〈総論〉新学習指導要領の本質とねらい

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大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

〈総論〉

新学習指導要領の本質とねらい
 ~徹底批判と抜本的見直しをすすめよう~

I ここが「新学習指導要領」の問題点

 3月3l日に文部科学省が官報告示した「新学習指導要領」のもっとも大きな特徴は、2006年に改悪された教育基本法が全面的に反映された初めての学習指導要領であり、多くの問題をかかえています。

 第一に、改悪された教育基本法の問題点は、教育の目標に①「我が国と郷土を愛する」との文言を明記し、「愛国心教育」が押しだされていること、②「教育振興基本計画」など、権力による教育への介入をすすめるものになっていることです。このように問題のある改悪教基法の第2条2項の条文が、新学習指導要領に前文を新設して明記されていることは重大な問題です。ここからも改悪教基法を全面的に具体化し、押しつけようとしていることは明白です。

 第二に、道徳の「教科化」をめぐる問題です。小学校では2018年度から、中学校では2019年度から教科化されます。戦前の教育は「修身」を筆頭教科として、子どもたちを戦争にかり立てていきました。その反省に立ち、戦後教育は「修身」を廃止しました。それが19ば58年学習指導要領で道徳として復活し、今回は特別の教科として格上げされます。

 これはまさに戦前の「修身」を彷彿させるものであり、国が子どもたちの人格までも支配しようとする動きに他なりません。このように、道徳の「教科化」は、この間の「戦争法」、「共謀罪」法強行、「教育勅語」をめぐる動きと相まって、「戦争する国づくり・人づくり」をねらうものといえます。

 第三は、国や財界が求める「人材育成」のために教育が大きくゆがめられようとしている点です。新学習指導要領では、英語教育が早期化され、教科化もおこなわれます。小学校3・4年生からの「外国語活動」、小学5・6年生では教科としての「英語」がはじまります。これに加え、中学・高校においても語彙数が大幅に増え、授業もすべて英語でおこなうなど、授業が高度化されます。これにともなって小学校では授業時間が増やされ、小学4年生以上は中学校と同じ年間1015時間となり、極限を超えたつめこみ教育になります。ここからは、小学校段階からのつめこみ教育で、早期から選別と切りすての教育をすすめ、一部のエリートさえ育てばよいとの意図が見えてきます。

 また、小学校から導入される「プログラミング教育」も注視する必要があります。この背景には財界や安倍政権による「第4次産業革命」があり、この達成のために必要な、ビッグデータや人工知能(AI)を活用できるような人材の育成に、教育を利用しようとしています。このように、すべての子どもたちに学力をつける観点ばなく、国や財界が求める一部のエリート育成のための教育をおしすすめようとする動きば絶対に許すことばできません。

 第四ば、教職員や学校への管理・統制を強めるものであることです。この間、「アクティブ・ラーニング」が声高に叫ばれてきましたが、「子どもが活動さえしていればよい」であったり、特定の型にはまった授業実践が多く出てきたりしたことから、授業の画一化が懸念され、文科省自ら、「アクティブ・ラーニング」の文言を新学習指導要領から消しました。

 しかし、「主体的・対話的で深い学び」を授業改善の方法として明記していることば問題です。また、パフォーマンス評価やポートフォリオ評価などの評価方法や、そのためのルーブリック(評価規準)の作成など、評価方法にまで言及していることも問題です。 本来、学習指導要領ば学習内容の大綱的基準が提示されるものであり、教育方法や評価方法などば、権力による介入が強まることから明記されてきませんでした。それを今回、ここまで踏み込んで明記したことば、学習指導要領を用いて、権力の教育介入を教育活動全体に強めようとする現れです。

 そして今回、上記のものに加え、「カリキュラム・マネジメント」との言葉を用い、学校の管理運営まで統制しようとしています。校長の権限を強化し、目標管理・PDCAサイクルを強めるためのこのような動きば、各学校における豊かな教育実践を、設定された目標を達成するための教育へと変質させることにつながります。

 以上のように、新学習指導要領は重大な問題があります。国や財界のねらいば、英語教育やプログラミング教育などの各論に散りばめられており、それらのねらいを達成するためのシステムづくりとして、総則が位置付けられています。

 2020年から順次全面実施がおこなわれる、新学習指導要領の批判をすすめ、抜本的見直しを求める大運動をすすめることが重要です。

(1)極限を超えたつめ込み教育で子ともたちは…

 小学校中学年以降で大幅に授業時間数が増加します。小学3年生で年間980時間(週あたり28コマ)、小学4年生以上ば年間1015時間(週あたり29コマ)となります。文部科学省が2015年度に調査した結果では、すでに授業時間数確保を名目に、小学校では週あたり1・2時間の上乗せ(全国平均)、そして33%の学校では週あたり2時間の上乗せをしている状態です。この状態にさらに上乗せをおこなうということば、ほとんどの学校で、4年生以上ば毎日6時間授業以上といった事態を引き起こします。

 この1015時間という授業時間数ば、戦後最悪といわれた1989年学習指導要領で示された時間数と同じです。しかし当時は週6日制であり、それを今回週5日制で行うとなると、授業時間数、内容ともに過密化し、極限を超えたつめこみ教育となります。実際に教育内容ば、現行学習指導要領において、1989年当時に近い状態に戻されており、さらに授業時間数を増やすことにより、子どもたちへの学習負担がいっそう大きくなります。このような極限を超えた授業時間数、教育内容では、学校嫌いを大量に生み、小学校段階から、選別と切りすての教育がすすむことは避けられません。

(2)大企業の求める「人材育成へ」
~英語教育、プログラミング教育のねらい~

 今回の改訂で、小学校英語の早期化と教科化、プログラミング教育が導入されます。これらのねらいは、「グローバル化」や「第4次産業革命」を名目に、大企業が求める人材育成を推進するものです。

 小学校での授業時間数増加の1つの要因となっている小学校英語は、現在小学5・6年生で行われている「外国語活動」が小学3・4年生から、5・6年生では「英語」が教科としてはじまります。教科化されることにより、英語の4領域を全て取り扱うことになり、高学年では英単語を覚えることや書くことまでも要求されます。小学校で扱う語彙数は、600~700語とされており、高度な内容になることが予想され、多数の英語嫌いを小学校段階から生み出す危険性があります。

 英語教育は入門期の指導がもっとも難しいとされていますが、その入門期の教育を担う小学校教員の中で、英語の教員免許をもっている割合は、全国でたったの5%です。そのため文科省は研修を行い、「英語教育推進リーダー」の養成をおこない、その研修を終えた教員が各地で研修をおこない、その研修を修了した教員を「中核教員」とすることで、2020年度から始まる小学校英語を乗り切ろうとしています。小学校からの英語の早期化と教科化をおこなうためには、全国で14万4千人の担任に研修を行う必要がありますが、2018年度までに育成ざれる「英語教育推進リーダー」は全国でたったの1000人、「中核教員」も2019年度までに、2万人ほどです。大半の教員がまともに研修を受けることができない状態で、子どもたちに英語を教える事態が起こることは大きな問題です。

 小学校における英語の早期化と教科化は、小学校だけの問題ではなく、中学・高校の英語教育にも大きな影響を及ぼします。小学校での語彙数の増加に伴い、中学校では3~5割、高校では3~7割の語彙が増加します。中学校卒業段階においては、現在1200語であるものが2500語へと倍加します。そして、中学・高校での授業は全て英語でおこなう、「オール・イングリッシュ方式」をとることになっており、授業についてこられない生徒を多数生み、教育困難を引き起こす危険があります。

資料 <外国語教育の語彙数の変化>
小学校:  明記なし⇒600~700語
中学校:  1200語⇒1600~1800語
中学卒業レベルで:2500語
高等学校: 1800語⇒1800~2500語
高校卒業レベルで:3000語⇒4000~5000語

 

 この流れの背景には、国や財界が求める一部の「エリート人材」の育成があります。安倍首相の私的諮問機関である教育再生実行会議の「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」では、グローバル人材育成の数値目標ば、年間10万人とざれています。しかしこれは、高校卒業の生徒数の1割程度のものであり、ここからも、すべての子どもたちに外国語を学ぶ楽しさや、基礎的な学力をつけることが目的ではなく、「一部のエリート人材」を育成することが目的であることがわかります。このような政策のもとでの英語教育は、多数の英語嫌いを生み出し、早期からの選別と切りすてがすすむ危険性を大きくはらんでいます。

 プログラミング教育はどうでしょうか。

 小学校においては、総則・理科・算数・総合においてプログラミングに関する記述があり、中学校の技術科では、これまでの内容から大きく高度化しています。

 この導入の背景にも、英語教育と同様に、財界が求める「人材育成」があります。昨年4月19日に行われた産業競争力会議において、初等中等教育からのプログラミング教育の必修化がいわれ、6月に閣議決定した「第4次産業革命」のための産業政策である「日本再興戦略2016」にも反映ざれました。これに呼応するように、文科省にプログラミング教育に関する有識者会議が設置され、そこでの議論が、新学習指導要領に反映ざれています。これらの流れからも、一連の産業政策の中で、この「プログラミング教育」が出てきたことは明白です。しかし英語教育政策と同様に、ここで求められる人材は、世界レベルは年間5人、企業トップレベルで年間50人と限られたものであり、すべてを合計しても年間6万人ほどです。ここからも一部のエリート教育のためのものとしか言いようがありません。

(3)道徳の「教科化」の問題点

 道徳の「教科化」をめぐっては、新学習指導要領より一歩早く、2015年度に一部改訂がなされ、小学校では201価8年度、中学校は2019年度から、「特別の教科道徳」がはじまります。

 道徳の教科化は国が子どもたちの内心にまて介入するものであり、戦前、筆頭教科であった「修身」の復活です。道徳が教科化されることにより、ア、国が検定した教科書を使うこと、イ、評価をおこなうこと が、大きな問題となります。この間の小学校道徳教科書検定では、文科省が「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」とし、小学1年生では、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」観点から、「パン」屋さんが「和菓子」屋さんへ、「アスレチック」
が「和楽器」へと変更させられ、小学4年生では、「高齢者に尊敬と感謝の気持ちをもって接すること」の観点から、「しょうぼうだんのおじさん」が「しょうぼうだんのおじいさん」に変更させられました。このことは国が検定をおこなうことで引き起こされた問題です。また、国が検定を行うことによって、特定の価値観に基づいた教科書がつくられ、それによって授業がおこなわれることは、国が子どもたちの内心にまで介入することにつながります。また、教師が指導しやすいようにとのことで、冒頭や末尾に設問が入れられたものが多くあったとされています。あらかじめ設問を示すことは、読み手の子どもたちに先入観を与えるとともに、読み方を規定する危険があります。これでは、子どもたちが自由に本音で語れる道徳ではなく、建前を刷り込まれるものへと、道徳の授業が変質させられてしまいます。

 そして、子どもの心に評価をつけることも大きな問題です。文科省は、「記述式で、他人と比較しない個人内評価」とするとしていますが、そもそも子どもたちの内面を評価すること自体が大きな問題です。

 道徳の教科化をめぐっては、教科化の理由が明確にされていません。この間、安倍「教育再生」の名のもとに教育基本法を改悪し、徳育の教科化を主張してきましたが、そもそも道徳を教科化したところて、いじめ問題が減り、それらが解決する根拠はどこにもありません。他にも、「道徳は他の教科に比べて軽視されている」といった筋違いの理由をもとに、中教審等て議論が重ねられてきました。

 ここからも「はじめに教科化ありき」の観点から議論が進められたことがわかります。道徳の授業がない高校においては、今回の改訂で、社会科の枠組みを大きく改変し、公民科の「現代社会」を廃止し、「公共(仮称)」を新設するとしています。

 この公共は高校版道徳の様相をおびており、今後注視する必要があります。

 この「道徳」教科化や「公共(仮称)」新設の背景には、「戦争法」や憲法改悪の動きがあり、「戦争する国づくり・人づくり」と一体となったものです。道徳を教科化することで、22もの徳目からなる、国が検定した教科書を使うことで、特定の価値観を小学校段階から刷り込み、国家に従順な人づくりをすすめることをねらっています。

(4)国が育成すべき「資質・能力」を規定したことの危険性

 国が教育目標として特定の「資質・能力」を規定したことは大きな問題です。

 しかもそこで、「学びに向かう力、人間性等を涵養すること」と人間性までも国が規定しようとしていることです。道徳の「教科化」と相まって、国が人格まて縛ってしまおうとする、非常に危険な動きです。本来の教育の目的は「人格の完成」であり、その人格は特定のものではなく、人間がもっているあらゆる側面を十分に伸ばす、全面発達の保障です。しかし、今回のように国が特定の「資質・能力」を規定するということは、国が求める特定の力を伸ばすことになり、人格支配にもつながるものです。

 この「資質・能力」の規定によって、これまで4観点であった評価の観点が、3観点に変更されます。ここにも大きな問題があります。これまで、「関心・意欲・態度」としていたものが、「主体的に学習に取り組む態度」と変えられ、子どもの態度のみを評価することになります。しかもその対象はすべての教科です。

 これは、徹底した「態度主義」「態度評価」への転換をねらったものであり、非常に危険なものです。これは、学習指導要領に初めて設けられた「前文」に、改悪教育基本法第2条2項が載せられたことと結びついています。

 この条文はすべてが「~の態度を養うこと」となっており、新学習指導要領にこの条文をもち込むことで、「態度主義」を徹底したことは明白です。

 これでは外見の態度を整えることが教育の目標とされ、建前の態度のみが評価され、子どもたちは授業や学校生活の中で本音で語ることはできません。大きく学校教育がゆがめられてしまいます。

(5)学校運営にまでも国が介入する

 文科省が声高に強調してきた「アクティブ・ラーニング」は新学習指導要領から文言こそ消えました。しかし、「主体的・対話的で深い学び」による授業改善を中心にすえるとしており、これは授業改善の方法で教育方法を縛る介入です。また、文科省が「主体的・対話的で深い学び」と読み替えたことにも重大な問題があります。本来「深い学び」をおこなうためには「批判的な思考」が必要不可欠です。そのためOECDのキー・コンピンシーやメディア・リテラシーでは、批判的思考の育成をその中核に位置づけています。しかし総務省は、「批判的」という言葉を「主体的」という言葉に置き換えて、メディア・リテラシーを「メディアを主体的に読み解く能力」と定義しています。

 今回の文科省のやり方は、総務省とほぼ同様のものです。しかし、「批判的」という文言を封じて「主体的」といった言葉を用いていることには、注意する必要があります。今回の改訂では、予測困難な時代に向けてといったことが声高に叫ばれています。それであればなおさら、批判的な思考が必要となります。しかし、今回の文言に「批判的」との言葉はなく、むしろ「批判的思考」を排除するために、「主体的」との言葉が用いられています。

<国が示した「資質・能力」>
①知識及び技能が習得されるようにすること
②思考力、判断力、表現力等を育成すること
③学びに向かう力、人間性等を涵養すること

 

<学習評価の変化>
①「技能」「知識・理解」→「知識および技能」
②「思考・判断・表現」→「思考力・判断力・表現力」
③「関心・意欲・態度」→「主体的に学習に取り組む態度」

 

 物事を批判的にとらえることを排除すると、あらゆることに無批判で従順であること価つながります。このような危険な視点を、授業改善の教育方法として意図的に押しつけることは、無批判で国家に従順な人づくりをねらうものとして、断じて許されません。

 また同様に、評価方法に関しても具体的に規定し、統制の強化をねらっています。

 そして、教育方法や評価方法への介入に加え、「カリキュラム・マネジメント」で規定していることは「PDCAサイクル」そのものてあり、数値等による目標管理を強いるものとなっています。これにより、校長の権限が強化され、より一層の教職員への管理と統制が強められる危険性があります。

Ⅱ 私たちが大切にしたいこと
~すべての子ともたちが安心して学べる学校を~

(1)すべての子ともたちに学ぶ権利を保障しましょう

 新学習指導要領は、国や財界が求める一部の「エリート」育成をめざすものとなっています。しかし、すべての子どもたちには、憲法26条において「ひとしく教育をうける権利を有する」と「学ぶ権利」が保障されています。大幅な授業時間数の増加や、英語教育の早期化と教科化、プログラミング教育などにより、早期からの選別と切りすてをすすめる教育ではなく、すべての子どもたちに基礎学力をつけ、一人ひとりの成長と発達を保障する教育を求めていくことが大切です。
そして、それらの実践は、目の前の子どもたちから出発した実践であることが同時に求められます。

(2)目の前の子ともたちから出発した教育課程づくりを、父母・地域と共同して

 戦後最悪の新学習指導要領ですが、総則第1の1において、「各学校において…教育課程を編成するもの」とし、教育課程編成権は各学校にあることを明記しています。各学校の実態を無視して教育をすすめることはできず、各学校の教育課程編成権は保障されています。このことに依拠しながら、各学校において民主的な教育課程づくりをすすめることが重要です。

 また教育の条理は、子どもの成長・発達を助けるという、いつの時代、どのような世の中であっても変わらない、教育の本質的な目的と、その営みは、子ども・父母、教職員の直接的な関係ですすめられ、国民に対する直接責任によって裏打ちされています。

 憲法と教育の条理、子どもの権利条約にもとついた教育課程づくり、父母・国民との合意に基づいた学校づくりをすすめていくことが、今こそ求められています。

(3)移行措置期間も大問題!

 移行措置期間も大きな問題があります。

 ここでは2点指摘します。

 1つは、漢字の取り扱いです。完全実施を前に、2018年度の4年生以降は、新しい漢字配当表を使用することになります。

 2つ目は算数です。「簡単な割合」が4年生へ、「速さ」が5年生におろされ、「メートル法」は3年生からになります。

 どれもが、子どもたちの発達段階と系統性を無視したもので問題です。(英語は、生活・総合のぺージを参照)