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道徳2 道徳教育で何を大切にするのか?-実践のポイント

大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収

道徳1 教材は教室の中に、教科の課題・原典から はこちら

 安倍政権は、憲法9条改悪と一体に「戦争する人づくり」をねらい、戦前の「修身」や「教育勅語」を復活させようとしています。そして道徳を「教科化」し、道徳「教科書」と「評価」のおしつけで、子どもと教師を縛りつけようとしています。

 しかし現在は、個人の尊厳を最も大切にする日本国憲法が厳然として存在しており、国民を天皇の臣民として扱った戦前の教育のように、特定の価値観の注入や、個人の権利と自由を否定する教育は許されません。

<戦前の「縦の道徳」から、現在の「横の道徳」へ>

 政府が、教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとす
るのは、最もよくないことである。今までの日本では、忠君愛国というような「縦の道徳」だけが重んぜられ、あらゆる機会にそれが国民の心に吹きこまれてきた。そのために、日本人には、何よりもたいせつな公民道徳が著しく欠けていた。公民道徳の根本は、人間がお互いに人間として信頼しあうことであり、……われわれは、日本人をこれまで支配してきた「縦の道徳」の代わりに、責任と信頼とによって人々を結ぶ「横の道徳」を確立していかなければならない。
 民主的な「横の道徳」の原理を実際に身につけるのに、いちばん適しているのは、学校での生活である。したがって、学校の中でみんなが共同の目的のために仕事を分担し、自治的にいろいろな活動をやっていけば、おのずからにして今いうような「横の道徳」を体得することができる。(文部省「民主主義」1949年

◎ 道徳科の授業では、特定の価値観を児童に押し付けたり、主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育の目指す方向の対極にあるものと言わなければならない。(文部科学省「学習指導要領解説」2017年6月)

1.おしつけ道徳教育では、うまくいかない

 「道徳教材」の学習指導案や授業案には、一つの共通した本質があります。どのように組み立てられていても、必ず学習指導要領に示されたそれぞれの指導項目の結論を引き出すというはっきりとした目的をもっていることです。そして指導項目は、すべて「心がけ」であり、それを子どもの頭の中に注入することを求めます。たとえ日記や作文を使おうと、徳目を注入する手段と化せざるを得ず、討議はしても結論はさきに出ています。また読み物資料には、子どもの生活実感に根差さない建て前のみのものやリアリティの欠けた美談が多く、子どもの中に、生きいきとした討議をまきおこすことも、子どもの願いや要求の実現のすじみちを明らかにすることもできません。教師が導こうとする方向が見え見えであり、たとえその時間、子どもたちが「いい子」を装っても、子どもたちの心を揺さぶることにはなりません。こうして子どもにとって、眠く、退屈な時間になり、教師にとっても、もてあましものに、ならざるを得ないという実態があります。

2.個人の尊厳を大切にする、道徳教育の目標とは?

 道徳教育においてもっとも大切なことは、一人ひとりの子どもが社会の中で生きていく上で「何を大切にするのか」、自主的な判断力(自主的な価値選択と行為の能力)を育て、広く、深く人権尊重の精神を育みながら、自主的な価値観(価値意識)を形成していくことにあります。

 そしてどのような価値観を自分のうちに形成するのか、すなわち「何を大切にするのか」は、憲法が保障する個人の尊重(13条)、内心の自由(19条)に属するもので、一人ひとりが決めることで、国家が決めることではありません。

<道徳の基本は、目主的・主体的に判断すること>

 長い日本の歴史の中で、戦前・戦中までは、個人が自由に考え、判断し、行動することは許されませんでした。いつでも権力者と上の者(上司・上官)が判断し、下の者はそれに従うことだけが許されてきました。つまり、判断することと、その価値の基準は、いつでも上の者がもっていました。つまり、「道徳」とは「服従」することだったわけです。いわば「無責任」の体制です。

 戦後においては、自らの道徳的価値観に従って判断することを、日本国憲法が保障しています。一人ひとりの個人が判断の基準をもち、自主的・主体的に判断することは、道徳の基本です。

<目標の中心点を「道徳的心情」優先ではなく、子どもの「自主的な判断力」に>

 「主観的な心情が、社会的に真に道徳的な意味をもった行動となるためには判断力がたいせつな要素となるといわなくてはならない。道徳的な判断力をもつということは、自分自身で道徳的にものを考え、決断し、自分の当面する問題を合理的に解決していく能力をもつことである。・・道徳的習慣と道徳的心情とは、道徳的判断と結合することによって、はじめて真に道徳的な行動を生みだすということができる。

 しかし判断は、その性格上自主的なものである。したがって、道徳的な判断力の養成は、児童や生徒が自分たちの生活において直面する切実な問題を正しく解決していくということを通じておこなうようにすることが必要である。」

(「文部省」・道徳教育の「手引要綱」1951年)

<新学習指導要領(2017年3月31日)の、「道徳教育の目標」も>

○「道徳教育は、…自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」(「第1章総則」「教育課程編成の一般方針」の2)

○「よりよく生きるための基般皿となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」(「第3章特別の教科道徳」「第1目標」)

3.子どもを主人公に、自主的判断力を育む道徳教育へ

 憲法にもとつく道徳教育は、憲法がめざす、人間の尊厳と自由、人権、平和、民主主義、真理、正義などの諸価値の実現へ、一人ひとりの子どもの価値観を人間性豊かに育んでいくとりくみです。そのため、憲法に基づく民主主義の精神、人権尊重の精神が目標、内容、方法、評価に貫かれていることが重要です。

 子どもたちが周りの出来事や社会問題、直面している問題などをもとに「何を大切にするのか」を子ども同土や父母・教職員貝などとのかかわりの中で考え、価値判断しながら、自分の意見をもつようになることです。

 こうした価値判断と意見表明を励ますように、教育活動全体をとおして、子どもの生活実態や発達段階に応じた自由な教材選択と、創造的で弾力的な計画の編成・運用が重要です。

<個々の徳目の教え込みではなく、徳目相互の関係を含む価値判断が重要>

 道徳教科書では、1つ1つの教材ごとに教え込むべき徳目(小1・2「19」、小3・4「20」、小5・6・中「22」)が示されていますが、現実の社会や学校生活では、徳目相互の関係や軽重が問われる場合が多くあり、1つひとつの徳目を絶対的に扱うことはできません。

 (「約束」と「正義」、「勤勉さ」と「健康」、「友情」と「進路希望・能力主義価値観」、「人間の尊厳」と「生産性」、「生命」と言愛国心」…)

 大切なことは、対話によって「何を大切にするのか」、価値観のすり合わせを行うことであり、価値観を統一することではありません。一方で子どもたちの多様な事情と生活と、ものの見方・考え方があり、他方で「事と次第」「時と場合」があり、その双方を重ねて「道徳的価値認識」の複数合意をめざすことです。これによりお互いを理解し、認め合うことができ、「道徳的価値認識」を高めることができます。

○「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて……自立した個人として……よりよく生きるために道徳的価値に向き合い、いかに生きるべきかを自ら考え続ける姿勢こそ道徳教育が求めるもの」

○「時には複数の道徳的価値が対立する場面にも直面する。その際、生徒は、時と場合、場所などに応じて、複数の道徳的価値の中から、どの価値を優先するのかの判断を迫られることになる。その際の心の葛藤や揺れ、また選択した結果などから、道徳的諸価値への理解が始まることもある」

○「指導の際には、特定の道徳的価値を絶対的なものとして指導したり、本来実感を伴って理解すべき道徳的価値のよさや大切さを観念的に理解させたりする学習に終始することのないように配慮することが大切」
(前出「学習指導要領解説」)

4.道徳は、歴史の中で変化・発展する

 道徳は、人間の社会とその歴史によってつくり出されてきた、人間関係のあり方を規定する社会的規範の体系であり、社会の歴史発展とともに変化・発展します。歴史的に変化するのは、社会的規範の1つひとつではなくて、社会的規範の体系であり、この体系こそが道徳の質を決定します。

 例えば、「人命尊重」の価値と「盗み禁止」という価値の重みの違いです。江戸時代では、主従の身分的秩序の維持が高位の価値であるとされていたため、農民が武士の持ち物を盗めば、命を奪われました。天皇が絶対的な存在であった戦前の日本では、天皇を批判したり、戦争に反対すれば投獄され、命も奪われました。現在の日本では、一人ひとりの人間の尊厳がもっとも大切にされ、盗みや意見表明によって命を奪われることはありません。すなわち規範相互の関係が中心的な問題です。

 古代社会や封建社会では、全く問題にもならなかった平等という新しい価値が、近代社会になって見出されたように、戦前の日本では天皇の臣民として認められなかった個人の尊厳が、戦後の日本では日本国憲法の下で保障されています。何が大切にされ、何が基本的社会規範とみなされ、基本的道徳価値となっているか、何が従属的なものとなっているか、それが重要です。

<憲法の理念と原則から、1つ1つの徳目をとらえること>

 例えば、「物を大切にする」という価値規範も、労働者の健康よりも生産品のコストの低さを重視する企業経営者がいるもとでは、それが非人間的に作用する場合があり、絶対的なものとはいえません。

 「物を大切にする」という価値観が、どのような価値(規範)体系のなかに、どのような位置を与えられているかが重要であり、同様に、「勤労の尊さを知る」「国を愛する」など、どのような徳目をとってみても、基本的道徳価値を法的に規定した、憲法の理念と原則にもとついてとらえる必要があります。

5.道徳教材を批判的に検討する力を、子どもたちに

 道徳は、新しい歴史発展のなかで、その発展にふさわしく、変えられたり、新しくつくり出されるべきものです。その点では、道徳教育は若い世代に既存の道徳に対する批判的検討の能力を形成するという重要な役割をも担っています。そのためには道徳教育の指導過程を、特定の価値観を注入しようとするやり方を許さず、子ども・青年にとっては諸価値の再発見・再創造の過程となるよう、あるいは彼らの自主的な判断力の発達と結びつくよう、指導方法に格別の注意を払うことが求められます。

<IOT社会の広がりの下では、特に重要>

 とくに価値観が多様化し、スマートフォンやネット社会など、情報が縦横無尽に飛び交うようになった現代社会では、真理・真実を見抜き、自分で価値判断し、自分の意見を、根拠をもって言えることが、権威や情報に流されずに生きていくうえで決定的に大事になってきています。

 そのためには自主性と、自分は自分の主人公といえる感性、つまり主体性とその上に立った批判的精神が、今日の大切な徳性といえます。

<深い学びには、批判的な思考と検討が不可欠〉

 文科省は「考える道徳・議論する道徳」を掲げ、新学習指導要領は「主体的・対話的で深い学び」を強調しています。深い学びには、批判的な思考と検討が不可欠であり、この立場を活用することが重要です。

 道徳教科書の内容を、子どもたちが鵜呑みにすることは、特定の価値観の注入につながり、非常に危険です。「教科書に書かれていることは本当にそうなのか」、「教科書に~と書かれているけれども、なぜそうなるのか」といったように、内容を批判的に見て、批判的に問う力を子どもたちに身につけさせることが大切です。その時、考える視点は、事実や根拠に基づいたものであること、議論を行う場合も議論の合意をもとにすすめられることが重要になります。そのためにも「何が本質的で、重要な問いや課題なのか」を見通しておく、教師の批判的観点を含んだ道徳教科書の研究が、とても重要です。

6.教科書に縛られない実践の創造を

(1)憲法・子どもの権利条約にもとつく徳目や、教材になっているか

・「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」、「民主主義」に基づいているか、戦争を賛美するものになっていないか

・「個人の尊重、生命言自由言幸福追
求の権利」、「平和的生存権」、「苦役からの自由」、「思想及び良心の自由」、「学問の自由」、「生存権」、「教育を受ける権利」、「勤労の権利」、「労働基本権」など、基本的人権の保障に基づくものとなっているか

・平和を大切にすること、・真理・真実を大切にすること、・自他の人格を尊重し、話し合いをとおして問題を解決する内容になっているか、・子どもを権利主体として、自主性や自主的判断、意見表明権を尊重するものになっているか

   ↓   ↓

◎憲法が保障する諸権利、働くルールを学ぶ教材など、複数教材を準備して対置し、意見表明権を尊重して自主的判断力を育むこと

(2)真理・真実に基づく内容で、科学的精神・合理的精神・批判的精神を育むものとなっているか

・神話や非科学的な内容など、非合理的なものを押しつけていないか(擬人化された教材、非現実的・非科学的教材)

「道徳は、人間のもの」「動物とは違う、人間の道徳を」(童話やファンタジーなどの夢物語や、風刺の手法とは区別して)

・道徳は、実際の生き方にかかわるものであり、科学的認識と一体に育むことが重要

 建て前だけのリアリティのないものでは、みんなで考え、討論し、深く学ぶことはできない

・「判断力」よりも非合理的な「心情」

「心がけ」の方を優先させていないか

   ↓   ↓

◎「心情」や「心がけ」ではなく、合理的精神・批判的精神を育み、道徳的「判断力」を育むこと、「1人1人の尊厳」を最も大切に

(3)子ともの権利意識を否定し、主権者意識や、憲法が保障する権利を抜き去るものになっていないか

・憲法が保障する諸権利を欠落させて、「義務や責任」、「秩序と規律」、「心情や態度」を強調して、特定の価値観の注入をねらっていないか

・愛国心、義務、自己責任、奉仕、努力など、特定の徳目へ導くものとなっていないか

・伝統と文化が、和文化に一面化されていないか

・教材の構成が、冒頭や末尾に「設問」などを入れて読み方を規定し、意図的に特定の徳目へ導いて教え込むものになっていないか

・ワークシートの書き込みや「ふりかえりスペース」などを盛り込んで、徳目をおしつけ、刷り込むものになっていないか

   ↓   ↓

◎権利と人権はすべての人が生まれながらに付与された永遠の権利であり、憲法は、こうした国民の人権を守るため、権力を縛るためのもの

◎「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(憲法12条)

・人権や権利を守るため、国民は「不断の努力」によって、権利を主張することが「義務」とされていること

・きまりや規則、法律や条例も国民が決めるもの。自由や権利を侵害するのであれば変えればよく、無条件的に従うものではない

(4)子どもと教師の本心から離れた「つくりもの」や「偉人像」で、特定の価値観おしつけになっていないか

・建前で、感謝や親切、奉仕、偽善を求めるものではなく、本音を育み、個人の尊厳を大切にする、「思いやり」や「やさしさ」「誠実さ」になっているか

・心掛け主義、心情主義、態度主義で、定型化された人格像、規範、生活、行動を押しつけるものとなっていないか(できない者は排除)(挨拶、礼儀のおしつけ、崇拝化・偶像化された「偉人」の生き方、「感謝」と一体の「思いやり」「親切」、「自己犠牲」と一体の「誠実さ」……)

・多様な価値を認め合い、価値認識を深め、批判的精神と「判断力」を育むものとなっているか

   ↓   ↓

◎「ねらいとする徳目」などに捉われず、「主体的・対話的で、深い学び」・批判的思考、道徳的判断力を育むため、この教材で問題にすべきこと、あるいは問題にし得ることは何か、そしてその問題を解決するためにはどうしたらよいか、と問い、深めるための他教材や資料等も準備する。

(5)子ともの生活の事実や関心から遊離していないか、成長・発達段階にそくしたものになっているか

・目の前の子どもたちの課題や関心からかけ離れた内容になっていないか・子どもの生活実感に根差さない建て前のみのものや、リアリティの欠けた美談になっていないか

・発達段階を踏まえて、子どもの人間的な信頼関係や、価値意識を育むものとなっているか

・子どもの願いや要求の実現のすじみちを、明らかにするものになってい
るか

<学校教育法・中教審も同じ立場>

1)教科書以外の教材であっても、有益適切なものであれば、その使用は認められています。

「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる」(学校教育法第34条第2項)

2)教科書とはあくまでも「主たる教材」(教科書の発行に関する臨時措置法第2条)であり、他教科と同様、教科書のみに縛られることはありません。

3)中教審は、画一化された授業や読み物資料のみを使用した授業を否定し、発達段階に応じた道徳の授業を求めています。

○「道徳教育の指導方法をめぐっては、これまでも、例えば、道徳の時間において、読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることや、発達段階などを十分に踏まえず、児童生徒に望ましいと思われる分かりきったことを言わせたり書かせたりする授業になっている例があることなど、多くの課題が指摘されている」

○「検定教科書が供給されることとなった後も、道徳教育の特性に鑑みれば、教科書の内容を一方的に教え込むような指導が不適切であることは言うまでもない。また、教科書のみを使用するのではなく、各地域に根ざした郷土資料など、多様な教材を併せて活用することが重要と考えられる」

(「道徳に係る教育課程の改善等について」中央教育審議会答申、2014年10月21日)

4)新学習指導要領では、「多様な見方や考え方のできる」教材の開発や活用を求めています。

「(教材について)多様な見方や考え方のできる事柄を取り扱う場合には、特定の見方や考え方に偏った取扱いがなされていないものであること」(特定の価値観を押しつける教材を否定しています)

7.建て前ではなく、本音を育む道徳教育と評価を

 子どもたちの価値意識を豊かに育んでいくためには、徳目のおしつけや建前で交わり合うような授業ではなく、気軽に本音を出しあえる授業や集団づくりが求められます。また数値の評価ではなくても、特定の価値観を押しつけるような評価を行うと、子どもたちは必ず評価を気にして、本音を隠すようになります。きらに書かれたもので評価されると知れば、子どもたちは、よい評価をもらうため、自分の本音ではなく、建前の答えを書くようになっていきます。人間性を豆かに育むためには、本音の交わりこそが最も大切であり、そのためにも評価にあたっては、記述式評価の利点をいかし、子どもたちのよいところを積極的に評価し、子どもたちを励ます評価にしていくことが重要です。とりわけ子どもたちの自主的判断力を豊かに育む評価が求められます。