体罰一掃のよびかけ

体罰一掃のよびかけ

あらゆる教育の場からの体罰の一掃を呼びかけるとともに、体罰問題を利用した教育への政治介入に断固反対します

2013年2月8日

大阪教育文化センター

 大阪市立桜宮高校で、体罰を苦にした生徒が自殺するといういたましい事件が起こりました。私たちは、あらためて亡くなられた男子生徒の冥福を祈るとともに、遺族の皆様に心からお悔やみを申し上げるものです。

あらゆる教育の場からの体罰の一掃を、そのための徹底した議論を

 体罰は、暴力であり重大な人権侵害です。体罰は、教育とはまったく無縁であり、どのような理由をつけても許されるものではありません。体罰は、日常の教育活動や部活動を問わず、すべての教育の場から一掃されるべきものです。

 そのためには、まず、直接の当事者である教職員の間で、体罰を教育現場から一掃するための徹底し た真剣な討論が求められます。それは、学校の教育活動を教育の条理にもとづいて、子どもの人権尊重を第一義として、子どもの成長発達のみを目的としたもの へとつくりかえるいとなみでもあります。一つひとつの学校からの徹底した討論をすすめ、これまでも学級や学年や学校でおこなわれてきている、子どもたちへ の「体罰一掃宣言」など、教職員の決意を示すとりくみをすすめましょう。また、教職員の間での討論をすすめる過程で、子どもの意見を聞き、父母のみなさん の意見もよく聞いて、とりくみをすすめましょう。そのとりくみは、必ず、子どもの成長を中心にすえ、父母と教職員が力をあわせた教育活動の前進につながり ます。そうした父母と教職員の共同のとりくみで、子どもたちの人間としての成長をはぐくむ学校づくりをすすめましょう。

同時に、体罰をなくすための府民的討論を呼びかけます。

 「なぜ、こうした事態がおこったのか」 「教育の場やスポーツ界で体罰や暴力がなくならないのは、どうしてなのか」率直に意見を出し合って、子どもたちのすこやかな成長をはぐくむ教育をどのよう にしてつくりあげればよいか、そのために父母・府民としてできることは何か、などについての話し合いを地域・草の根からすすめましょう。その府民的討論 は、体罰一掃のための太い流れをつくりだします。同時に、それは、体罰問題だけにとどまらず、大阪の子どもと教育をどうするかという話し合いに発展するに 違いありません。そうした話し合いをとおしてつくられた合意をもとに、学校や教育委員会に要求すべきことは、しっかりと要求することが重要です。そのこと が、父母・地域住民の声に耳を傾ける学校や教育行政へと改革するとりくみとなります。府民的対話と合意づくりで体罰一掃と大阪の教育の前進をめざしましょう。

体罰問題を利用した教育への政治介入に断固反対します

 同時に、体罰問題を教育への政治介入に利用しようとする動きが強められています。橋下市長は、こ の問題が起こった時、「行政の大失態。ぼくが陣頭指揮をとる」と発言しましたが、これ自体、大問題です。これは、市長が教育現場に介入することを宣言した ということです。一般行政をつかさどる首長部局が、教育行政を意のままに動かすこと、また、教育行政を飛び越えて学校と教育に介入することは、絶対におこ なってはなりません。

 これは、教育への政治介入そのものです。政治は教育に介入してはならないというのは、戦後教育の 出発点にあたっての大原則であり、ここを踏み外してはなりません。事実、それ以後の橋下市長の一連の言動、行動をみると、教育予算まで「人質」にして桜宮 高校体育科の入試中止に圧力をかけるなど、許しがたいものとなっています。この体育科入試中止によって、何の罪もない受験生を不安に駆りたて、その進路を 奪ったことはきわめて重大です。

 こうしたやり方は、体罰と同様に、相手を力でねじ伏せようとするものであり、教育と教育行政のあ り方をゆがめるだけではなく、体罰問題の解決にも障害を持ち込むものといわなければなりません。しかも、教職員や生徒、保護者が全体として体罰を容認して いたかのように描き出しておこなうというやり方は、事実をゆがめ、責任を生徒や保護者に転嫁するものであり、子どもや保護者の心をはかりしれなく傷つけ る、許しがたいものです。

 さらに重大なことは、この間の橋下市長の発言を注意深く読むと、橋下市長自身が一切の体罰の否定 という立場に立っていないということです。彼は、「スポーツの指導の場において手をあげることは一切禁止」とは述べていますが、一方で「学校教育の場面 で、先生がギリギリの状況で手をあげる場面はある」と述べています。この立場では、体罰一掃というとりくみはできようはずがありません。さらに、橋下・維 新の会が2012年の府議会に提出していた「教育基本条例案」には、明 確に「教員は…有形力を行使」できると述べられています。これは体罰容認の立場にほかならず、橋下・維新の会は、このことに対する徹底した反省こそ求めら れるものです。ところが、それは一切不問にしたうえで、学校教育への介入をすすめるなど、まさに言語道断といわなければなりません。

 体罰は、教育の問題としてきちんと克服、解決すべき課題であり、こうした政治利用は、断じて許されません。

 政治介入の動きの背景には、橋下・維新の会が公約である「維新八策」で、教育委員会制度の廃止を掲げていることがありますが、今回の事態は、教育委員会制度の廃止がどれほど危険なものであるかを端的に示したものといえます。

 教育への政治介入を許さず、教職員、父母・府民共同のとりくみをすすめ、体罰一掃にむけて真摯な話し合いを積み重ね、子どもたちのすこやかな成長を保障する学校と教育をつくりあげようではありませんか。心から呼びかけます。