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道徳1 教材は教室の中に、教科の課題・原典から
大阪教育文化センター「学習指導要領問題」研究会
『おおさかの子どもと教育』90号 2018.2.所収
4月から小学校では、道徳の「教科化」と英語が始まります。中学校の教科化はその1年後です。みなさんはこの動きをどう捉え、これからの授業をどうやっていこうと考えあぐねていないでしょうか。
「道徳を『教科の授業』として、やらなくてはならないと言われているから…」
「(道徳の内容項目に)礼儀や思いやりなど、いいことも書いてある。それほど(学習指導要領は)悪い内容じゃない」
「教科書には、年間35時間分の教材が発問とともに載っている。授業のすすめ方もわかり、計画も立てやすく、授業準備に時間が取られず、かえってラクになる」
「それより、「道徳の評価」の例文がほしい」「教科になるのだったら、道徳専門の教師にやってもらうほうがいい」と思っている方もいるでしょう。また、無理やりに「内容項目」を教え込むことに疑問を感じている方もいるでしょう。
さらに地域によっては、「クラスの実態(問題)を無視してでも道徳を年間計画通りにやれ」「やらなければ未履修問題にも発展する」などと言われているところもあります。
さて、どうすればいいでしょうか。
【1】教室は「道徳教材」の宝庫
①クラスで起きた問題・教科の学習課題を道徳で
3、40人もいるクラスでは、毎日様々なことが起きます。嬉しいこともあれば、もめ事も起こります。学校生活のなかで、クラスで起きた問題を道徳の授業として扱い、子どもたちの道徳性を高めていくことができます。そうすることで、学習指導要領の「道徳科」の内容項目の「自分自身(A)」「人との関わり(B)」「集団や社会との関わり(C)」に関することのほとんどを網羅することができます。また、国語や社会など他の教科の授業で道徳性に関わるような学習課題が出てきたときに、それを「道徳」として扱い、教科の授業の補填とすることは中学校でも可能でしょう(授業の振替や内容項目がどれであるかを記録する必要はありますが)。
②子どもの書いた作文をじっくり道徳で
目の前の子どもたちを正面にすえた実践では、「作文を書き、交流することを道徳の授業で」行ったSさんの実践(『おおさかの子どもと教育』89号)が参考になります。
Sさんは道徳教育で「子どもたちが書いた生活作文をていねいに読み合うことを年間を通して行う」ことで「お互いを知り、また違いを知り、認め合える集団が形成される」と考えて自由作文にとりくみ、書かれた作文を道徳の時間に取り上げ、読み合いの授業を行っています。
自由作文だからといって、毎回の授業で書かせているわけではありません。学期に1~2回子どもたちが書きたいときに書いてもらうことが基本です。
とまずは、他校の同年代の子どもの作文を紹介し、「作品をじっと聞き、作者に寄り添い、思ったことを交流」していきます。そして、クラスの子どもたちが書いた日記を紹介するなどして、「『どんなことを書いてもいいんだ』と、表現することに意欲と安心が持てるように」していき、自由作文にとりくんでいっています。
こうして取り上げた子どもの作文を道徳で読み合うことで、「普段の学級では見えない友だちの姿を知ることができ、いっしょに関わった友だちのつながりも見えてきます。友だちのくらしを知り、そこにある思いに近づくことで、理解が深まり、さらにつながっていく」のです。
これは、学習指導要領・道徳の基本方針に沿うものであると、Sさんは考えています。
③中学校だって、行事のとりくみと感想文で道徳
行事のあとに子どもたちに感想文を書かせることは、小学校でも中学校でもよくあることです。その感想文をもとに、道徳の授業を組み立てることもできます。
Bさん(柏原市)の実践を紹介します。
Bさんは体育祭のとりくみで、障害を持った生徒もふくめて全員リレーをしたいとクラスに提案します。しかし反対意見もあり、思うように進まないなかで、斎藤さん自身が個別に説得にまわる、クラスのリーダーたちを組織することで、子どもたちが動き出します。そのことで、子どもたち自身が目の前の壁を乗り越えていきます。
そして体育祭後の子どもたちの感想文をもとに、それを教材化し、道徳の授業を行ったのです。中身は感想文を、時系列(とりくみの流れ)に合わせ、認識の変化や感想文の中のキーワードを探り、テレビ番組の「しくじり先生」風に冊子にまとめ、それを1枚1枚めくる中で授業をすすめていきました。授業が進むにつれ、あの時の気持ちを赤裸々に話をする生徒が出てくるなど、授業がどんどん深まっていきました。
授業後の子どもたちの感想にもそれがよく表れていました。「今まで自分が受けてきた道徳の授業で一番よかった」
「体育祭のときの楽しかった思い出を振り返る授業を、感動と達成感を味わえたクラスにしかできない道徳をして、一番いい授業やった」「いつもの道徳では、自分たちが主人公というのはなかなかないけど、こういう時間をもっと増やしたら…」と絶賛の感想を寄せたのです。
SさんもBさんの実践も目の前の子どもたちの気持ちをとりあげながら、道徳の授業をすることで、本来の道徳性を子どもたちに問うているのではないでしょうか。
【2】教科書の教材・目主教材は原典にあたる
学習指導要領「特別の教科道徳」では「3(1)…多様な教材の活用に努める」とあるように、クラスの実態や子どもの様子を見て、教科書の教材のかわりに、自主教材を活用することもできます。
教材を見つけ、授業化していくときのポイントは、その教材が学問的・科学的な根拠を持っているかです。また、文学作品などでいえば、出典が明らかになっているかです。
その点で、注意すべきことはニセ科学や捏造されたものの授業利用です。
15年ほど前に、教育団体T0SS(教育技術法則化運動)が中心となって道徳の時間などで「水からの伝言」という授業が広まりました。大まかな内容は、『「ありがとう」の貼り紙水は凍結させると美しい結晶、「ばかやろう」水は汚い結晶になることを見せる。人間は6、7割が水、人によい言葉、悪い言葉をかけると、人の体は影響を受ける』というもの。水が言葉を理解するという、大変バカげたニセ科学ものですが、「道徳的に使える」ということで全国に広まりました。ニセ科学として有名なものは、EM菌(有用微生物群)、ゲーム脳などです。
最近の例では、文科省「私たちの道徳小学校5・6年」(p58~59)の「江戸しぐさ」でしょう。現代人がでっち上げた、歴史の捏造であることが明らかになっています。こうした捏造された「江戸しぐさ」は前回の検定教科書(育鵬社・公民、啓林館・算数)や中学校歴史資料の中にも掲載されていたことがありました。なお、「私たちの道徳小学校5・6年」は2015年日本トンデモ本大賞を受賞しています。
このようなニセ科学や捏造されたものを授業で事実のように扱うことは許されません。「江戸しぐさ」の批判的検証を行った原田実氏は「嘘を嘘と知りつつ道徳の教材に用いるのは、それ自体が反倫理的な行為」(『江戸しぐさの終焉』星海社新書)と言っています。
改悪された教基法でもその前文で「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求しつつ」(47年教基法では「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求」)とあるように、教育は「真理を希求する人間の育成」をめざすものです。ニセ科学や捏造されたものにだまされないよう、学問的・科学的な研究の成果をふまえたものや事実の明らかなものを選びましょう。
【3】事例案・複数の目で検討
中学校の副読本の中に、割と好評な資料があります。「あなたはすごい力で生まれてきた」(小澤牧子『自分らしく生きる』より)です。大まかな要約は以下の通り。
【要約】
あなたは、出産をどう聞いているだろうか。「痛い」ということは誰でも聞いているだろう。あなたは、少しずつ、呼吸をはかりながら、動いたり止まったりして、外の世界へ安全に出ようとし、そして無事に出てきたというわけなのだ。
痛みのほかに、「いきみ」という現象が母親のからだに起きる。それは赤ん坊の生まれ出ようとする力に呼応して、母体が赤ん坊を押し出そうとする運動である。いわば、赤ん坊への励まし運動である。生きる力のかたまりとして。生まれてから、母親の乳房に吸いつく勢いもまた、目のさめるようだ。生き物にそなわった力は、確かで力強い。
あなたは自分で生まれてきた。あなた自身が自分で自分のいのちを支え、作りだしてきた。母親のお腹のなかで、赤ん坊が生まれようとする努力をやめてしまったら、母親のいのちは危なくなる。
生まれ産みだすふたつの力を重ね合わせて、赤ん坊と母親はそれぞれのいのちを互いに支え合うのだ。(終)
2社を比べてみました。「生命の尊さ」として、扱っています。
A社(1年生)では、2ぺージ弱に本文を短縮しています。
【ねらい】
生命のもつ偉大な力を敬い、いとおしみ、かけがえのない自他の生命を尊重する道徳的態度を育成する。
【基本発問1】出産のときの、赤ん坊 と母親の共同作業を、あなたはどう感じただろうか。
【基本発問2】「誰に教わるのでもなく、確信をもって乳房から乳を飲みはじめる」赤ん坊に何を感じるか。
【中心発問】あなたをこの世界に誕生させた「すごい力」とはいったい何だろう。
一方B社(3年生)では、
【考えてみよう】
「母親と赤ん坊の共同作業」の結果生まれてきた命とはどのようなものだと思うか。生命の不思議さについて考えてみようとなっていて、3ぺージを割いています。冒頭に、出産は母と赤ん坊の共同作業であり、大人は子ども側の力をうっかり忘れているという、1段落が入っています。そして後半には、流産してしまういのちもあるが、あなたは「生まれるべくして生まれ」「たくさんの命の代表として今を生きている」という、2段落が挿入されています。
A社は1年生の内容だからなのか、あまりにもあっさりしています。B社も1ぺージ分増やしてはいるものの、どちらも「生命の尊さ」や神秘さについての扱いです。題名と発問内容が噛み合わない感じがして、図書館で原典にあたってみました。
原典は、A社の5倍、B社の3倍の分量で、章立ては「1 ひとさまざまな、生まれかた」「2 母と子の共同作業」「3 生まれるべくして、生まれる」「4 支え合ういのち」の構成になっています。A社の方は1と4が、B社は4がすっぽり抜け落ちている構成です。
改めて読んで気がついたことは、書名「自分らしく生きる」章のタイトル「あなたはすごい力で生まれてきた」のとおり、思春期を生きる中・高生の気持ちに寄り添い、自立を促す内容となっています。「何億という精子がたまたま一つの卵子に出会い結びついて出来た自分」「生まれるべくして生まれてきた自分」そうした「自分を大事に思い、自分をいとおしむ心につながるし、また自分につながるたくさんのいのちに気づき、それらを愛する心にひろがっていく」として、「ひとは生まれるときから一人前で、自力で生き、また他者を支えているのだ」と結んでいます。
この作品は「生命の尊さ」ももちろんですが、悶々と思い悩んでいる中高生の気持ちを思いやり、勇気づける作品ではないかと思うのです。そう見ていくと、この作品は、時間の制約もあり、一部分を切り取って「道徳の徳目」にあわせてする授業とは違った展開になるのではないでしょうか。
以上述べてきたように、目の前のクラスの子どもたちの成長・発達に即して、教科の授業はもちろん教科化される道徳の授業を考えていきましょう。できるだけ、学年会など複数のメンバーで教科書教材の原典にあたるとか、少なくとも発問等を、学習指導要領がいうように「多面的・多角的」に検討するところから始めてはいかがでしょうか。