』『思考力・判断力・表現力等』『学びに向かう力・人間性等』(2016年12月の中教審答申の資料)によって構成されていると説明されています。一人ひとりの表現する喜びと深く結びついている美術教育で養うものを「2030年のグローバル競争社会を生き抜く人材に必要な能力」(教育課程企画特別部会の2016年8月の論点整理)とし、人格の完成を目指してきた教育から根本的に変えていこうとしているといえるでしょう。こうした教科観が評価(通知表など)と結びついて強制されていくことを考えると、この間題は極めて重要だと思います。

 また、「……できるようにする」という到達基準の設定ともいえる指導的視点を強調する文末表現も気になります。

2.「できるようにする」という具体的指示が強調されているが…

 今回の指導要領の文末の特徴は、「……できるようにする」「……身につけることができるように指導する」という言葉です。それと併せて、内容の取扱いの部分で「第1学年では、……各事項の定着を図ることを基本とし、一年間ですべての内容が学習できるように一題材に充てる時間数などについて十分に検討」することなっているが、このことがカリキュラムマネジメントで点検されていけば、少ない美術の時間が細切れの知識注入や達成感の無い短時間教材の羅列というカリキュラムにならざるを得ないのではないでしょうか。美術の授業から試行錯誤やじっくり自己を見つめ表現意欲を醸し出すための時間を省略していいはずはありません。そんな流れが強まっていくのではないかという危惧を禁じえません。

3.美術から「自己表現」の側面を抜き取り「注文にこたえる活動」へ

 今次改定のもう一つの特徴は、『社会に開かれた……』教育課程を目指すとしていることです。「社会とのかかわり……」という言葉が随所にちりばめられることにより、社会に対して批判的見地を持たない限り、コマーシャリズムが際限なく入ってくることになるでしょう。思春期の表現活動は自分の内面の形成と深く関わっています。人間形成にとって大事な時期に“外から与えられた課題”に自分の気持ちや造形表現技術をすり合わせるだけでいいのでしょうか。造形表現活動は本来、一人ひとりの人格と深く結びついています。作品のテーマを決めていくのはあくまで個人です。この点を否定することになる今回の方向性は、触覚、認識、言語などの人間活動の総合である造形表現活動を、子どものリアルな生活実感と切り離し、単なる“技術”に既めることになるのではないでしょうか。

4.「特別の教科・道徳」と思春期の美術表現は両立しえない

 前回強調された道徳とのかかわりは、「特別の教科道徳」の導入と、道徳をあらゆる教科の上に置くという今回の改定の中で、文面の変更がなくても大きな構造変更と考えるべきでしょう。この指導要領全体が道徳強化=国民教化の色合いを強く打ち出していることについてはそのまま認めるわけにはいきません。表現の前提は内面の自由です。作品のテーマは本来自分で設定するものです。美術の表現と、ここでいう道徳は、本来は全く両立しえないものです。また、思春期の生徒のテーマは、時として“反道徳的”になることは発達上十分考えられることですし、それを認めたうえで、さらに本人が表現を深めていけるよう指導すべきでしょう。徳目ばかりを意識した“道徳的指導”では、表現のリアリティは消え、建て前と嘘がまかり通る“やらせ的表現”の授業となってしまうでしょう。

5.アクティブ・ラーニング、言語活動、カリキュラムマネジメント、評価の変更など

 指導要領に触れていないことでも気になることは沢山あります。「論点整理」の中で強調された「アクティブ・ラーニング」などについても、子どもの自由な表現活動の保障という教科の本質から批判検討が必要でしょう。とりわけ、「評価」の問題は私たちの子ども観、教育観、美術観などが試されています。全国的な実践研究交流を至急に進めていきましょう。