教員研修の大改悪ねらう中教審まとめ案

教員免許更新制廃止と引き換えに、
教員の研修の大改悪をねらう
―中教審「『令和の日本型教育』を担う
新たな教師の学びの実現に向けて」
審議のまとめ(案)へのコメントー

2021年9月15日
大阪教育文化センター 山口 隆

はじめに

中央教育審議会「『令和の日本型教育』を担う教師の在り方特別部会」は8月23日、「『令和の日本型学校教育』を担う新たな教師の学びの実現に向けて 審議まとめ(案)」(以下「まとめ案」)を発表しました。

「まとめ案」は、教員免許更新制廃止を口実に、あるいはこれと引き換えに、子どもの教育のためという教員の研修の意味とあり方を、国家目的のためと根本的に覆し、教員の研修権を根こそぎ奪い取る重大な問題をもつものであり、「まとめ案」によって教員免許更新制の廃止が方向づけられたということをいささかも評価することはできません。

それどころか、教員の研修について、これまでにない大改悪をおこなおうとするものです。さらに、教員の研修履歴の記録管理と活用によって、GIGAスクール構想と一体に、研修をとおして教員支配を強め、教育を変質させるものであり、教育を国家権力の意のままに動かそうとする大問題を持っていると考えます。

したがって、教員免許更新制の窓をとおして、教員免許更新制が廃止されるのかどうかという角度からのみこの問題を見るのは、大きな誤りであり、問題の本質を見誤ることになりかねません。「まとめ案」を教員の研修はどうあるべきかという視野からとらえなければ、本質はとらえられないと考えます。その視座から、以下、見解を明らかにするものです。

1.そもそも教員の研修とは何か
(1)教員の研修の実施主体は教員自身

教員の研修は、地方公務員法(地公法)ではなく、教育公務員特例法(教特法)によって規定されています。
はじめに念のために、地公法と教特法の関係について確認しておきたいとおもいます。地方公務員法が一般法であるのに対し、地方公務員法の特別法という位置にある法律が、教育公務員特例法です。 教特法は、地方公務員法と国家公務員法をベースにしつつ、教育公務員にのみ適用される特例的事項を定めている法律です。特別法は一般法よりも優先するので、教育公務員特例法は地方公務員法よりも優先します。

教員の研修は、一般行政職員の研修と本質的に異なります。地方公務員法が規定する一般公務員の研修は、実施主体は「任命権者」であり、研修の目的は「勤務能率の発揮及び増進」ですが、これに対して、教育公務員特例法は第21条で教員の研修について、「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」と規定しています。

つまり、教特法が規定する教員の研修は、実施主体は「教員」であり、目的は「職責の遂行」=子どもの成長・発達の保障です。
それは、一般行政は、議会の多数決によって決められた政策にもとづいてすすめられるものであり、教育は多数決では決まらない真理・真実にもとづいておこなうものであるという本質的な違いがあるからにほかなりません。

したがって、教員に研修権が保障されていることは、真理・真実の教育をすすめるために、教員が自ら研修を企画、計画し実践する権利と責任を持っているということを意味します。教育行政は、いうまでもなく教員の研修の実施主体ではなく、教員が実施主体としておこなう自主的・自発的研修に要する施設、研修を奨励するための方途などの条件整備をおこなうことがその果たすべき役割です。

(2)教員の研修は教育のいとなみと一体

教育の目的は人格の完成=子どもの成長・発達を助けることです。人間はいうまでもなく自然や社会とのかかわりをとおして、また、自然と社会との諸関係の中で成長・発達する存在です。学校教育の中心となる目的は、子どもたちが、自らがかかわりをもちながら発達していく自然や社会についての基礎的、基本的な認識を身につけさせることにあります。

その基礎的、基本的な知識は、真理・真実にもとづくものでなければなりません。真理・真実は多数決では決まらず、学問の自由の保障のもとに研究され、確かめられてきた人類の英知の成果です。

教育と学問の自由がわかちがたく結びついているのは、教育が真理・真実にもとづいておこなわれなければならないという、そのいとなみの本質に由来します。また、そうした基礎的、基本的な知識は、子どもたちに命令したり強制したりして外から無理やり身に着けさせようとしても身につくものではありません。子どもがみずから理解し、納得しながら身につけていくものです。

子どもが理解、納得するためには、単に子どもたちに知識を伝達すればよいというものではありません。子どもたちは、そうした真理・真実にもとづく自然や社会についての基礎的基本的な知識を自分の中に取り込み、自分の中で組み替えることによって理解していきます。

教育といういとなみは、そういうふうに子どもの内面に働きかけることによって、私たち大人の予測を超えた可能性を持つ新しい世代の実現をめざすという、未来に向けた創造的ないとなみです。これが、教育が負っている国民全体に対する重要な責務です。

(3)教員の研修権は、教育の目的を果たすためにある

この責務を果たすために教員の研修権が保障されています。だから、教員の研修は、教科に対する専門的な知識を身につけ、指導方法を向上させること、子どもたちの人格形成をうながすための共感、理解、人間的なはたらきかけについての見識とその実践をすすめる力を身につけること、憲法と教育の条理に対する理解を深めることなどを中心とした「研究と修養」という幅広いものです。

ILOユネスコ「教員の地位に関する勧告」は第6項で、「教育の仕事は、専門職とみなされるべきである。この職業は厳しい、継続的な研究を経て獲得され、維持される専門的知識および特別な技術を教員に要求する公共的業務の一種である。また責任を持たされた生徒の教育および福祉に対して、個人的および共同の責任感を要求するものである」と述べています。これが国際的基準です。

2.自主的研修を根こそぎ奪い取り、命令研修とする「まとめ案」―重大な憲法違反

「まとめ案」は、「公立学校教師に対する学びの契機と機会の確実な提供(研修受講履歴の記録管理、履歴を活用した受講の奨励の義務づけ)」と述べ、
「①任命権者や服務監督権者・学校管理職等が個々の教師の学びを把握し、教師の研修受講履歴を記録・管理していくこと、
②教師と任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、教員育成指標や、研修受講履歴等を手がかりとして、積極的な対話を行うとともに、 任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、キャリアアップの段階を適切に踏まえるなど、
教師本人のモチベーションとなるような形で、適切な研修を奨励することが必要である。」と述べています。

また、「任命権者等は当該履歴を記録管理する過程で、特定の教師が任命権者や服務監督権者・学校管理職等の期待する水準の研修を受けているとは到底認められない場合は、服務監督権者又は学校管理職等の職務命令に基づき研修を受講させることが必要となることもありえる。万が一職務命令に従わないような事例が生じた場合は、地方公務員法第 29 条第1項第2号に規定する懲戒処分の要件、『職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合』に当たり得ることから、事案に応じて、任命権者は適切な人事上又は指導上の措置を講じることが考えられる。」と述べています。

つまり、公立学校教員個々の研修受講履歴を都道府県教育委員会や市町村教育委員会や校長が管理し、その履歴をもとに研修が不十分であると教育行政が判断したものに対しては、実質上の命令である研修奨励をおこない、教員が奨励された研修を受講していない場合は職務命令として研修を命じ、それでも受講しなければ「職務命令違反」として処分するというものです。これはつまるところ、国家権力が教員の研修を支配し、それをとおして教育支配をおこなうことを意味します。

このことの持つ重大な問題は、3点あります。
第1は、任命権者や服務監督権者や学校管理職が教員の研修の内容をチェックして、研修の当否を決めるということです。それは、憲法第23条が規定する学問の自由の侵害であり、「検閲はこれをしてはならない」という憲法第21条の侵害であり、二重の重大な憲法違反です。

第2は、命令研修です。
2016年に教特法が改悪され、文部科学大臣が研修にかかわる「指針」を定めることや任命権者がその指針を参酌して「校長及び教員の資質の向上に関する指標」を定めることにされましたが、それはあくまで「指針」であり「指標」であって、命令研修を予定しているものではありません。
「まとめ案」が、「服務監督権者又は学校管理職等の職務命令に基づき研修を受講させる」と述べていることは、文字通り命令研修であり、教員の研修に真っ向からそむく、教育の条理を踏みにじるやり方です。

第3は、処分まで言及していることです。
「まとめ案」が「万が一職務命令に従わないような事例が生じた場合は、地方公務員法第 29 条第1項第2号に規定する懲戒処分の要件、『職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合』に当たり得ることから、事案に応じて、任命権者は適切な人事上又は指導上の措置を講じることが考えられる。」と述べていることは、きわめて重大です。これは、教員の身分を脅かして無理やり研修を受けさせようとするものであり、脅迫による研修という、戦前にもなかった制度といわなければなりません。

3.教員の研修履歴をGIGAスクール構想による教育支配、デジタル庁創設による国民支配に組み込む

教文センターは、ブックレット「『GIGAスクール構想』光と影、教育の展望」で、「GIGAスクール構想」のねらいは、財界と国家権力が、あらゆる個人データを集積してそれを利潤追求と国民支配に利活用することを明らかにしています。

教育分野においては、子どもの健康診断の記録や学習履歴のデータなどの集積と利活用をねらっており、これらのデータを健康保険証、運転免許証、銀行口座などとともにマイナンバーと紐づけしようとしていることについても明らかにしています。

すでに述べたように、まとめ案は、
「①任命権者や服務監督権者・学校管理職等が個々の教師の学びを把握し、教師の研修受講履歴を記録・管理していくこと、
②教師と任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、教員育成指標や、研修受講履歴等を手がかりとして、積極的な対話を行うとともに、 任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、キャリアアップの段階を適切に踏まえるなど、教師本人のモチベーションとなるような形で、適切な研修を奨励することが必要である。」と述べています。

そして、研修履歴管理システムの構築のために、「一人一人の教師にシステムを利用するためのID(利用ID)を適切に付与する…児童生徒の学習履歴(スタディー・ログ)をはじめとした教育データを活用した個別最適な学びの充実を図っていく仕組みが今後構築されていく中にあっても利用可能なものとする」「今後、マイナンバーをはじめ、様々な政策分野のデータベースを連携させるようなIDの在り方が検討されることが期待される」と述べています。

まさに、子どもたちの教育データと一体に、教師一人ひとりの個別のデータを集積し、それをマイナンバーと紐づけすることを公言しているのです。

そもそも教員がどこでどのような研修をおこなったかは重要な個人情報です。個人情報保護法では、たとえば、個人を特定して図書館でどのような本を借りて読んだのかさえ、個人の内心に関するセンシティブな情報であり、これを本人の了解なしに明らかにすることは、個人情報保護法違反とされています。
ましてや教員がどのような研修をおこなったかは、まさに憲法第23条の学問の自由、19条の内心の自由によって保障されているものであり、それをIDによって個人を特定し、受講履歴として集積することは重大な憲法違反といわなければなりません。ところが、「まとめ案」には、「個人情報」という言葉は、たった一か所しか使われていないのです。

「まとめ案」は、ICTによる全国100万教職員の管理統制と国家権力による支配をねらうものであり、それをとおした教育支配をねらうものにほかなりません。

4.教職員支援機構の権限肥大化も重大

独立行政法人教職員支援機構は2000年に独立行政法人教職員支援機構法によってつくられ、2017年、教特法が変えられたことにともなって名称変更し、組織改編をおこなった組織です。法律によると、この機構の目的は、第3条で「校長、教員その他の学校教育関係職員に対し、研修の実施、職務を行うに当たり必要な資質に関する調査研究及びその成果の普及その他の支援を行うことにより、これらの者の資質の向上を図ることを目的とする。」とされています。

業務については、第10条で
「一 校長、教員その他の学校教育関係職員に対する研修を行うこと。
二 教育公務員特例法(昭和二十四年法律第一号)第二十二条の三第四項の規定による助言を行うこと。
三 前号に掲げるもののほか、学校教育関係職員に対する研修に関し、指導、助言及び援助を行うこと。
四 学校教育関係職員としての職務を行うに当たり必要な資質に関する調査研究及びその成果の普及を行うこと。
五 教育職員免許法(昭和二十四年法律第百四十七号)第九条の三第一項の規定による認定及び同法別表第三備考第六号の規定による認定(同法別表第四及び別表第五の第三欄並びに別表第六、別表第六の二、別表第七及び別表第八の第四欄に係るものを含む。)に関する事務を行うこと。
六 教育職員免許法第十六条の二第一項の規定による教員資格認定試験(文部科学大臣が行うものに限る。)の実施に関する事務を行うこと。
七 前各号の業務に附帯する業務を行うこと。」とされています。
上記から明らかなように、その業務は、教員の研修についての指導、助言、援助が中心です。

しかし、「まとめ案」は「教職員支援機構の果たすべき役割」と特に項目を立て、その中で、
「教職員支援機構は、研修履歴管理システムの構築・運用に参画し…構築・運用を担う」
「教職員支援機構自体も、『校内研修シリーズ』や新たなタイプの学習コンテンツの拡充等を含め、先進的な学習コンテンツの開発・提供主体となる。」

「都道府県教育委員会等の任命権者が、教職員支援機構の運営により積極的に参画することが求められる」
「教職員支援機構においては、本部会における検討と歩調を合わせながら…・研修受講履歴管理システムと3つの仕組みの一体的構築に向けた構想の具体化・都道府県教育委員会等の人的参画を得るために必要な環境の整備・都道府県教育委員会等のニーズを教職員支援機構の意思決定に反映させるためのガバナンスの在り方・教職員支援機構の業務の範囲等について具体的な検討に着手していく必要がある。」と述べています。

これは、明らかに教職員支援機構の肥大化です。同時に、いま機構に付与されている指導、助言、援助という業務を超えて教員を管理統制支配するものへと変質させることをねらうものと言わなければなりません。

5.教員の研修は教育のいとなみと一体、教員の研修権の発揮で教育を前進させよう

すでに述べたように、教員の研修は教育のいとなみの本質から導き出される権利であり、教育行政がそれを侵すことは、教育に対する不当な支配にほかならず、教育そのものの変質を意味するものです。

いま、学校現場では、昨年度の小学校に続き、今年度は中学校で新学習指導要領が全面実施されています。それに加え、GIGAスクール構想前倒しによって、子どもの教育はますます困難にされています。このもとで、今こそ教員が研修権を発揮し、新学習指導要領やGIGAスクール構想に合わせた教育ではなく、子どもの実態から出発する教育づくりと教育課程づくりをすすめることが強く求められています。そのとりくみをすすめるためには、教員の専門性の発揮が不可欠です。

それでは、教師の専門性とは何でしょう。
「学校の任務は、子どもや青年の人間的成長の課題によって規定され、教師は、子どもや青年の人間的成長をたすけ、その学習の権利の内実を充足させることを基本的な任務としているといってよい。

そのための教育の内容は、科学性(真実性)に貫かれ、芸術性(人間性)にとんだものでなければならず、教育方法は、教材を媒介としての教師と子どもの人間的接触の過程で駆使される科学的方法によってのみその有効性が保障される…教師は、科学的真実と芸術的価値にもとづく教育内容の研究者であり、子どもの発達についての専門的知識をもち、子どもの知性や感性の発達の順時性に即して教材を配列し、授業過程における教材と子どもの出会いのなかに、子どもの発達の新たな契機をさぐりあて、さらに新たに、適当な教材を準備することのできる専門家であることが要請されている。

これこそは教育の本質からくる要請である。だから、その専門性にもとづく教師に研究と教授の自由は、その関心のままに何を研究してもよく、その意図のままに何を教えてもよいという意味での研究や教育の自由ではありえない。それは、まさに、科学的真実と芸術的価値(何を)と、子どもの発達についての専門的知識(だれに)の研究という二つの契機によって規定されたものである。

さらに、子どもの学習が、将来にわたっての人間的成長(生存)と幸福を志向し、教育が子どもの可能性の開花のための目的意識的いとなみだとすれば、一時間一時間の授業実践のなかでも、教育の目的(何のために)が、子どもの可能性とかかわって問われていなければならない。それは、子どもの未来像、その将来の人間像をどうとらえるかという、より大きな問いと不可分である」
(『現代教育の思想と構造』堀尾輝久 1971年)

こうした専門性を発揮するためには、教員の自主的研修権の発揮が不可欠です。
「まとめ案」がいう研修は、まさに教員を洗脳することをねらうものといって過言ではなく、研修の名に値するものではまったくありません。

教員の専門性の発揮は、教育のいとなみの本質が要請するものです。
教育の目的は、子どもの成長・発達を助けるということです。教師は、教育権を持つ父母・保護者の負託を受けて、専門性を発揮して教育という仕事をすすめます。つまり、参加と共同の教育づくり・学校づくりが教員の専門性の発揮の基盤となるのです。

参加と共同の教育づくり・学校づくりを教育活動の中心にどっしりと据えて、父母と力をあわせて教育を前進させましょう。教員の研修権に対する不当な攻撃をうちやぶる力は、教員の研修権の積極的発揮と、参加と共同の学校づくりの中にあります。そのことに確信をもち、子どもの成長・発達を助けるという教育の条理を立脚点に教員の研修権の発揮と教育の前進をともにすすめましょう。