新学習指導要領 職場討議資料 > 美術
大阪教職員組合 「教育課程・教科書」検討委員会
美術
1.目標部分の変更は大問題
美術教育の目標について、大きな変更が持ち込まれました。それは、従来の美術教育の考え方とは全く異質なものであるといえるでしょう。
現行指導要領では、その目的は「美術の創造活動の喜びを味わい美術を愛好する心情を育てるとともに、感性を豊かにし、美術の基礎的な能力を伸ばし、……豊かな情操を養う」とされています。美術・造形活動の中にある“喜びの要素”を大事にする点や、その能力は“子どもの中から引き出し伸ばしていくもの”であると読み取り理解できる、造形表現能力観が残されていました。『情操』という言葉で目標文は締めくくられ、ある意味では伝統的な美術教育の考え方の中にあったといえるでしょう。
しかし、今回発表された新学習指導要領では、「造形的な見方・考え方を働かせ、生活や社会の中の美術や美術文化と豊かに関わる資質・能力を次の通り育成することを目指す」としています。『資質・能力』という今回の指導要領全体に共通する特異な教育観・学力観では、その『資質・能力』は『知識・技能』『思考力・判断力・表現力等』『学びに向かう力・人間性等』(2016年12月の中教審答申の資料)によって構成されていると説明されています。一人ひとりの表現する喜びと深く結びついている美術教育で養うものを「2030年のグローバル競争社会を生き抜く人材に必要な能力」(教育課程企画特別部会の2016年8月の論点整理)とし、人格の完成を目指してきた教育から根本的に変えていこうとしているといえるでしょう。こうした教科観が評価(通知表など)と結びついて強制されていくことを考えると、この間題は極めて重要だと思います。
また、「……できるようにする」という到達基準の設定ともいえる指導的視点を強調する文末表現も気になります。
2.「できるようにする」という具体的指示が強調されているが…
今回の指導要領の文末の特徴は、「……できるようにする」「……身につけることができるように指導する」という言葉です。それと併せて、内容の取扱いの部分で「第1学年では、……各事項の定着を図ることを基本とし、一年間ですべての内容が学習できるように一題材に充てる時間数などについて十分に検討」することなっているが、このことがカリキュラムマネジメントで点検されていけば、少ない美術の時間が細切れの知識注入や達成感の無い短時間教材の羅列というカリキュラムにならざるを得ないのではないでしょうか。美術の授業から試行錯誤やじっくり自己を見つめ表現意欲を醸し出すための時間を省略していいはずはありません。そんな流れが強まっていくのではないかという危惧を禁じえません。
3.美術から「自己表現」の側面を抜き取り「注文にこたえる活動」へ
今次改定のもう一つの特徴は、『社会に開かれた……』教育課程を目指すとしていることです。「社会とのかかわり……」という言葉が随所にちりばめられることにより、社会に対して批判的見地を持たない限り、コマーシャリズムが際限なく入ってくることになるでしょう。思春期の表現活動は自分の内面の形成と深く関わっています。人間形成にとって大事な時期に“外から与えられた課題”に自分の気持ちや造形表現技術をすり合わせるだけでいいのでしょうか。造形表現活動は本来、一人ひとりの人格と深く結びついています。作品のテーマを決めていくのはあくまで個人です。この点を否定することになる今回の方向性は、触覚、認識、言語などの人間活動の総合である造形表現活動を、子どものリアルな生活実感と切り離し、単なる“技術”に既めることになるのではないでしょうか。
4.「特別の教科・道徳」と思春期の美術表現は両立しえない
前回強調された道徳とのかかわりは、「特別の教科道徳」の導入と、道徳をあらゆる教科の上に置くという今回の改定の中で、文面の変更がなくても大きな構造変更と考えるべきでしょう。この指導要領全体が道徳強化=国民教化の色合いを強く打ち出していることについてはそのまま認めるわけにはいきません。表現の前提は内面の自由です。作品のテーマは本来自分で設定するものです。美術の表現と、ここでいう道徳は、本来は全く両立しえないものです。また、思春期の生徒のテーマは、時として“反道徳的”になることは発達上十分考えられることですし、それを認めたうえで、さらに本人が表現を深めていけるよう指導すべきでしょう。徳目ばかりを意識した“道徳的指導”では、表現のリアリティは消え、建て前と嘘がまかり通る“やらせ的表現”の授業となってしまうでしょう。
5.アクティブ・ラーニング、言語活動、カリキュラムマネジメント、評価の変更など
指導要領に触れていないことでも気になることは沢山あります。「論点整理」の中で強調された「アクティブ・ラーニング」などについても、子どもの自由な表現活動の保障という教科の本質から批判検討が必要でしょう。とりわけ、「評価」の問題は私たちの子ども観、教育観、美術観などが試されています。全国的な実践研究交流を至急に進めていきましょう。