新学習指導要領 批判分析 国語

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大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会

国語

 国語科の主に小学校の学習指導要領について、まず、いくつかの間題点を指摘したいと思います。

1.「目標」について

 「目標」では、冒頭に「言葉による見方・考え方を働かせ」という文言がでてきます。この「見方・考え方」は、「総則」を反映して、国語に限らずすべての教科に新しく使われています。これが授業改善の軸とされるならば、いっそう授業の計画や展開が拘束される恐れがあります。

 現行にはない3点の目標がおかれていますが、そこでは「日常生活」という言葉が強調されています。これが日常生活に必要な程度の国語力で良い、という意味であるのならば、文学などを深く読み取る力は大部分の児童には必要がないということを意味します。また、日常生活にも、規範意識を持たせるという意味であるのならば、国語の授業時間以外にも踏み込んで規範に従う児童を育てるためと考えざるを得ません。さらには、「日常生活」に対して、教師はどのように評価すればいいのかという疑問も浮上してきます。

 また、「国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う」も目標とされていますが、これは、明らかに態度重視であり、スタンダードなど型にはめる教育が危惧されます。これを目標として位置付けるのは適切ではないと考えます。

 さらに、現行では「国語を適切に表現し正確に理解する能力」となっているものを順序を入れ替えて「国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力」としていますが、これも「総則」にいう「資質・能力」の反映であると考えられます。

2.各学年目標等について

 すべての学年で、目標の(1)に「日常生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに、我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。」と述べられています。これは、目標で指摘したように、「日常生活」という限定をすべての学年の目標にしていることを意味します。また、現行では「伝統的な言語文化」という表現が使われています。これ自身問題で、この文言のために、低学年での神話や中学年からの文語文が入れられて現場では指導に困難をきたしているものですが、新学習指導要領では、「我が国の言語文化」という文言にされています。「愛国心」の押しつけが問題にされている時期での「我が国の」という文言変更は、それに連なるものと考えられます。また、教育内容については、先に述べた神話や古典はそのままにされており、いまある指導困難は、解決されません。

 また、この「我が国の言語文化」の指導内容に、1・2年では、「長く親しまれている言葉遊びを通して、言葉の豊かさに気付くこと。」が新設されています。

 これが「わらべ歌」などのことを指しているのかどうか現段階では不明ですが、気になるところです。

3.各学年の指導内容について

 「読むこと」では、例えば1・2年では「分かったことや考えたことを述べる活動」「内容や感想などを伝えあったり、演じたりする活動」「分かったことなどを説明する活動」があげられていますが、現行の「本や文章を楽しんだり、想像を広げたりしながら読む」が削除されています。国語の時間の豊かさをそぎ落とすような内容になっており、豊かな文学体験や論理的な説明文学習などが軽視されるのではないかと危惧されます。

 また、「伝え合い」が重視され、個人の読みを深める点が軽視されています。他の学年についても同様の傾向があり、5・6年では、「自分の課題を解決するために」が削除されています。

 3・4年の「話すこと・聞くこと」では、ア「目的を意識して」「伝え合うために必要な事柄を選ぶ」イ「相手に伝わるように」とされ、現行のア「関心のあることなどから」が削除されています。

 これをみると、個人の関心や興味に基づくものでなく、相手や目的を重視したプレゼン能力の育成を目指しているように思えます。他の学年についても1・2年では、現行の「思い出す」から「選ぶ」に、5・6年では、「考えたいことや伝えたいことなどから話題を決め」が「目的や意図に応じて話題を決め」に変更されています。

 これでは、国語科の目的が、小さなビジネスマンを育てるかのように変質させられるのではないでしょうか。

4.私たちの対抗軸

 よく読めば、新学習指導要領の文言の中にも私たちが今まで積み重ねてきた実践と捉えかえせる部分もあります。これを活用した実践は、対抗軸となり得るのではないでしょうか。

 例えば、1・2年Bの「書くこと」では、「経験したことや想像したことなどから書くことを見付け、必要な事柄を集めたり確かめたりして、伝えたいことを明確にすること」「文章に対する感想を伝え合い、自分の文章の内容や表現のよいところを見付けること」などが述べられています。

 これは、私たちが、生活綴り方の実践の中などでごく当たり前にしてきたこと、と捉えかえすことができるでしょう。

 もちろん、文学教育や説明文の指導で積み重ねてきた実践を、教育課程の民主的編成として具体化することは、大変重要なことです。スタンダード化など教師が枠にはめられていく傾向が強まっている中、「新学習指導要領のもとでも、こういう実践ができる」という方向性を示していくことが必要であると考えます。